くるっくー

 早朝に目が覚めて、田崎のおはようが聞こえない今日はなんだか妙な気分だ。田崎は昨日から泊りがけの任務だかなんだかがあるらしく、夜まで帰ってこないのだ。
 田崎の気配がないと落ち着かない。だからだろうか、いつもより随分と早い時間に目が覚めたっぽい。なぜならば、福本が朝食を準備している音が聞こえるのだ。とんとん、という包丁の音。ほのかに香るみそ汁の匂い。主婦力パねぇな。
 匂いに釣られた俺は寝床にしているバスケットからそろりと抜け出して、食堂を目指した。
 てこてこ歩き、目的地である食堂の前までやってきた。だがここで、大きな壁にぶつかざるを得なかった。何でって? 鳩の俺じゃあ食堂のドアを開けられないんだよ。
「田崎の鳩じゃないか、どうしたんだこんなところで」
 ナイスタイミングだ小田切。お前も大概早起きだな、生真面目か。
 ともかく、現れた小田切に俺は食堂に入りたいとアピールした。ぽっぽぽぽっぽ。
 するとどうやら小田切は俺の意図を察したらしいが、調理中に鳩を同室に入れるのはどうなんだと悩み始めた。うんうん、衛生面とか気になるのは分かるが生真面目かお前は。
「入口で何をしているんだ」
 騒ぎを聞きつけたらしい福本がドアを開けて現れた。こんなにでかいのに割烹着が似合うあたり、主婦力の高さを誇っているな。
「どうやら鳩が食堂に入りたいらしい」
「そうか。……あまり調理場に近づかなければ問題ない。三好や実井は嫌がるだろうが、鳩の一匹なんて目じゃないほど粗悪な環境に身を置くことになるかもしれないからな。少しは慣れておくべきだろう」
 ひゃっほうこれで入室許可は得たぞ。調理場に近づいたらどうなるんだろう……。おっと福本、包丁を煌めかせるのは無しだぜ。鳩料理はおいしくないぞ。たぶん。
 ともかく、食堂に入室した俺は調理場から対角線上の一番日当たりの良い窓辺に陣取った。朝の陽ざし、あたたかいなり。
 福本は流石の手際の良さで、朝食を次々と作り終えていく。そしてそれを、小田切がテーブルに配置していく。まるで無駄のない動きだ。
 食堂の外が、にわかに騒がしくなる。どうやら他の学生たちも目を覚ましたらしい。何人もの男の声が聞こえる。その中に田崎が居ないのを、少しばかり寂しく思った。
 一番に入ってきたのは甘利で、窓辺に居る俺の姿を見つけると近寄ってきた。
「おはよう名前。今日は田崎が居ないから、こっちへ来たのかい?」
 甘利の言葉に俺はぽぽうと返す。甘利は一瞬、俺を撫でようと手を出しかけたが、朝食前ということを思い出したらしくすぐにひっこめた。田崎ほどではないが甘利も動物を撫でるのは上手い。逆に波多野や神永は結構力任せにがしがし来る傾向があるので要注意だ。あの二人はでかい犬と遊んでいる方が似合う。
 学生たちが揃ってテーブルに着き、朝食を摂り始める様を俺はぼんやりと眺めていた。三好からちらちらと視線が送られてくるのは、鳩が居るなんて不衛生だとでも言いたいからかもしれない。彼は潔癖というか、神経質というか……難しいお年頃なのだ。たぶん。でもまぁ、福本が許可したのだから俺は居座るぞ。
 学生たちが実にスマートに朝食を摂っていく。田崎にも言えることだが、彼らはまるで無駄のない動きをする。実に合理的で洗練されている。彼らのこういった面を見る度に、彼らは一体何者なのだろうという疑問が生まれはするが、どちらにせよ鳩である俺には関係のないことだ。適度に餌をくれて適度に構ってもらえればそれで良い。
 朝食はしめやかに執り行われ、既に片づけの段階へと移行した。食器はまとめられ、福本の居る流し台へと運ばれる。それを行っている神永を視線で追っていると、波多野と実井の影を感じた。
「歩き回るくらい元気なのに、未だ飛べないんですね」
「田崎が鳩に、怪我のせいで変な癖がついたら困るから完治まで飛ぶんじゃないぞ、って教え込んでたからな」
「だからといって、たかだか鳩が言うことを聞くものなんでしょうか」
 おお波多野、田崎の声真似上手いな。そして実井、表面上は和やかだが皮肉も入ってるだろそれ。
「それに、この鳩にだけやたらと甘いしなぁ、あいつ」
 食器の片づけを終えた神永が会話へと乱入する。しゃがみこみ、視線を俺と合わせて嘴を触る。
「いっそのこと逃がしてみるとか」
「実井、悪いことは言わないから妙な事はするなよ」
 ちょっとしたジョークですよと言い放つ実井に、俺は少しばかりひやりとさせられた。こちとら今更野生になんぞ帰れないんだよ。……そもそも野生で生きたことなんてないからな。
 実井ジョークは笑えないな、と俺は思ったが、どうやら波多野も神永も同じようで、一様に微妙な顔つきになっていた。
 俺の嘴を触っていた神永は、何も反応を示さない俺に良い気になったのかふかふかの自慢の羽毛にも触れてくる。いつもは田崎にべったりだからなかなか触れないんだよな、とか言いながら、遠慮なく触って来る。別に、怪我をするほどという力加減でもないのだが、田崎の優しい撫で方にすっかり慣れた俺には少々激しい触り方だ。けれどもまぁ、俺はサービス精神旺盛な鳩なので気前よく触らせてやろう。
 ああ、まだ一日は始まったばかりだけど、早く田崎が帰ってこないかなぁ。