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 いつからでしょうか、分かりません。だけれども、過去か未来のどちらかから始まったのでしょう。そして、始まりではない片方に流れ落ちて往くのでしょう。
 始まりがあって、予定通りに流れて往くのならば、終わりも自ずと知れましょう。終わりからもまた、始まりのことが知れるでしょう。
 冗談めかして伝えども、児戯として相手にされないのです。
 膨大な洪水の中の一滴にも満たない言の葉など圧縮されて消えてなくなってしまうのですから。僕たちはその圧縮された中に寄り添うようにして生きているのです。
 お父様は仰ります。立派な人間に成るのだと。立派な人間は御手付きをするのでしょうか。
 お母様は仰ります。誠実な人間に成るのだと。誠実な人間は不義を働くのでしょうか。
 立派なのも、誠実なのも、理解しがたいものでした。何故ならそれは、他人からの評価あってのものだからです。
 僕はただ、あらかじめ決められた通りに過ごしているだけなのです。高い高い空の上から決められていることです。
 そのために、少しだけ他人のことを垣間見ます。それらも全て決まっていることなので、僕にはどうにもできません。例えるならば、それは神様の思し召しだからです。人智の及ばない、何者かが決定したのです。
 決められた枠組の中で生きています。僕も、他人も。動物や水や木、何もかもが。
 ほんの少し過去や未来のことを教えただけで他人は恐れ、あるいは敬います。おかしなことです。
 決められた筋道は、誰でも閲覧することができるのですから。他人に教えられなくても自分で見れば良いのです。
 けれども、ほとんどの他人はそうしようとはしないようなのです。忘れてしまっているようなのです。僕は覚えています。
 本当は見ないほうが良いのでしょう。自分で選択しているように見えて、実は全て決まっているということは知らないほうが良いのでしょう。
 僕が分かるのは、過去にあったことだけです。先のことは分かりません。けれど分かります。船が上流から定まった航路を下るように分かります。
 全て円環のように繋がっています。ぐるぐるぐるぐる。際限なく。決められた中を廻っています。
 過去を知れば未来が分かります。未来を知れば過去が分かります。現在は丁度その真ん中あたりを絶えず移動し続けています。繋がっています。
 海に沈んでいるような頭を抱えて、僕は円環から零れ落ちた情報を食べて生きています。