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「佐一くんたち、大丈夫かなぁ」
「杉元より漁師の心配をしてやれよ」
「……うん。あ、由くん足元気をつけてねぇ」
 葛葉が台詞を言い終わるよりも早く、クジラがぐんと速度を上げた。水しぶきが容赦なく船を襲い、白石は思わずたたらを踏んだ。白石は仕方なく座り込み、体勢を整えた。
 一体いつまで船に乗っていれば良いのやら。聞くところによると、クジラが毒で弱りきるのに一日か二日かかるらしい。そんなに悠長にしていたら、潜伏しているであろう辺見和雄が姿を晦ましてしまうかもしれない。
 運が良ければクジラは岸へと打ちあがる、とのことだがはたして勝率はいかに。
「そうだ。由くんあのね」
「なぁに葛葉チャン」
「おじいちゃんを騙し通せると本当に思ってる?」
「……おじいちゃん、って、誰」
 嫌だな、分かってるくせに、と背後で笑う葛葉。何だか、嫌な汗が背筋を伝う。喉は急に渇きを訴え、心臓がいつもより速く動いている。葛葉が、ゆっくりと口を開こうとしている。やめろ。よせ。その先は。
「土方のおじいちゃんに決まってるじゃない」
 ざあ、と音を立てて血の気が引いていくのを感じた。
 何故それを知っているのか。杉元に伝える気はあるのか。言いたいことは多々あれど、どの言葉も素直に喉より外へ顔を出してはくれない。
 久々に葛葉の恐ろしい所を見たような気がする。まるで過去を覗き見ているんじゃあないかと思うくらい正確に、ぴたりと過去を言い当てる。そうだ、こいつはそういう奴だったじゃないか。
 近頃は他人の命をどうとも思っていなさそうな杉元も行動を共にしていたから、忘れていたが、葛葉も大概、底の読めない、怪しげな人間だったじゃないか。
「そんなに怖がらなくても良いのにぃ。佐一くんには言わないから、安心して。……あーあ、折角忠告したのに由くんったら自分から狼の巣穴に飛び込むんだから、びっくりしちゃったぁ」
 巣穴に入った方が安全なのって羆くらいじゃない? と、いつもの調子で葛葉が笑っている。
 葛葉は嘘を吐かない。湾曲して分かり難く言葉を渡すことは多いが、今まで一緒に過ごしていて、嘘を吐かれたことはまだ一度もなかった。だから白石は、杉元には言わない、という葛葉の言葉を一旦信じることにした。
 心臓はいつの間にか落ち着きを取り戻していた。ふー、と息を深く吐いて前を見据える。
「……悪いようにはしない」
「うん。由くん頑張ってるもんね、知ってるよぉ」
 一等優しい声を出して、葛葉は口を閉じた。波を切る船の音だけが白石の鼓膜を支配する。先導するクジラはまだ、元気そうだ。
 白石は念のため、今の会話は他言しないで欲しいと同乗していたアイヌの漁師に頼むことにした。