カランカラン、と。
ドアベルが軽い音をたてる。
聞きなれた耳障りのいいその音を背に私は中に入った。金曜日の仕事終わりはここに来るって決めてからはや1年。
もはや常連となった私に、マスターは軽く会釈だけをした。
少し暗めの店内にはお客さんがちらほら。
テーブル席に2人が2組。…両方カップルかな。それから私がいつも座るカウンター席に男の人が1人。

「…今日はどうします?」
「んー…甘くて度が高いの。青色がいい」

このBARはこういう無茶なオーダーにも対応してくれるから好きだ。

「…何かあったんですか?」
「んーまぁ色々と…。新人が入ってくる時期だしね」

何やら分からない液体たちを混ぜるマスターは言葉を濁して机に伏した私に苦笑いしながらテキパキとお酒を完成させていく。

と。

「…あれ?」
「どうかしました?」

どこからかふわりと漂ってきた香りに、私は顔を上げた。
これは…そう、香水だ。柔軟剤とかじゃなくて。でもいい香り。

「マスター、香水してる?」
「してませんが…?」
「じゃあ、マスターじゃないのか」

いい香りだなぁ…大人な香り。危険な大人な香りって素敵じゃない?少し憧れちゃう。
もう彼氏がいない歴3年…。会社でも新人研修任されるような年になって、そろそろお相手も探さないと本当にやばい。周りはといえば、結婚する人も…

「ふふっ、全部声漏れてますよ」
「えっ!?うそ、漏れてた?」

マスターはもう一度小さく笑う。…まじか。恥ずかしい。

「マスター」

恥ずかしさに悶絶し顔を覆っている間に、一番端のカウンターに座っていた男性に呼ばれたマスターは私に律儀に少々お待ちください、なんて言ってそっちへ向かっていた。…けど、今の私的にはそれどころじゃないんですけど。
え、うわぁ、絶対あの男の人にも聞かれたよね…。後ろのリア充どもには聞こえてないだろうけど。
ええい、こうなったらヤケ酒だ。
グイッとまだ手を付けていなかったお酒を一気に飲み干せば、強いお酒特有の熱さがのどにじんわりと広がる。

「あーぁ…やめといたほうがよかったんじゃないの?」

と、突然半身後ろからかけられた声。

「へ?」

振り返ってみて。

「えつっ…!!」

大声で叫びそうになって自分の口を押えた。
…この場合私の反射神経を誰か褒めて欲しい。

「お、よく耐えたね〜」

…否、目の前の人───幼なじみでもあり、現在はアイドルでもある倉橋マディソン悦利クンニホメテイタダケマシタ。

「…何してんのよ、こんなところで」
「ん?普通に飲んでただけだけど?」
「いや、あんた一応今は、その、アイドル…なんだからさ…」

関係ない関係ないと笑って手をひらひらさせる悦利はあの頃と全く変わらない。

「気付かなかった?」
「え?」
「俺そこでずっと飲んでたんだけど」

悦利が指さす先には先ほど1人で男性が座っていたカウンター席。

「…気付くわけないでしょ」
「あれれ?残念。20年来の仲なのに」

そう言ってしれっと私の横に座る悦利。

「ちょ、ちょっ!!何してんのよ!!」
「何って…?名前と飲もうと思って」
「いやいや…あんたアイドル…」

悦利がスタプロに入ってからというものの、めっきり会う回数は減った。
というより、私が悦利から逃げてきた。
アイドル様相手に私なんかがもしスクープになったら?
そんなん悦利に申し訳なさすぎるもん。

「なんで…?俺もアイドルの前に普通の人間なんだよ?幼馴染と飲むのも許されないの?」

少しうつむいてから寂しそうに見上げてくる目。顔を上げた瞬間にふわりと香ってきたさっき感じた香水。
くっそ…無意識鈍感ヤロー…。こちとらせっかく自分の感情に蓋をしたというのに。
悦利がアイドルになるって聞いて、やっと区切りがつくと思ったのに。なのにこの人はそれを無理やりこじ開けてくるのか。

「最近どう?」
「どうって?」
「仕事。なんかうまくいってないってさっきマスターに話してたでしょ?」
「あー」
「俺でよかったら聞くよ?」

香水してるの知らなかった。こんな大人な香りを漂わせてるなんて知らなかった。こんなにやさしい声で私に話しかけてくれてたなんて気が付いていなかった。連絡取ってなかった数年で少し大人っぽくなったなんて知らなかった。今、悦利がどんな子と仲良いか知らない。女の子と連絡取っているのかもわからない。

一度ふたを開けられると感情が止まらなかった。

「そっちこそ、どうなの?」
「俺?」
「うん」
「んー俺はまぁまぁかな」

たわいもない会話。その間も私の心臓はこの感情がばれないかドキドキしている。

「あ、でも」

不意に声を上げたのは悦利。

「嬉しいことならあった」

大人な香りを漂わせて、あのころのような無邪気な笑顔。やっぱずるい。

「何?」
「ずっと会いたかった人に会えたんだ」

「…それは…女の子…?」

「うん」


変わらない無邪気な笑顔。その笑顔を今は見せないで。
馬鹿だ私。なんでそんなことを聞いたんだろう。

「よかったじゃん。初恋の人とか?」
「うん、そう。初恋の人で、今もずっと忘れられない人」

あぁ。私は今笑えてるだろうか。それすらも分からない。
頭がぐらぐらしてくる。これはお酒のせいなのか、それとも。

「ずっと会ってなかったから、会えるか分からなくて…。いや、違う。逃げてたんだ、俺。その人から」
「え、なんで…?」

まるで悦利に対する私の行動と同じで思わず先をせかす。

「アイドルになった俺のことを、どう思ってるか分からなかったから。…怖かったんだ」
「怖かった…?」
「うんそう。怖かった」

なんで悦利はそう思うんだろう…。私にはわからない感情に、なんて返せばいいか分からなくなる。
私は悦利がアイドルになったって、こんなにも好きなのに。アイドルとかそんなの関係ないのに。

「でも、ずっと忘れられなくて。だから決めたんだ」
「決めた…?」
「うん。一度俺のコンサートに来てもらおうって。たくさんのファンの前で歌って踊る俺を見てもらおうって。…それで…そのあとに…」



『好きって伝えようって』



まっすぐ私の目を見て言った悦利の目に迷いはなかった。
ならば。

「そっか…。うん、頑張って。応援する」

私にできることは応援することだけ。
にこりと笑う悦利。「ありがとう」と呟いた悦利はポケットから財布を取り出した。
ふと腕時計を見ればそこそこ夜も更けてきた時間。そろそろ帰らないと、休日が土日とは限らない悦利は明日に響いてくるだろう。ならば今回は悦利の恋の応援もかねて私が悦利の分も…。

「…え…?」

不意に。本当に不意に。目の前に出された紙切れに、私の思考は完全に停止した。

「来てほしい。名前に」
「え…えっ…?」

目の前に出された紙にはKA×RUコンサートツアーの文字。

「ほとんど告白したも同然だけど…でもちゃんと俺の仕事を見たうえで、返事がほしい」

悦利は話を進めていくけど、私の脳は追いつかない。
悦利のさっきの話。そして今目の前に出されているコンサートチケット。つまりは…。

「俺の仕事は主に女の子夢を与える仕事だから。それをしっかり見てほしい」
「私で…いいの…?」
「名前がいい」


「…はい」



恋が始まるまで、もうすぐらしい。



それは月9よりベタな / Kurahasi M Etsuri