♪美しいその様に

「マスターたち、ここまで来れるかな」
「きっと来ますよ」
どこかのどこか、そのまたどこかの、微小特異点。朝が来ない白夜の続く世界で、アルジュナオルタとアサシンの少女は、はぐれサーヴァントとして召喚されたその世界で小さな歯車として存在していた。海の上のガラス張りの家。与えられた配役は、魚の飼育と観察をする研究員だ。
「それにしても、なぜでしょうね」
「何が?」
研究員だから、といって雑に羽織わされた白衣をつまんで尋ねた。
「なぜ我々が、こうしてここに呼ばれたのでしょう」
「アルジュナ来たばっかだもんね。こういうのよくある事だよ。それに私、魚好きだから楽しいよ」
透明な螺旋階段を降りていく。外側が全てが海水に包まれた部屋の中は、下へ降りるにつれて、海中へ沈む感覚にさせた。ここはまだ浅い。小魚の群れが、銀色の鱗を瞬かせた。
少女がガラスの壁に触れた。水圧にも耐えるその巨大なガラスは分厚いが、水槽の中を鮮明に写していた。指先が1匹の魚をなぞる様に、ガラスを撫でている。
「アルジュナは?」
少女の問に、アルジュナオルタは無言になる。好き嫌いを絶ってこその自分だが、ガラスの向こう側で、優美に泳ぐ生物が嫌いだとは思えなかった。
「綺麗です」
「ねー」
2人は階段を降りていく。まばらに置かれた白熱灯だけが照らす室内も、だんだんと仄暗い海の色に染まりだした。
「小さいねぇ」
稚魚が2人の横を通り過ぎた。透明な体を震わせながら、どこかを目指して消えた。
「魚って、何考えてんだろうね」
少女がアルジュナオルタを見てそう言って笑った。
「感情ってあるのかな」
階段はまだ下まで続いている。2人はただ降りていく。中深層を越え漸深層へ、光の届かない場所へ。
「神様みたいだね」
少女はにっと歯を見せてイタズラっ子のようにまた笑った。そう言われた方は、観念したように尻尾を揺らしてようやく口を開いた。
「似ていますか?」
「へへ」
少女が曖昧に笑って水槽の方を向いた。真っ暗な水槽では、不思議な虹彩を放つクラゲが泳いでいた。
「こいつさ、自分がどんな姿なのか、見たことあるのかな」
コンコンとクラゲをガラス越しに叩いている。クラゲは気にもせず、2人の目の届かない暗闇に溶けていった。
「さぁ。でも、知らなくてもいいのでは?」
「なんで?」
「そういうものだからですよ」
そう言えば、あまり共感は得られなかったらしい、首を傾げていた。その奥では、ウミユリがゆっくりと体をうねらせている。
「いいなぁ気楽で。こいつらって人と違って生まれて死ぬだけじゃん。…あ、シーラカンス!」
「人と何が違うのですか?」
「はは」
笑われてしまった。失言だったと思った。
「同じに見える?」
コチラをみて笑う少女とシーラカンスの目が、同時に自分を見ていた。
「………」
「おーい」
意地悪しすぎたかな、と少女はちょっと反省して、冗談だと謝ろうとした。
「人が魚と同じだったなら、戦争も起きなかったでしょうか」
「こわいよ」
いつの間にか最下層に降りてきていた。最後の段を降りて、冷たい大理石のホールで少女が上を見上げた。
「人間がただ進んで目の前にある物を口に入れて排便してても可愛くないよ」
そうでしょ?と少女が言った。
「君が守りたかったものって、そうじゃないでしょ?」
水槽はただ暗かった。部屋のなかも暗く、少女の輪郭さえ曖昧で、自分の体も闇に紛れてあるのかないのか曖昧になるほどだった。
「暗いです」
「そうだね」
「暗くて、何も見えません」
「そう?私は結構夜目が効くからなぁ」
「私が見えますか?」
「見えるよー」
ほら、と手を握られた。そのまま手を引かれるので、少女が歩くままに進んだ。
「もう帰ろ。深海魚もみんな元気そうだったし。上の水槽の子達にごはんあげなきゃ」
少し浮いている自分と違って、少女が段差を踏みしめながら今度は螺旋階段を上へと登り始めた。手はまだ繋いだままだった。
無言で2人は進んでいく。先程すれ違った水槽の中の魚たちは、変わることなくその限られた世界を全てにして泳いでいた。程なくして、部屋は暖かな光を取り戻しはじめた。
そこでようやく少女は手を離した。アルジュナオルタは、遠くなった温かさを少し残念に感じた。
「もう見えるでしょ?」
「ええ」
少女の形のいい輪郭も、自分の指先も、もうくっきりと見えていた。水槽の中の魚たちも、姿を増やして賑やかになっている。
「マスターが来たら、どうしよっか。でっかいサメとか見せる?」
「怖がるのではないでしょうか…」
水の色が明るい翡翠の色に変わって、色鮮やかな小魚が2人の周りを泳いでいた。足元から見えるさっきまで2人の居た最下層は、落ちればそのまま消えてしまいそうなぐらいの真っ暗闇だ。
「アルジュナー」
下をぼぅっと見ていたら、先を進んでいた少女に声をかけられたので顔を上げた。天井から差す月明かりが眩しい。
「どうしたの?そっちはもう行かなくていいんだよ」
不思議そうにしながら、立ち止まってしまっていた自分を待ってくれていた。すみません、と声をかけて隣へ追いつく。
「さっきの話なんだけどさ」
顔を水槽に向けて、ヒラヒラと美しい尾ヒレを靡かせる魚に目を向けながら少女が思い出したように言った。
「君と魚は似てるけどさ、そういう意味じゃなくてね」
見つめられていた魚は水槽の奥へ消えてしまった。少女がアルジュナオルタの方を向く。
「綺麗だから似てるってだけだよ」
「…え?」
予想外だったのか、アルジュナオルタはキョトンとしていた。
「よく分かりません、私には…」
「マスターもアルジュナのこと綺麗だって言ってたよ」
「え」
何を言われているのか分からず困ってはいるが、その顔は驚きつつも照れている様に見える。にこにこ笑って、少女がまたそんな彼の手を引く。
「行こ。そろそろマスターも来るんじゃないかな。2人で出迎えてあげようよ」
ぐいぐいと引っ張られながら、最上階へと向かった。すると、本当に辿り着いてくれたようで、頭上ではマスターの声と協力しているサーヴァントたち、そしてカルデアの皆の声が響いていた。
「あっきたきた。なんかカーマちゃんの声聞こえない?」
自分はまだ若干頬の熱が残っていて落ち着かないが、手を引く少女は止まってはくれない。
「もう大丈夫だよね」
マスター達の顔が見えてきた所で、少女は手を離した。辺りは夜だが、そこは眩しい光に包まれている。
「ね、アルジュナ」
呼ばれて顔を見た。少女は笑っている。
「そうでしょ?」
その後ろでは無言の魚達が、ただただ生きるためだけに、人工の海を旋回していた。その光景は美しくて、彼は少女と一緒にマスターの待つ方へと向かう。
足元に広がる暗がりを、振り返ることはしなかった。





ジン/創の手