06


『この部屋、自由に使ってね』

カントクが機械で翻訳された画面を見せてくれながら扉を開いた。
案内されたのは最初に目を覚ました時の部屋だった。
私が入っていたトランクケースが開いた状態でそのまま置いてある。

『すぐ隣が私の部屋だから、何かあったら遠慮なく呼んでね!』
「ありが、とう」

覚えたばかりのまだ曖昧な、この国のお礼の言葉を伝えてみると、カントクは嬉しそうに綺麗に笑っていた。
ちゃんと合っていたみたい!
そして「おやすみなさい」と手を振り部屋を出ていった。
挨拶かな?
シン、と訪れる静寂。
耳を澄ますと下の階から人の声が聞こえるので、全くの静寂ではなかった。
それが不思議と心地良い。
けれど、一人を実感して急に怖くなる。

私を買った人はどんな人だったのだろう。
自分で言うのはおかしいかもしれないけど、私は鑑賞用ドールとして最高の出来であると思う。
思っていた。
幾らで買われたかはわからないけど、鑑賞用ドールは安くない。
それをポンと手放したということは私はよっぽどひどいドールだったということ?
産まれた時から鑑賞用ドールになるために生活してきた。
鑑賞用ドールになるために産まれた、の方が正しい。私はサラブレッドだから。
でも、全部全部ちがったみたい。
私は捨てられたんだ。
『どんな時でも美しく振る舞いなさい』
母にずーっと言われていた事だった。
頑張って頑張って完璧なドールに仕上げたのに。
今までの努力は水の泡。
知らない国で、人間として生きていくにはどうすればいいのだろう。
また涙が溢れた。
顔がくしゃくしゃになりそうで、引きつった泣き声が出そうで、でもそんなの美しくないから、開けっ放しのトランクケースに駆け込んで蓋を閉じた。


『グレース』

少し冷たい人の手が頬に触れた感覚に、目が覚めた。
いつのまにか寝ていたみたい。
そうとう泣いてしまったようで、目元と頭に怠さを感じた。

『どうしたの?ちゃんとベッドで寝なよ』

明るさに慣れない目を凝らし手の主を見上げると、トランクケースの前に腰を下ろし優しく微笑んでるチカゲがいた。
頬を撫でていた指が目元に移動したので、再び目を閉じた。
熱を持った目に、チカゲの冷たい手が心地良い。

『…チカゲ?』
『泣いてたのか?目が腫れてる』
『えっどうしよう…ダメだ…』

ドールで一番大切な顔に問題があったら怒られちゃう。
まただ…今日はいっぱい泣いてしまうな。
チカゲが目の前にいるせいか、いつも通りドールとして完璧な泣き方ができた。

『グレース…?』
『涙、止まらなくて、どうしよう。また腫れちゃう』

ポロポロ流れる涙がチカゲの指を濡らす。
チカゲは黙ったまま涙を拭ってくれていたけど、しばらくするとトランクケースから身体を抱き起こされ、チカゲの長い腕におさめられた。

『グレースはどうしてそんな泣き方するの?』
『泣きじゃくるのは美しくないから。いっぱい練習した。おかしい?』

チカゲの肩に涙が落ちて、服を濡らしてしまった。
黙って頭を撫でてくれるチカゲに、私は自分でも驚くほど小さな声でぽつりぽつり零す。

『泣く時は美しく泣きなさいって。顔をくしゃくしゃにしたり、耳障りの悪い声をあげてはだめ』
『うん』
『ご飯を食べる時は大きく口を開けてはだめ。口の周りを汚さない、咀嚼はゆっくりめが美しく見えるんだって』
『うん』
『紫外線は良くないからって外にも出たことは無かった。窓から見る景色しか知らなかったの。外がどんなものか、楽しみだった』
『これからは、いっぱい外に出れるよ』

これから…これから?

『私、人間の生き方がわからない。ドールとしての生き方しかわからないの』
『俺はドールについて詳しくはないけど、ドールも人間もそんなに変わらないんじゃないかな』

そうなの?
チカゲから少し身体を離して顔を上げ表情を伺うと、まだ泣いてるのかと困ったように笑っていた。

『君を最初見た時は、作り物みたいな子だと思った。笑い方や歩き方、その泣き方もね』

再びチカゲの冷たい手に涙が拭われると、魔法みたいにピタリと涙が止まった。

『でもふとした時、ちゃんと人間らしい顔をするんだ。ここの人間の名前をちゃんと言えた時とか、監督さんのカレーを食べた時とか…恐る恐る皿洗いする時とかね』

そういえば、お皿を洗ったのは生まれて初めてだったな。
他にもたくさんお手伝いできるようになりたい。
何かをやろうなんて、思ったこともなかった。
窓から見てた外の世界にいた、街を走り回る同い年の子達みたいになれるかな。

『私、普通の女の子になれる?』
『とりあえず、普通の女の子はトランクケースで寝たりしないんじゃない?』

トランクで寝ようと思ってたわけじゃないのに!
ムッとした顔をしてみると、チカゲは『その顔かわいくないよ』と愉快そうに笑いながら、大きな手で頬を摘んできた。
軽々と抱き上げられ、そのままベッドまで運ばれる。

『俺からしたら、グレースはけっこう普通の女の子だけどね』
『…たぶん、チカゲが思ってるほど普通じゃないよ』
『へぇ?それじゃあ、これからグレースの事いっぱい聞かせてもらおうかな』

今日はもう休みなよ、と布団をかけられ頭を撫でられ「おやすみ」と言われた。
さっきカントクが言ってたのとおなじかな?

『おやすみの挨拶?』
『そうだよ。正式には「おやすみなさい」』
「おや、すみ、なさい」
「うん、おやすみなさい」

最後にまた私の頭を撫でたチカゲは、ベッドから離れて電気を消しそのまま部屋を出ていこうとしたので、慌てて呼びかける。

「チカゲ!ありがとう!おやすみなさい!」

覚えたての言葉を投げかけると、チカゲは驚いたような顔をしたけど、すぐ元の微笑んだ顔に戻った。

「おやすみ。また明日」

今度こそチカゲは部屋を出て、扉は閉められた。
また最後にわからない言葉を残していったなあ。

『マタアシタ…?どういう意味だろ』

明日また聞こう、明日まで覚えていられるかな、考えていたのは一瞬で、私はすぐ眠りについた。