交差

 捕まった白石を奪還すべく、杉元は詐欺師の鈴川と共に歩兵第二十七聯隊の兵舎へと乗り込んでいた。それは、網走監獄の犬童四朗助とその部下になりすますという、大胆なものだった。敵陣真っ只中。もしバレてしまえば、戦闘は避けられないだろう。
 鈴川の詐欺師としての実力は大したもので、聯隊長である淀川中佐を引きずり出し揺さぶりをかけることまでも成功せしめたのだ。このまま何事もなければ上手くいくのではないか……杉元のそんな思惑は、青年将校が現れたことにより瓦解した。
 浅黒い肌をした青年は、厄介なことにも鶴見から犬童の情報を得ていたらしい。理解し難い薩摩の言葉を降り掛ける。それでも鈴川は、自信たっぷりに対応してみせた。
 ふと、こんこん、という緊迫したこの場には似つかわしくない軽い音が響いた。失礼します、と一声かけてから入室したのはまたしても青年だった。鯉登と揃いの白い軍服を着こみ緩く笑みを浮かべた彼は、軍人としては少々心もとない体つきをしているように思えた。
「遅いぞ! 名字!」
「鯉登くんが早すぎるんじゃないかなぁ」
 気安い会話を終えた名字の視線が鯉登から外れ、杉元と鈴川を捉える。そして、瞬き一つ。
「偽物だねぇ」
 瞬間。パァン、という銃声が二つ。鯉登の銃から煙が出ている。鈴川の頭に穴が開いている。こいつはもう駄目だ。銃撃を受けた反動によりどかりと床に倒れ込んだのは数秒にも満たないだろう。すぐさま立ち上がり白石の前に躍り出る。こいつに今死なれては、困るのだ。
「俺は不死身の杉元だッ!」
 威嚇するように大声を張り上げ、白石を引っ掴み窓の外へと身を躍らす。
 何か決定的な証拠があったわけでもないのに何故一瞥しただけでバレただとか、そういった疑問を今は置いておく。逃げるのが先決だ。撃たれた肩の出血を押さえながらひたすら前へと進む。



 鶴見からの伝令を受けた鯉登はすぐさま歩兵第二十七聯隊の兵舎へと急行した。
 失敗したなら叱られてしまう、けれども成功したならば褒めて貰えるかもしれない。逸る気持ちが身体にまで影響を及ぼし、ひたすら駆けていく。
 伝令を受けた際共に居た名字のことは置いて来てしまったが、今は誰よりも早く鶴見からの指令を遂行せねばならないのだ。名字は一応軍人の端くれだが身体能力は鯉登に大きく劣る。彼が兵舎に辿りつくのには走ったとしても時間がかかるだろう。
 兵舎にたどり着いた鯉登は階段を上り、網走監獄に居るはずの犬童四朗助が来ているという部屋へと入室する。
 犬童と思われる人物と、彼の部下だという不気味な男。鶴見の話によると彼らは本物ではないかもしれない、とのことだ。だが鶴見は、万が一本物だった場合は殺してしまえば後々面倒になる、と必ず本物かどうか確認するようにとも言っていた。犬童の情報は簡易ながら鶴見より聞いている。薩摩の方言を流暢に操る、下戸である、等。それらを使い、判別しなければならない。
 名字が遅れて来さえしなければ、事は一瞬で片付くというのに。
 士官学校時代から付き合いのある名字は、人の嘘を見抜くのがやたらと上手かった。例え相手が一言も発さなくとも一目見ただけで判別することが出来るのだ。今までそれは外れたことはなく、鯉登は名字のその才能を信頼していた。
 薩摩弁でいくつか質問をし、自然さを装って徐々に酒の話に持っていく。すると、こんこん、という軽く戸を叩く音が聞こえた。名字がやっと来たのだ。
「遅いぞ! 名字!」
「鯉登くんが早すぎるんじゃないかなぁ」
 相も変わらずふにゃふにゃと笑みを浮かべている。あまり息も切れていないし汗も掻いてはいないが、こいつは本当に走って来たのか? という疑問が鯉登の頭を過ぎった。
 そして、名字がぱちりと瞬きをして犬童を見る。
「偽物だねぇ」
 鯉登は迷うことなく撃った。パァンという銃声が二つ、犬童と部下に化けていた誰かを襲う。
 偽犬童の頭には風穴があき、そこから血を流して床に転がる。部下の方は……運が良いのか逸らしたのか、腕から血が出ているが致命傷には至っていないらしい。
「俺は不死身の杉元だッ!」
 不死身の杉元。こいつのことも鶴見から聞いている。鯉登にとっては、邪魔者以外の何物でもない男だ。
 杉元は白石を抱え窓から飛び出した。鯉登もすぐさま追おうと窓の近くへと身を寄せる。
「窓の近くは危ないよぉ」
 名字の言葉に、さっと身を伏せるとそこを銃弾が通り抜けた。まだ仲間が居るらしい。厄介なことに、狙撃の腕は良い仲間のようだ。
 状況を把握した鯉登は部屋を飛び出し走り抜けた。名字の、奴らが逃げるなら南の方だという言葉を背中で受け止めながら。