◇いつも隣には

「なまえー!蔵ノ介君来てるでー!」

チャイムの音は私の部屋まで届くんだから、そのくらいわかる。上手くまとまらない髪。母の急かす声に少しイライラ。

二階の自室にいても小さく聞こえてくる二人の声。
『ほんまいつもあの子はギリギリどころか遅刻ばっかでごめんなあ』
『俺がいつもはよ来てしまってるだけなんで』
ほんまそれ、いつも蔵ノ介が早いだけやし。

満足はできないが人前に出れる程度に結えたのを確認して部屋を出る。リビングに行くと蔵ノ介がご飯を食べていた。

「なまえおはよう」
「おはよう……って蔵ノ介のことやから朝ごはん食べてきたんとちゃうん」
「おん、でもおばさん出してくれたし頂いてる。なまえもまだやろ、食べようや」

我が家と違って蔵ノ介は普段から健康に気を使っているというのに。申し訳なく思いながら用意されているトーストにバターをぬる。

「今日は何観るん?」

映画の割引きチケットをもらったから次の休みに行こう。そう誘われ、安いなら行くと答えたものの何を観るのか聞いていなかった。

「今話題になってる怖いやつ」
「は!?え、いや、無理やし!嫌いなん知ってるやろ!」

恋愛物かなーなんて考えていたとこまさかのホラー。絶対に嫌や行かへんと言い続ける私に「きゃんきゃん煩いねん、行く言うたんやろ」と母がわって入ってきた。

「ホラーって知らんかったもん!」
「確認せんのが悪いんやろ。大体あんたはなあ、」

『大体』の台詞に、ここで今関係ない話を持ち出されることがわかる。それだけは嫌だったのでほこ先を変えた。

「ていうかなんで蔵ノ介にご飯だしてるん!食べて来てるくらいわかるやろ!」
「あんたが食べてるのじっと見とけって言うん、さっさと準備すれば良かった話やろ」

結局私に返ってくるのか!

「きゃんきゃん煩いのどっちやねん」

ぼそっと呟くと母が大きなため息をついた。

「ほんまあんた可愛いげないなあ。そんなんじゃ嫁いくどころか彼氏も一生できへんわ」

自分でさえこんな彼女欲しくない、と思ってしまうくらいなので何も言い返すことができない。でも本当のことだからってなにも蔵ノ介の前で言うことないと思うんだ。
もう食べる気もなくなり二口だけ齧ったパンをお皿に戻す。蔵ノ介はちょうど食べ終わり「ごちそうさま」と手を合わせた。そして母に向かって笑顔で言い放った。


「大丈夫、なまえは俺がもらうから」


その一言に私は「ちょっと、なに言うてんの!ご機嫌とりなんていらんいらん」と言うが、蔵ノ介は聞いちゃいない。

「言い方あれやな、なまえに来てほしいというか、うーん……」
「冗談やろ?もっとええ子おるやろ?」

考えるそぶりの蔵ノ介に母はまた失礼なことを言っている。すっかり自分の世界に入ってしまった二人をぼんやり眺めているとふいに呼ばれた。

「なまえ」
「なに?ぼちぼち出な間に合えへんで」

横の掛け時計をちらっと見ながら返事をする。


「俺、なまえがええねん。結婚を前提に付き合ってください」


まさかこんな場所でこんな状況で告白されると思うわけもなく思考が停止。すぐそばで「嘘でしょ!!!ちょっとなまえはいって言いなさいよ!!!これ逃したら一生一人身やで、こんなイケメンで素敵な人やねんで、心がわりせんうちにはいって言いなさい!!!」とごちゃごちゃ騒ぐ母の声さえ、まるでテレビの音のように流れて感じる。

「あ、あかん。時間や、ほな行ってきますおかあさん」

行くで、と手をとられ足早に家を出る。その間何も話すことなく気がつけば駅前まできた。

「よし、間に合いそうやな」
「蔵ノ介にしてはギリギリ行動やな」
「たまにはこんなんもええな」

珍しいことを言うもんだと蔵ノ介を見上げると優しい笑顔でこう続けた。

「手、繋げたからな」

まるで『今日ええ天気やな』くらいサラッと言うもんだから、うっかり「せやね」と返してしまった。

女の子扱いはいつだってされていたけど、誰にでもこんなもんだと思っていたのに。こんな異性を意識させられる言動は初めてだ。もしこれがわざとなら、おめでとう、私はまんまと蔵ノ介を意識してしまっている。



ジュースはいつものでええやろ、とポップコーンも一緒に買ってきてくれて席に着いた。
流れるCMを見て「今度これ見に来ようや」「これもおもしろそうやない?」と小さな声で話してくる蔵ノ介。私の耳に蔵ノ介の唇が当たるんじゃないかって、そればかり気になり返事をするものの、何を観ようって話していたのか覚えていない。

映画が始まりそうな雰囲気になるとスッと離れた。少し寂しく感じたが雰囲気に飲まれただけだと言い聞かせる。

「怖いから、手、繋いでて」

寂しいということを伏せて手を出すと、そっと握り返してくれた。そのぬくもりに安心して映画に集中する。ホラーならではのどっきりが、いつくるかいつくるかと構えていたが、一向にやってこないまま気がついたら終わっていた。

あれ?普通にハッピーエンドの恋愛映画ではないか。どういうことだ。

「……映画、終わったけど」
「ええ話やったな」
「ホラー要素なかってんけど」
「やってホラーちゃうもん」

なんだと……!!!
どういうことだ、口に出さず睨む。

「怖がるなまえ可愛いねんもん」

優しい顔でそう言われると何も言えない。けど悔しいので、繋がれたままの手を握りつぶすように力をこめる。

「そんなに俺と離れたないんか」

手をほどいて、いわゆる恋人繋ぎをしてきた。絡まる指が心地良くてそのままにしておくと、蔵ノ介が言いにくそうに切り出した。

「ほどかへん、ってことは期待してええんかな」

そういう意味で好きかどうかと聞かれたらまだわからない。でも、今この手を離したくないっていう気持ちはわかる。


だから、さっきとは違う強さでぎゅっと力を入れた。