◇君がほのかに薫る

丸井と仁王と私は、部室で昼食をとる約束をしていた。これは幸村くんや真田くんには内緒の、度胸だめしでもある。

「仁王遅いねー」
「遅ぇなー。俺もう腹減りすぎて無理」

仁王が言い出したことなのに、張本人がいつまでたっても来ない。もう勝敗はついたようなもので、仁王が罰ゲームを受けることにして私たちも教室に帰ればいいのに、丸井がいそいそと弁当を広げるものだから声をかけるタイミングを逃してしまった。

「てかさ、お前が昼休み前に話してた女子、室内でもマフラーしてっけどなんなの?」
「あー、あれね」

行儀が悪いと思いつつ、早く食べて教室に戻りたかったので、私は購買で買ったパンを頬張りながら喋る。

「かへひのまふらーをまふのはひゃっへふんだよ」
「ははっ、何言ってんのかさっぱりわかんねーよ。とりあえずこれ飲んで落ち着け」

さりげなく飲み物を渡されて、不覚にもときめいた。こういうことを自然とやってのけるからモテるんだろうな、そう思ったらちょっとだけむかつく。この優しさを全部私だけにくれたら良いのに、なんて勝手に嫉妬してイライラしている自分がいた。

「……ごめん、ありがと。彼氏のね、マフラーを巻くのが流行ってるから、あの子も貰えて嬉しかったんじゃない?それで外さないとか、可愛いよね」
「ふうん、それってお前も欲しかったりするの?」
「むしろ彼氏が欲しい」

そう言うと丸井は飲んでいた苺牛乳を吹き出して、それは嘘みたいに綺麗な弧を描きながら私のブレザーを直撃した。

「うわ、ちょ、思いっきり飛んできたんですけど!?」

牛乳系って乾くと臭いんだよね、かといって脱ぐと寒いし。最悪な気持ちで丸井を睨み付けると、両手を合わせて必死に謝ってくれた。

「わ、わりぃ。てか彼氏欲しいとか急に何?今までそんなもんいらねーって言ってたじゃん」

拭くものを探したけど、机の上には空になったティッシュボックスしかなかった。それを見かねたのであろう丸井が今度はポケットからハンドタオルを差し出してくれるものだから、さらにむかついた。

「別にいーでしょ!あーもう、寒いけどブレザー脱ぐ。……よかった、シャツは大丈夫そう。体操服に着がえなきゃいけないかと思った、って聞いてる?ねえ!」

あなたのせいなんですけど、という訴えを視線で投げ掛ける。丸井はうんうん唸りながら、何かを考えているようだった。

「あ、じゃあこうすりゃいいんじゃね?」

俺って天才的!なんて言いながら、自分の着ていたブレザーを脱ぐ。その下に着ていたカーディガンも脱いで、無造作に畳んだあと私に押し付けてきた。

「ほい」
「……これを着ろと?」

脱ぎたてほやほやの、アイドル的人気のある丸井のカーディガンを握りしめる。着たいけど着たくない、そんな複雑な思いで緊急ひとり脳内会議を行った。

「うん、協議の結果、やっぱり結構です」
「なんで、着れば?」
「無理です殺される」
「誰にだよ!……着ろよ、返されると恥ずかしいんだわ」

照れくさそうにそう言う丸井が可愛くて、しぶしぶ受けとった。着たくないわけじゃないし、むしろ本当は着てみたいんだけど……、と困惑する。

「着てくださいお願いします、って言ったら着てあげないこともない」
「んだよ、めんどくせぇやつだなー。貸してみ?」

そうして受け取ったばかりのカーディガンを取られたかと思うと、そのまま勢いよく頭から被せられた。……あ、なんか丸井の匂いがする。

「ほらよ!あとは自分で腕通せよー」

弟たちと同じ扱いをしていませんか。私だって年頃の、あなたに興味のある女子のひとりなんですけど。心のなかでそう悪態をつきながら、もそもそと腕を動かした。その度にいい匂いがするし、丸井の体温も間接的に感じるしで、心臓は痛いくらいに高鳴っている。

