毛利元就(bsr)

静かな屋敷にどしどしと無遠慮な足音が鳴り響く。元就は眉をひそめ、十中八九名前だろうと動かしていた手を止めて硯の上に筆を置いた。
「ハァッピィハロウィィィィィン!!!」
スパンッと開け放たれた襖から、文字通り頭のおかしい女が両手を広げ現れた。カボチャを頭に被り、トレードマークの狐面をその上からかけている。
わけがわからない…。元就はそう言って目頭を押さえたくなったが、皮肉なことにそれなりの付き合いなので、この程度のアホさなら見慣れている。
「今すぐその珍妙な格好をやめるか、この場から消え去るか選べ。さもなくば殺す」
「それ元就様流のトリックオアトリート?」
殺気を含めて睨みつければ、スポッとカボチャを脱ぎ捨て素顔を晒す。とぼけた表情の忍びは、ヘラヘラと明らかに機嫌の悪い元就に臆することなく近づいた。
「南蛮の行事だよー元就様ー。最近ね、九州の方の変な宗教団体が流行らそうとしてるんだってぇー」
被っていた中身が空洞のカボチャをぺしぺしと叩きながら名前が言う。懐かしいなーとどこか遠くを見つめながら、元就にとって至極どうでもいい話をする忍びに、元就の機嫌はさらに悪化していく。
「くだらん。そんなことを報告しろと言った覚えはない。消えろ」
冷たく言い放つと、また筆を手に取り墨をつける。だが忍びは立ち去らずに、座り込んだままカボチャを太鼓のようにポコポコと鳴らしている。
「それがね、結構好評でー、今ちょっとプチブームになってるんだって」
自分の命令に従わずに居座る忍びが間延びした調子で続ける。ぷちぶうむ、とか言うものが何なのかも分からないのがさらに腹立たしい。
「安芸より他が何をしようと興味などない。阿呆どもの阿呆な行事など、勝手にやらせておけばよい」
「これに今1番ハマっちゃってんのがね、長宗我部のとこなんだって」
長宗我部、という名前が出てきた瞬間、元就の肩がピクリと動いた。何かと元就に楯突いてくる煩わしい海賊風情のヘラついた顔を思い出すだけで、胸の辺りがムカムカとしてくる。
「頭が空洞であるから入りがよいのであろう。知ったことか、馬鹿は遊ばせておけ」
「でもさー、ぜったいこっち来ると思うんだよなー、長宗我部元親」
持っていた筆がミシリと軋む。何故だと視線で促せば、忍びは「だって」と続けた。
「こんないい建前の行事、ないもーん。トリックオアトリート!って言ってねー、お菓子をくれなきゃイタズラするぞ〜って、訪ねまわるんだよ。お化けとかの仮装して」
がおー、とポーズを取って言う女の話の意味が全く理解できない。はぁ?と眉をひそめる。
「それの何が楽しい」
「お菓子貰えたら嬉しいでしょ?貰えなくてもイタズラできるから楽しいでしょ?」
全然理解できない。眉間に皺を寄せたまま固まる元就に、忍びは気にすることなく話す。
「それがね、海賊にぴったりだぜぇ〜とかいうノリで暴れまわってるんだって。雑賀衆も今呆れてるみたい」
何をやっているんだあの四国の恥さらしは。元就は今日何度目かの頭痛を感じた。あんなのが隣国にいるという問題を一刻も早く解決したい。長宗我部軍を滅ぼすという方向で。
元就が長宗我部をどう滅ぼすかを思案しているとは知らず、カボチャに肘をついて頬杖をついている名前は「たぶんそろそろここ来ると思うなぁー」と能天気に言った。
「…………何?」
「そろそろ瀬戸内まわって来ると思うよ?どうする?元就様」
なんでこの忍びはこんなにのんびりしているんだ。ふつふつと湧く怒りを今更伝えたところで名前から返ってくる言葉は「ごめーん」とかなので言う気にもならない。
「…捨て駒共を集めろ。そのまま海底に沈めてやる」
立ち上がり自らも支度をしようとすると、ぱっと立ち上がった名前が嬉しそうに寄ってくる。
「あのねぇ!これはすごーくいい話なんだけど!」
なんだ、と何故か2人以外誰もいないのに耳打ちしてくる忍びに文句を言おうとしたが、その内容を聞いて元就が思案する。
「…ほぉ?」
「どうかなぁ」
笑顔の忍びが、ワクワクと胸の前で手を握る。元就は慌てふためく長宗我部の忌々しい顔を想像した。
「いいだろう」
くるりと背を向けて元就が名前の案を受け入れた。屋敷の人間に命令を伝え、困惑して疑問を投げかける部下達に無駄口を叩くなと一蹴して準備に向かう。その後ろを、嬉しそうにぴょんぴょんと名前が跳ねていた。







「ハァーッハッハッハッハッハッハ!海賊様が遊びに来てやったぜェ!毛利ィー!」
いつにも増して威勢のいい男の声が海辺に響く。それに続いてアニキィー!!と続く野郎共の声も、より弾んでいる。長宗我部はいつも身につけていた服装とは別に、特別に着込んだ貴族風の洋服で甲板に立っていた。肩のオウムは、何やら真っ白い布を被り目の部分だけ穴を空けている。野郎共はそれぞれ思い思いに仮装を楽しんでいるようで、ミイラ男だのオオカミ男だのいささか目にうるさい光景だった。
「目が腐る…」
