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「やだかわいい」
 杉元は小さな福寿草が地面から一生懸命に顔を出しているのを、白石と共に愛でた。まだまだ雪深く、夜になると特に冷え込むがそれでも、小さな春の兆しを見出した。
 福寿草、小さな黄色い花をつけるそれは、アイヌではチライ・アパッポ――イトウの花と呼ばれるらしい。この花が咲くころになると、イトウが川を上ってくるためだとか。
「どんなに大きなラオゥマプでもイワン・オンネチェプ・カムイは捕まえられないんだろうなぁ、あな恐ろしや……」
 アシリパが、努めて低く恐ろしい声を出してそう言った。
 曰く、およそ二十五貫ほどの、羆でさえも飲み込んでしまうほどの大きなイトウだそうだ。ああ恐ろしい恐ろしい、と呟くアシリパに、葛葉は面白そうだね、と気の抜けた笑顔を向けている。
 せっかくなのでイトウを獲ろう、ということになり川べりを歩く。すると、大柄な男性が漁をしている所に遭遇した。どうやら彼も、イトウを獲っているらしい。
 男性の正体を認識したアシリパがあっと声を上げる。
「キロランケニシパ!」
 アシリパに声をかけられた男性が、悠然とこちらを向く。
「アシリパか?」
 アシリパの父の、昔の友人だという彼は、イトウは分けてはくれなかったがタモ網を貸してくれるという。テシ、というものでせき止められた魚をすくうだけだから簡単だ、と言われ、白石がすくうことになった。
「由くん、落ちないように気をつけてねぇ」
 と、葛葉に声をかけられ、そこまでドジじゃないさと白石は確かに返した。その瞬間、桟橋の板がばっきりと折れ白石は頭から落ちた。相変わらずの間抜けだ。
 助けて冷たい!! と必死に声を出す白石に近寄った。
 かと思ったら、白石は魚に食われた。
「イワン・オンネチェプ・カムイだ!!」
 これがあの。確かに、恐怖を覚えるほどの大きさだ。
 杉元とアシリパがわあわあと騒いでいる間にキロランケが小刀を手に川へと飛び込んだ。
 川の表面に波紋が広がり、川の中ではキロランケがイワン・オンネチェプ・カムイに組み付いている。杉元は、白石がすでに飲み込まれてしまったのでは、と危惧した。
 一瞬の静寂の後に、イワン・オンネチェプ・カムイと共にキロランケが地面へと打ち上げられた。キロランケは着地の衝撃を、体を転がすことで殺した。
「白石はどうなった!」
 慌てて、打ち上げられたイワン・オンネチェプ・カムイに駆け寄った。
 白石は……白石は生きていた。イワン・オンネチェプ・カムイに下半身を銜えられながらも、にゅ、っと出ていた上半身は確かに息をしていた。下が魚で上が人間。この姿はまるで……。
「人魚だ」
 誰に聞かせるでもなく、杉元はぽつりとつぶやいた。