「……丸井って子ども体温だね」
「素直にあったかいですありがとうございますって言えよ」
「元はと言えば丸井が!」
「あ、やべ。そうでした」

笑って流そうとしているから睨み付けたのに、ぐしゃりと髪を撫でられて思わず頬がゆるんだ。



昼食を終えたあと、ふたりで仁王を探す。いつもの屋上にはおらず、平然とした顔で教室にいた。何故来なかったのか理由を尋ねると、けろりとした顔で忘れていたと答えるので驚きだ。

「そんなことより、お前さん彼氏でもできたんか?それ、ぶかぶかじゃ」
「ち、違います!違うからね、ホントやめて!」
「ふーん?ところで丸井、中に着とったヤツはどうした?」
「おー、あちぃから脱いだ」
「暑いから、ね。……確かにお熱いようで」
「うっせー仁王。余計なこと言うな!」

そうだ、余計なことを言わないでほしいし、そんなふうにニヤニヤしながらこちらを見ないでほしい。誰にも打ち明けたことはないけれど、仁王はたぶん私の丸井への気持ちに気付いている。変に騒いで他の女子に勘違いされたら嫌だから、仁王がからかってこようとする度にひたすら無視を決め込んだ。先生やクラスメイトたちには昼食時に汚してしまって、という言い訳でカーディガン姿でも許してもらい、そうして午後の授業をやり過ごした。ようやく迎えた放課後、部活に向かおうとする丸井を呼び止める。

「丸井、カーデありがと。返す」
「そのまま着て帰ればいいじゃん」
「え、でも、丸井が帰りに寒くない?」
「気にすんな、俺はブレザーあるし。じゃ、風邪引かねーようにな!」

へらりと笑ったかと思うとその場に私を残して、そのまま立ち去った。ひとりで帰り道を歩きながら、自分には長すぎる袖口をきゅっと握る。好きな人の着ていたものだと思うと、いつまでも着ていたいと思ってしまった。けれどそういうわけにもいかないので、家に帰ってすぐに部屋着に着替える。ブレザーはクリーニングに出すしかないけれど、カーディガンは自宅で手洗いをすることにした。その前に少しだけ魔が差して、つい匂いを再確認してしまう。

「着るときも思ったけど、丸井のカーデ超いい匂いするんだよね」

私ってやばい人かもと思いながら、誰も見ていないからと自分に言い聞かせて香りを吸い込んだ。いい匂いだと思う人とは相性もいいって聞くから、それだけでなんとなくドキドキする。私も丸井にいい匂いって思われたくて、丁寧に洗おうと決めた。



翌朝、赤い髪を見つけるとすぐに駆け寄る。どうやって切り出そうか少し悩んで、結局普通に声をかけた。

「おはよ、丸井」
「おう、おはよ!」

今日もさみーな、なんて言ってる丸井はカーディガンを中に着ていない。申し訳なさが込み上げてきたけれど、よくよく考えてみれば丸井が苺牛乳を吹きかけてきたことが原因なので気にしないことにした。

「あのさ、これ」

ありがとう、とカーディガンの入った紙袋を差し出す。丸井は一瞬きょとんとしてから、何のことか思い出したようだった。

「……別に持ってて良かったのに。むしろ着てくるかと思ってた」

自前のカーデを着ている私を見て、何故だかわからないけれど丸井は残念そうに口を尖らせている。

「えーっと、ちゃんと手洗いしたよ。お願いだから着てください、私のせいで風邪引いたら悪いし」
「へーへー、サンキュ」

丸井は紙袋を受け取るなり、ブレザーを脱いでカーディガンを着こむ。なんとなく目が離せなくて、その様子を見守っていた。

「あれ、なんか……お前の匂いがする」

いい匂い、なんて言って袖口をくんくん嗅ぎながら無邪気に笑って見せるから、私の胸はきゅうっと締め付けられたように苦しくなる。

お願いだから、そういう恥ずかしいことさらっと言うのやめてください。