期末試験を間近に控えた午後9時、私は初めて夜のコンビニに来ている。
勉強なんて本当は好きじゃないけど、真面目だけが取り柄の私にはそれ以外何をしたらいいのかわからない。たまには息抜きをしてみようと思っても何も思い浮かばなくて、いっそ何か悪いことでもしてみようと考えた。
「夜のコンビニって静かだなぁ」
こっそり家を抜け出して向かった先は、コンビニだった。うっかりひとりごとをもらしても誰ひとり聞いている者はおらず、ほっとため息をつく。とりあえず足を進めた冷蔵コーナーには、クラスメイトの桃がいた。
「あれ、みょうじも夜にコンビニなんて来んの?」
「あ、うん、気分転換に」
誰かと会うなんて思ってもいなくて、もしかして怒られるかもしれないと少し後ずさる。
「気分転換って、もしかして勉強か?」
「ちょっとてこずってる問題があるの」
「お前でもわからない問題なんてあるんだな」
疲れてる時はこれがおすすめだぜ、と手渡されたいかにも甘そうなジュースを受け取った。
「ありが……ってこれ会計前だから結局支払うの私じゃん」
「おごるのはまた今度な!」
「あはは、うん。また今度があるんだ」
「なぁ」
本当にまた今度があったらいいなぁ、なんてぼんやりと思う。クラスではまわりにたくさんの人がいるから、こうしてゆっくり話ができることが嬉しかった。
「お前さえ良けりゃ、俺の気分転換にちょっと付き合ってくんねぇ?」
家を抜け出したことがバレたらかなり怒られる。でもこの時間から気分転換って、どんなことをするのだろうという好奇心に勝てなかった。
「いいよ」
「じゃ、とりあえず買っちまおうぜ」
「やっぱ外はさみぃなー!」
桃が上を向いてそう呟くと、吐息が白くなって夜空に消えていった。私も真似をして息を吐いてみると、同じように白い空気が漂う。あまりの寒さに指先は赤くかじかんでいたけれど、身体の芯まで冷えているわけではなさそうだ。
「みょうじってさ、最近公園で遊んだ?」
「え、もうこの歳では遊ばないかな」
「じゃあさ、俺がとっておきの景色見せてやるからあれに座れよ」
コンビニから歩いてすぐのところに、小さな公園があった。桃が指さしたのはその公園のなかにある、簡素なブランコだった。大人しくすわると、ちゃんとチェーン握っとけよと言われて今から何をするのかが容易く想像できる。
「ま、待って」
行くぞ〜と張り切っている桃に私の声は届かず、思い切り引いて押される。振り落とされないようにしっかり握っているものの、久しぶりの浮遊感からくる恐怖に目をかたくつむった。
「ほらみょうじ、見てみろよ!そろそろいい感じに遠くが見えるんじゃねーの?」
その言葉に恐る恐る目を開くと、目の前に広がる私が住む町の風景。
「す、ごい」
一瞬だったけど、少し時間が止まったような気がした。
それは、たぶん、私が、うっかり手を離して、落ちたから。
落ちた、というよりも飛んだと言ったほうが正しいかもしれない。今までどこかで眠っていた瞬発力が、今この瞬間に発揮された。綺麗な姿勢で着地を決めた私は、慌てる桃に向かってぐっと親指をあげる。それを見てほっとした表情を浮かべたあと、両手を合わせて何度も謝られたけど、私は全然気にしてなんかいない。むしろむしゃくしゃしていた気持ちはどこかにいってしまって、今はとても清々しい気分だった。
「ほんっと悪かった!でもお前、意外とすげーのな!」
「ね。びっくりした!」
「そだな。さて、ぼちぼち帰るかー。みょうじんちはどっちなんだ?」
あっち、と指さすと桃もそちらへ歩き出す。え、と聞くと送ってやると言われて、あと少しだけ二人でいられることが嬉しかった。
「気分転換、なったか?」
「すごく」
実際足取り軽く頭もなんだか冴えていて、今なら行き詰った問題も解けそうだ。
「やっぱり体動かすのが一番だな」
「久しぶりに楽しかった、本当にありがとう」
近くのコンビニを選んだため、あっという間に家の前まで来てしまった。
「送ってくれてありがとう、桃も気を付けて帰ってね」
改めてお礼を言うがその場から動こうとしない。もしかして帰る方向がわからなくなったとかじゃないよね。そう確認しようと、もう一度門の外に出ると、戸惑いがちに手を握られた。
「桃?」
「あー……、その、なんだ。まだこんな時間とはいえ暗いし、気分転換したくなったら俺に電話してこい。コンビニも公園も他のとでもよ、俺が付き合ってやるから」
顔が、触れている手が熱くなって、心臓がどきどき煩くて。でもきっと桃の方が赤いなんて思ったら少し笑えてきた。
「なんだよ」
「私、桃の連絡先知らないなと思ってさ」
「あー!そうか、じゃあほら今交換しようぜ」
「うん」
その場で連絡先を交換すると、じゃあ今度こそ帰るわと手を振って軽く走って行った。見えなくなるまでその背中を見ていたら携帯が鳴る。
『また明日』
そのメッセージにくすりと笑みがこぼれて、明日がすごく楽しみになった。