鬼灯

家の裏の小さな山には古びた社がある。おばあちゃんに1度だけ小さい頃尋ねたことがあったけど、なんとかかんとかの鬼神さまをお祀りしてるんだよと言われた気がする。小ぶりな社で、ネットの掲示板とかにある異世界系の体験談とかに出てきそうな雰囲気。手前に苔むした灯篭がふたつあって、誰も掃除には来ていなさそうだったのを覚えてる。それも仕方ないかもしれない。木が鬱蒼と茂っているし、道程に社以外何も無いし。社を目的に来ている人なんて、私以外いないと思う。

今日も清めの水を持って、社の掃除に向かう。制服のスカートの下にジャージを履いたスタイルで家を出る私に、弟が「ダッサ」と吐き捨ててきたので蹴りを入れて裏山へ向かった。社まで歩いて10分くらい、落ち葉と木の根っこが敷き詰められた道をスニーカーで歩く。さすがに熊が出るような山ではないけど、狸なんかはよく出る所だ。風でカサカサ揺れる木々にビビっていたのも最初の方だけで、今は黙々と目的地へ進んだ。
相変わらず掃除しても掃除してもボロっちい社だ。とりあえず、水を灯篭にかけて社の後ろに置いておいた雑巾で満遍なく磨いていく。あらかた拭き終わったら、社の前に持ってきたみたらし団子を2本プラスチックのパックに入ったまま供えた。いつもの時間まであと数分、適当にその辺に座って空を見上げて待つ。今日は曇りだ。

「おや、今日はみたらしですか」
ぽけーと空を見上げていたら、いつの間にか目当ての人物がやって来ていた。尖った耳、口の両端から飛び出るくらい鋭い牙。切れ長の目に、墨をこぼしたような真っ黒の髪の鬼灯さんは社の中からひょっこりと姿を現していた。
「自分が食べたかったので」
「私もみたらし好きです」
スタスタと歩いて団子をひょいっと拾い上げた鬼灯さんは、そのまま輪ゴムを取って串を1つ取る。どうぞ、と私の方にそのまま残りを受け取るように促した。
「いや私が持ってきたんですけど」
「私に供えられたものなら私の物です」
もっちゃもっちゃ団子を頬張りながら言われた。ごもっともだが、なんという態度の尊大さだ。でもまぁなんか地獄のお偉いさんらしいので、通常運行なのかもしれない。
「ご馳走様です」
「あ、はい」
そのまま無言でみたらし団子1本を平らげた鬼灯様は、社の正面にドカッと座った。毎回思うけどそこ座っていいんだろうか…?
私はまだ3個目の団子を食べている途中だ。もぐもぐと頬張りながら、「ハァーーーー」と盛大にわざとらしいとも言えるため息をついた鬼灯さんを体育座りで見上げる。
「ひょうはどうひゃれたんれすか」
「ちゃんと口の中のものを無くしてから喋りなさい」
お母さんみたいな事を言われた。私がもくもくと噛んで飲み込むまで、鬼灯さんはしっかり待ってくれている。
ごくんと飲み込んだのを見て、鬼灯さんは毎回恒例の愚痴トークをはじめた。
「今日は2回もあのバカ神獣に会って最悪でした」
「えっと、白澤?さんだっけ?」
「違います、白豚です」
小学生かい、鬼灯さんは私の胡乱な目を気にせず続けた。
「いつも通り女性にへばりついた淫獣のケツをぶっ叩いてやってスッキリしたかと思ったら、宴会の席にもいやがったので金棒をおもいっきり振り回してきました」
「やりすぎじゃないですかね…」
毎度毎度、白澤さんとかいう神様の体の節々が心配だ。特にお尻。叩かれすぎでは?
私がそう言うと、鬼灯さんはムッと眉根を寄せて不機嫌になる。
「名前さんはあのアホと私どっちの味方なんですか!」
「いや、どっちの味方でもないですけど…」
巻き込まないで欲しい。まぁ、話を聞く限り鬼灯さんも理不尽に暴力を振るってる訳ではなく(理不尽な時もあるけど)、白澤さんが仕事をサボっていたり女の人と遊んで借金作ったりしていることも原因なのでどっちもどっちなのではないだろうか。
そう答えたら、どうやら不服だったらしい。更に不機嫌ゲージが上がってしまった。「私は悪くありません」とご立腹している。
「蹴ったり踏んだりしなきゃいいんじゃないですか?」
「踏みたくなる顔してる方が悪い。クリボーみたいなもんですよ」
「地獄にもマリオってあるんですね…」
「ありますよ。私、スマブラで誰にも負けたことありません」
妙に強そうだもんな…。テレビに向かってコントローラーをガチャガチャと動かしている鬼灯さんを想像したらちょっと笑えた。
その時、ピピピピ、という電子音が鬼灯さんの方から鳴り出した。電話のようだ、発信者を確認すると、チィッ!と物凄い舌打ちで電話をぶち切っている。
「え、あの、切ってよかったんですか」
「大丈夫です、上司からなので」
何がどう大丈夫なんだ!?よく分からないがこの人…鬼?やっぱスゲーと見ていたら、どうやら電話は切っても行くには行くらしく、トレードマークの金棒を担いで社の戸をパシッと開けた。
「すみません、せっかく週に一度来ていただいているのに、お話できる時間があまりなく…」
「え、いや、お構いなく…私、本当に掃除に来ているだけなので」
謙遜でもなくそう思った。だって来たとしても週一だし、掃除もざっとだし。お供えも鬼灯さんが現れるまでは掃除終わりのおやつみたいなもんだったから。
「……では、私が来なくても、いいということですか?」
予想外の言葉だったので、少し思考が停止してしまう。鬼灯さんは特にいつもと変わりない表情でこちらを見ている。この人怒ったり不貞腐れたりしている以外は表情ほんと変わらんな。
「来なくても、掃除には来ますけど…来なくなったら、寂しいですね」
正直に言っておいた。変に意地を張って来なくなったら本当はめちゃくちゃ嫌だし、実はというと鬼灯さん目当てで来るようになってしまっているのでそれはとても困る。
鬼灯さんは「そうですか」と自分で聞いておいて特に反応もせず帰ろうとしている。オイッなんだそれは。泣くぞ。
私が恥ずかしさと悔しさで顔を埋めて座り込んでいると、戸を閉める間際、鬼灯さんが呟いた。
「…次は、餡子がいいです」
ぱたん、と社の戸が閉まる。途端に今まで風景だった物の音たちが、騒々しくカサカサと鳴りはじめていた。惚けていた私は、しばらくして空を見上げる。
「あ、また来てくれるんだ…」
そろそろ帰らなければ、夜の山道は慣れていても怖い。いつか社の前だけでなく、この道も鬼灯さんと歩けたらな、と考えながら私は帰路についた。一週間後、美味しい餡子のお団子を見つけなきゃなと思いながら。