折原臨也

高価そうな黒色を基準としたベッドにそろそろと忍び寄ると、少女はぴょんと一飛びして眠っている人物の事など一切考慮せず、膝から柔らかなベッドの中心へと落下した。片方の膝は無事ベッドへと着陸したが、もう片方はベッドの持ち主の腹部を強打した。
「カハッ」
と腹から空気が絞り出されたような悲鳴をあげ、この日は珍しくも比較的熟睡していた男は激痛と共に覚醒した。
少女は男が悲鳴をあげたことも、自分の膝が男の腹部を圧迫していることも全く微塵も頭になかった。そしてあったとしてもただの一欠片も詫びる気などなかった。そのままぺたんと男の腹辺りに座り込み、呼吸を整えようとしている男の顔を覗き込む。
「いーざやーんおーはよー」
「ハ、っ、ゲェッ」
「一緒に寿司食べに行こー?」
バシバシと力加減を考えずに寝起きの人間の頭を叩きまくっている。通常なら、体制を整えた男にベッドから放り投げられ激怒されるだろうが、この男は全く正常ではなかったためそのまま笑いだした。
「はっ、あはははは!凄いねぇ名前ちゃんどうやって侵入したの?住所も鍵も一般人には探れないように色々細工したんだけどなぁ!」
今さっきまで嗚咽混じりの悲鳴をあげていたとは思えない饒舌さで男が喋りだした。名前と呼ばれた少女には暗がりで男の表情は全く見えなかったが、笑い声を聞くにどう考えても満面の笑みであった。
少女的にはこの男が怒ろうが笑おうが知ったこっちゃないという感じだったので、ぺらぺらと喋り続ける男の方を馬乗りのまま観察していた。
「寿司が食べたいならいつもの所に食べに行こうか。あぁそれとおはようって聞こえたけど気のせいかな?今夜中の2時のような気がするんだけどね」
「2時だね!」
「うーん、ならこんばんはなんじゃないかな?」
「うるせぇ!」
少女は男の横っ腹に拳を叩き込んだ。男も避けようとはしたがあまりにも動作が突拍子もなく、また馬乗りになっている脚が逃がすまいとガッチリ固められていたため直に腹に衝撃を受ける。当然のように加減など全くされていない。更に付け加えるなら、少女が意図していたかは分からないが最初に膝を受けた箇所と同じ場所であった。
「っ、ぐぅっ」
「すーしーすーしーすーしー」
「っま、まだ開いてないよお店…」
「あけろやー!」
理不尽極まりなかったが、男は少女の物言いにこれといって怒った様子はない。それどころかうっすら笑みすら浮かべていた。痛みはあるので苦痛そうではあるが。
「いやぁ嬉しいなぁ、俺とご飯を食べるためにわざわざこんな夜中に訪ねに来てくれたわけ?住所も鍵も入手するの大変だったでしょ?光栄だね、もちろん全て奢るから、なんならそのまま夜も鍋とかで締めようか!」
「勝手に決めんじゃねー!」
今度は顔面めがけてのストレートパンチだった。が、流石の男も予期していたのか今回は右に避けることができた。少女は別に当たっても当たらなくてもどうでも良かったようで、続けて次を放つことはなかった。
「いや本当に元気だね君は!」
「寝る」
「…えっ」
全ての行動に突拍子がなく、どんな人間のどんな行動も"愛せる"男からしても、少女の気まぐれすぎる挙動は予想外だった。まさかこれだけ暴れてモゾモゾと布団に潜り込み隣で丸まって寝るとは。
しばらくしてスー、スー、という規則的な寝息が聞こえてきた。さすがの男…折原臨也にも、絶句せざるを得なかったが、それも数秒の間。ぱちくりと眠る少女を見ては、また笑いだした。
「あはははは寝る!?嘘だろ君どんな神経してるんだよ猫にでも乗り移られてるんじゃないかい?ねぇ本当に寝たの?…寝てる!いやぁよく寝られるね君!」
すやすやと眠る少女には何一つ届いていなかったが、男も別に起こすために喋っているのではなくこれはもう一種の病気のように口から言葉が滑り落ちているだけだった。
よく見ると少女は制服のままだ。学校帰りからそのままなのだろう、ベッド脇には少女のリュックが雑に放り投げられている。自身の妹も通っている高校の制服が皺になるなと思うも、少女が爆睡していてはどうすることもできない。
「どうしたものかねぇ」
臨也は眠る少女を見ながら呟いた。だがまぁ少女がわざわざ自分に会いに来てくれたのだから(恐らく寿司目当てで)今日の朝はご飯を共にして愛する人類の1人である彼女を観察するのも悪くない。鍋も一緒に食べられるし。
ベッドから降りてデスクに座る。もう完全に眠気が痛みで吹っ飛んでいた。強打された脇腹を服をめくって見てみれば微かに鬱血していた。「………」若干停止するも、特に何か言うでもなくめくっていた裾を元に戻した。夜明けまで、少女がモゾモゾと動き出すのを待とう。臨也はニヤニヤと笑いながら、いつものチャットルームにコメントを残した。

甘楽:わぁーい!今日、友達とお寿司食べに行く予定ができました〜*そのまま夜もお鍋パーティー!

書き込めば、よかったですね!と幾人かからコメントが返ってくる。そんな嘘とかついて虚しくないんですか?というコメントを打つ画面の向こうの人間を想像して、またニヤニヤと笑った。起き抜けの少女に、脳天から蹴りを入れられることも知らずに。