その日、晶は遠方に出る任務もなく、午前中は東と南の魔法使いたちの合同授業に参加していた。ノーヴァの襲撃によってしばらく魔法舎全体にぴりぴりとした緊張感が漂っていたが、それも少し薄れて魔法使いたちはもちろん、晶も肩の力が抜けてきた今日この頃。東と南の魔法使いたちと昼食を終え、食堂で紅茶を飲んで談笑を楽しんでした。
 話の内容は、午前中の授業のことであったり、今度の休みに行きたいところであったり、それぞれの最近あった出来事だったりと様々だったけど、ひとつひとつ聞くたびに安息を感じで晶はほっとした。
 そうやって話が盛り上がるなかそろそろ午後の授業に向かおうと席を立とうとしたとき、フィガロとファウストがわずかに目線を食堂の扉の方へ動かし、そして視線を合わせた。
「誰かが侵入してきたみたいだ」
 フィガロの言葉にその場に一気に緊張が走る。レノックスがすぐさま晶を背に隠し、シノは魔道具の鎌を出した。
「まさかまたあいつが…⁉」
「……いや、違う。気配があいつとは違うしなんだかうろうろしているみたい」
「僕も同じ意見だが…。ここは結界が張ってある。それを破って侵入していたんだから魔法使いであることには間違いないだろう」
 ノーヴァではない。だけど、だったら一体誰か?
「僕が確かめてくる。君たちはここで待っててくれ」
「先生ひとりってわけには行かねぇだろ。俺も行く」
「わかった。フィガロ、子どもたちと賢者を頼んだ」
 フィガロが返事をするより先に食堂の扉がノックされる。全員が視線が扉に集まり、身構えた。しかし扉の向こうから聞こえた声はその場にそぐわないほど普通の声だった。
「突然申し訳ありません。どなたかいらっしゃいますか。賢者様に依頼をしたくて伺いました。リオンと申します」
「…どうぞ入って」
 フィガロが応えるとゆっくりと扉が開いた。
 現れたのは、艶のある黒髪をもち、程よい筋肉がついているすらりとした長身の青年だった。若そうな風貌ではあるけれど悠然としていて、ミスラが濡れたような色気だとすると彼は夜の湖のような色気があるなと思った。
 リオンと名乗った彼は綺麗にお辞儀をした。
「本日は賢者様に早急にお話したいことがあり、先触れもなく訪問いたしました。突然の失礼をお許しください」
「依頼は中央の城に提出するのが正式だ。こういったことは困る」
「もちろんそれは存じています。ただ、もう時間がないのでどうしても今日皆様に意見を聞きたかったのです」
 心底申し訳なさと思っているのだろう。しかし、本当に時間がないのだと感じられるくらい切羽詰まっているのも事実なんだろう。リオンの声はわずかだけど声が強張っていた。
 そっとレノックスの背から離れ、前に出る。
「リオンさん、依頼を受けられるかはわからないんですが何があったか話してもらうことは可能でしょうか?」
 正式な手続きを踏んでいないので受けていいのか晶には判断がつかなかったが、何もしないという選択はなかった。リオンの瞳から切望をひしひしと感じたからだ。


 晶ひとり残すわけにはいかないということで、結局午後の合同授業は一旦取りやめ、そのまま食堂でリオンの話を聞くことになった。ネロが淹れてくれた紅茶を一口含み、改めてリオンに問いかけた。
「リオンさん、あなたがここを訪れた理由を聞いてもいいですか?」
「どうぞリオンとお呼びください。まず、俺はのぞみの街からやってきました。ここからわりと近いところにあります。数日前、街がとつぜん熱波に襲われました。魔法で咄嗟に結界を張って街や住民は無事でしたが、農作物の被害も大きく、一部の平原では火事が起きました」
「それは自然現象ではないんですか?」
 ルチルが尋ねる。熱波はこの世界にある自然現象のひとつであるし、晶の世界でも熱波による農作物への被害や火事は起こることだった。
「自然現象で起こるにしては強力すぎる熱量でした。もし結界を張らなかったら重症を負う住人もいたと思います。ちょうど夜で農作業をしている住人がいないことが幸いでした」
「そうだったんですね…」
 通常では考えられない自然現象。厄災の影響が頭をかすめる。