元就は見ただけで青筋をたてて、ただでさえ鋭い目をさらに釣り上げて激怒していた。何もかもが癪に触るらしい。普段の冷静さはどこへやら、イライラと足踏みまでしていた。
それを見ていた部下達はあまりの怖さに震えていた。ただ横についている狐面の忍びだけは、長宗我部軍の方を見て「うける。水上パレードじゃん」とニコニコしていた。
「トリック!オア!トリート!毛利さんよォ!お菓子をくれねぇんなら…イタズラさせて貰うぜェ!」
「トリック!オア!アニキィー!」
わけのわからない合いの手を入れている野郎共に名前が爆笑している横で、元就は涼しい顔をして、けれどありったけの侮蔑を込めてフン、と鼻を鳴らす。
「とりーとだ。長宗我部」
「…ぁあ?なんだって?」
予想外の返しだったらしく、長宗我部が見るからに狼狽える。周りの野郎共も、なんだなんだとザワついていた。
「菓子が欲しいのであろう?よい、持っていけ」
「は、お、おいおい、どういう風の吹き回しだァ?毛利が菓子を振る舞うなんてよォ…」
「ア、アニキ…話が違うじゃねぇか…毛利の野郎はこういうのに興味ないから、戸惑ってるうちにボコボコにしちまおうって予定だろ?」
「う、うるせぇ!ハッタリだハッタリ!お得意の嘘だぜどうせよ!」
長宗我部が困惑しているのが余程嬉しいのだろう。珍しく口角を上げて元就が手で合図した。すると、海上から何かがせり上がってくる。驚いた長宗我部達が口を開けて同じ方向を見ていた。
「なに、せっかくだ。菓子もやるしイタズラもくれてやる。嬉しかろう?」
「は、はぁ!?」
巨大な大砲を長宗我部のいる船に向けて発射の用意を促せば、長宗我部軍の男たちはワタワタと元親に詰め寄った。
「ア、アニキィ!?毛利の奴マジで準備万端じゃねーですか!?どこかから情報掴まれてたんじゃ!?」
「あんのやろぉ…!オイ!野郎共!負けてらんねぇぞ!大砲向けろ大砲ォ!」
「アニキィ〜!間に合わねぇぜ〜!」
ドカン!と爆音をたてて、長宗我部の船に何かが撃ち込まれ、野郎共が幾人か吹き飛ばされて海上へ落ちていく。クソ!と振り返る長宗我部が目を剥いた。
「ア、アニキ…なんか、鉛じゃないみたいなんですけど、これ…なんですかね…」
ゾンビの化粧をした部下が、べとべとになった体を見せてくる。かなり甘い匂いがして眉を顰めると、またズドン!と大砲の音がする。
「っだぁ〜!なんだこれ!毛利ィ!」
たまらず叫ぶと、元就が勝ち誇った顔で見下して言った。
「もみじ饅頭ぞ」
「は、……………はぁ〜〜〜〜!?!?」
思わずまた叫んだ元親に、ドガッと強烈な勢いでもみじ饅頭が撃ち込まれた。痛いが別に体を貫通する訳では無い。吹っ飛ばされ、爆散した餡子が口や鼻や目に容赦なく飛びこんでは来るが。
「安芸の名産である。遠慮するな、どんどん食せよ」
「う、ぐぇ、あっま!うがっやめ!オイ!野郎共!撤収だ!てっ、いってぇあっめぇ!」
ワーワーと慌てふためく野郎共に撤退命令をするが、なにやら様子がおかしい。大砲はさほど大量に撃ち込まれてはいないので、逃げられないこともないはずなのだが。
「アニキィーーーー!」
「オイ!どうした野郎共!」
「な、なんか、変な南瓜頭の女が、南瓜の煮付けを口に突っ込んできやがるんだけゴポォッ」
「煮付け食べろーーーー!」
「なんだお前ーーーー!?」
部下が突然白目を剥いたかと思うと、目の前にカボチャを被った女が現れた。小脇に抱えた鍋に、大量のカボチャの煮付けを携えている。片手にしゃもじを持ってこちらの口に目掛けて誰彼構わず突っ込んでいた。
「な、なんだアンタ!もしかして、マジモンの化け物じゃねーだろーな!?」
流石に理解が追いつかないようで、長宗我部がそんなことを口にした。その口めがけてカボチャ女がしゃもじを突き立ててくるので、槍を使って応戦する。
「トリックオアトリートじゃー!」
「それは俺らの台詞だァーーーー!」
そう言って槍を振り回す。すると、ヒラリとかわしたカボチャ女がチッチッチッとしゃもじを振った。
「だからぁ、そっちの番は終わったでしょ?」
「あぁ?!…どういうことだ?」
意味がわからず聞き返す長宗我部に、ふふんと仰け反って名前は返した。
「貰ったでしょ?もみじ饅頭。だからぁ、もうそっちの番は終わりなの。今度はこっちの番、でしょ?」
意味が分かったのか、サッと長宗我部の顔が青ざめる。げぇ、と口から声が漏れた。
「トリックオアトリート!それで、海賊さん。なにか、お菓子は持ってきてくれたのかにゃあ〜?」
当然奪う気でいたので、そんなものは持って来ていない。長宗我部はか細く「ね、ねぇわ…」と返した。それに野郎共が「ア、アニキィ〜」と悲しげに反応する。
「ではイタズラをします。煮カボチャ食えーーーー!」
「ごっ………あっうめぇこれうごぁっ」
「アニキィーーーーーー!!!!!」
ギャーギャーと船にの上で繰り広げられる茶番を、珍しく快勝で終えた元就が、もみじ饅頭を頬張りながら眺めているのであった。