「カートくん、おはよう」

 脱いだスニーカーをしまおうとしていたカートにナマエが声を掛けた。
 時刻は朝8時過ぎ。
 昇降口にはたくさんの生徒の声が響いていたが、2人のクラスの下駄箱周りには誰もおらず、ゆっくりと靴をしまいながら話をする。
 今日の英語当たりそうで嫌だな〜。
 古文の宿題ムズくなかった?
 そんな他愛もない話をしているとき、カートのスクールバッグからかつん、と何かが落ちた。かすかな音だったからかカートは気が付いていない。その音が聞こえたナマエはキョロキョロと周りを見渡した後、落ちていたそれ——学生証に気が付いた。

「カートくん、学生証落としたよ」
「え、まじ」

 ナマエは少し屈んで落ちた学生証を拾った。学生証に書いてある名前と写真を確認して、顔をあげる。その瞬間。
 振り向いて拾おうとしたカートとぴったりタイミングがあってしまった。

「っ?!」
「……え」

 カートの柔らかな頬の部分に、ナマエの唇が当たった。

「ごっ?! ご、ごめ、ごめん!」
「ア、ウン」
「大丈夫?! いや大丈夫じゃないか?! い、嫌だよねごめんね本当に! 拭いて!」
「ウウン」

 ナマエは中途半端な体勢のまま固まってしまったカートに無理矢理ハンカチを握らせ、何度も謝ったあと立ち去ろうとするが、その手にあったものを思い出して振り向く。

「あ、あの、これ! 学生証! 本当にごめんね! お大事にね!」
「ウン」

 パニックのあまり、よく分からないセリフを残して、ナマエは走っていく。
 程なくして、同じクラスのマックスが登校してきたが、カートはハンカチと学生証を握りしめたまま、靴箱の前に立ち尽くしている。なにしてんの、と問われてもあーとかうーとかを繰り返すのみで、マックスは首を傾げた。



 その日のカートは酷い有様だった。
 当たりそう、とナマエが言っていた英語の授業で当たったのはカートだった。だが、何度名前を呼ばれても明後日の方向を見たまま。見兼ねたマックスが代わりに答えて、なんとか事なきを得た。
 得意の体育でも上の空で、グラウンドで突っ立ったまま顔面にボールが当たる始末。

「カートくんさあ、本当にどうしちゃったわけ?」
「……ほっぺ……やわらか……」
「はあ?」

 保健室に付き添ったマックスがカートに問いかけるも、要領を得ない言葉が返ってくるのみでため息をつく。
 カートを保健室に預け、グラウンドに戻ろうとしたところで、水飲み場にいたナマエを見つけて声をかけた。

「ねえ、なんかカートが朝からおかしいんだけどさあ、ナマエちゃん何か知ってる? ほっぺがどうとか、柔らかいとか、よく分かんないこと言ってたんだけど」
「ぅえっ?!?!」

 ビシャ、と勢いよく水が飛び出す。
 蛇口を閉める所を間違って思いっきり開けてしまったらしい。真っ赤な顔であたふたとしているナマエを見て、目聡いマックスはピンときてしまった。
 
「……オッケー分かった! マックスくんに任せなさい!」
「ちょちょちょ! ちょっと待って?! 何?! 何する気?!」
「良いこと!」

 マックスが異様にウキウキしているときは、良くないことを考えているときである。
 回れ右をして、保健室の方へと走っていったマックスを、ナマエは慌てて追いかけた。