「ただ事ではないと思って、俺の師匠がすぐに熱波の原因を調べたところ、街のすぐそばにある森の花畑が熱波の出どころだろうと」
「もう原因がわかっているんですか?」
 驚いて思わず声に出してしまった。魔法舎に届く依頼は不思議な現象についての内容が多く、そのほとんどが原因不明であり、その原因を探ることから始まる。時間がないと切羽詰まっている様子から原因も不明だろうと思っていた。
「それで原因は?」
 ファウストが先を促す。
「師匠が言うには、その花畑の花の種を植えたときに、植えた人物の気持ちが入り込んでしまい、何かの拍子にそれが増幅して熱波を生み出しているだろうと。そして解決するには一度花畑をすべて消滅させて土地を浄化するしかないと」
「へえ、そこまでわかってるなんて立派じゃないか」
 フィガロが軽い口調で言う。けれど、ひとつ疑問があった。
「どうしてリオンの師匠の方はそこまでわかったんですか?」
 魔法使いといえども過去のことを見ることはできない。もちろんムルのように物の記憶を読む魔法は存在するけれど、それですべてがわかるわけではない。もしそれですべてがわかるのであれば依頼ももっと楽に解決できるはずだ。
「つまり、君のお師匠さんは種を植えた人物に心当たりがあるんだろ?」
「…種を植えたのは師匠なんです」
 フィガロは「なるほどね」と軽く笑う。
「じゃあお師匠さんの言う通りだと思うけど? リオンの依頼は浄化ってことでいい?」
「いえ、違います」
 はっきりとした声でリオンは告げた。
「俺がここを訪れた理由は、花畑を消滅しないで済む方法があるか知りたかったからなんです」
 想像していなかった問いかけに思わず全員が目を丸くする。
「師匠は言っても気にしない人ですし、住民は知っていることなので皆さんにも伝えますが、その場所は霊地なんです」
「霊地?」
 リオンはやや目を伏せたあと、息を整えて話し始めた。
「師匠ははじめから街の住人だったわけではなくて、別の場所から来たと聞いています。例の花畑は街に来る前に亡くした仲間のために植えた花でできているんです。400年ほど前からあるんです」
 400年と聞いてファウストとレノックスがわずかに反応を見せる。400年前といえば、彼らが人間と魔法使いの共存を目指して革命軍として活動していたころだ。
 ファウストがサングラスに手をあてる。
「400年前といえば動乱の時代で、魔法使い狩りも頻繁に行われていたからな」
 晶はかつて任務で訪れたひまわりが咲き誇る村を思い出して心がざらりとした。
「師匠は何も言いませんし、仕方のないことだと納得しているんだと思います。でも街の住民はその場所が師匠にとってどういうところか知っているので他に解決方法がないか俺に調べてほしいと。それで賢者様と賢者様の魔法使いの皆さんなら何か知っているのではないかと思って訪ねたんです」
ファウストが口に手を当てながら思案する。
「リオン、君が言っていた時間がないとは?」
「花畑から出ている魔力は師匠が魔法で一時的に封じ込めています。ただずっとというわけにはいきませんし、師匠は近日中に花畑を処分するつもりです。今日から泊まりで出かけているのでおそらく帰ってきたら…」
「帰ってくるのはいつ?」
「明後日と聞いています」
 本当に時間がなかった。ちらりとファウストを見る。
「ファウストはどう思いますか? 私は厄災の影響も考えられると思います」
「僕もその可能性は高いと思う」
「じゃあリオンの依頼を受けてもいいでしょうか? 正式な手続きはしていませんが…」
「時間がないんだ。仕方ない」
 ふたりの会話にリオンの目が輝く。今すぐ立ち上がってしまいたい衝動を抑えているのがわかった。
「リオン、あなたの依頼を受けます。リオンが望む解決方法が見つかるかわかりませんが、出来るだけのことはするつもりです」
「ありがとうございます!」
 いよいよリオンは立ち上がってお礼を口にしたのち、緊張が解けたのか魔法舎に来て初めて笑った。太陽の光を受けた湖面のきらめきのような笑顔で、あまりのまぶしさに晶は思わず目を細めた。