1-い

 おばけ、とは。
 一般的には死んだ者を指すだろう。幽霊と言うと、ちょっとばかし怖い印象があるのでかわいこぶっておばけ、と呼ぶがともかく、要するに、いくらかわいく言ったとしても、死人であることに間違いない。
 おばけなんてないさそんなの嘘さ。と、俺も思っていたさ! 夜寝るときに足が出ていたらそこをおばけに掴まれそうで怖いという理由で、どんなに暑くても足は絶対に布団の中にしまうくらいには信じていたが。
 誰の目に留まることもなく、誰の耳に声が届くこともなく、薄く透けていて向こう側が見通せて、ふわふわと浮いている。元生者の魂だ。21グラム、らしい。
 どうやら俺は、そんな存在になってしまっている。
 いつ死んだのか。何故死んだのか。全く心当たりがない。気が付いたら見知らぬ街の上空で浮いていたのだから。直前まで、寝ていたのか起きていたのかすらも分からない。
 そりゃあめちゃくちゃびっくりしたさ。ただ、極めて冷静に自己診断してみると、何度だってその結論は、俺はおばけだ、ってことになるんだ。
 漫画の続きが気になるし、予約したゲームの発売日だってまだ先だった。ソシャゲのイベントも走り切ってない。仕事? あぁ、それはやりたくない。
 そうやっておろおろしていたのはせいぜい一週間くらいだっただろうか。どうせおばけだし。
 意識もある。誰にも悟られない。どこにだって行ける。そう思ったら、なんだかわくわくしてきたんだ。誰しもが一度は考えたことがあるだろう。もしも、おばけになったら何をしようか、ってな。
 それに、俺がやってきたこの街は何だか普通じゃなかった。だって、クリーチャーが闊歩しているのだ!! 特撮じゃない、本物だった。毎日爆発したり、人が死んだりしているけど俺はこの街が気に入った。もう死んでるからこれ以上傷つく心配ないし。
 やれそうなことは大概試してみた。まずは人や壁のすり抜け。これは超簡単。ただ、生き物をすり抜けると、そこはおばけのお約束なのかすり抜けられた側は何だかひんやり感じるようだ。ポルターガイストやラップ音なんてお手の物だし、ちょっとした憑りつきなんかもできる。任意の何かにアンカーを引っかけるみたいに念じると、引っかけた物が移動するとそれに引っ張られて移動することができる。これがなかなか便利で、どこかに行きたいけど自分で移動するのは面倒なときに大層役立つのだ。俺の知らない場所とかも行けるから、探索にも丁度良い。
 だけどちょっとだけ寂しいってのも、まぁ、なくもない。
 誰にも見えない聞こえない。触れないんだから。
 だから自然と、独り言が増えて言って困る。つい他人の行動に口出ししちゃったりして。どうせ聞こえないんだけどね。
 「あーそっちの道爆弾あるから行かない方が良いのに」
 今だって、ゴーグルつけたモジャ髪の青年が、職場への近道らしい路地に入ろうとするのに口出ししてしまった。件の路地は今朝ほど爆弾持ったチンピラ同士が喧嘩して相打ちして、爆発しなかった爆弾がそのまま転がっているのだ。
 「え、そうなんですか? じゃあ道変えますね」
 そう言ってくるりと振り返った青年と目があった。え? マジで?
 「アンタ俺のこと見えんの?」
 「えっ?」
 「うわー初めてだ。何? 霊能力者か何か? 俺おばけなんだけど祓ったりしない?」
 少しばかりぽかん、としていた青年だったが俺がそう告げるやいなや、いかにもやっちまった! という風を全面に押し出した。漫画ならこう、汗をだらだら滝のように流している感じ。
 「スンマセン何も見てないっす!」
 「ちょちょちょちょい待って」
 脱兎のごとく逃げ出した青年にアンカーを容赦なく引っかけた。せっかく見えて話せるヤツが居るんだ! 逃がす訳ないだろうが阿呆め!! っていうか意外と逃げ足早いな青年!!
 「何でついて来るんすか! 悪霊退散!」
 「いや俺悪霊じゃねーし、良いおばけだし。ってか悪霊だったら爆弾あるなんて教えないでこっち側に引き込むっしょ」
 いやー人にくっ憑いて移動するの楽だなー。逃げようとする相手に憑くのちょーたのしー。
 しばらくそのまま走っていた青年だが、俺が離れる気がないことを悟ると公園で足を止めた。
 全力で走ってぜいぜい言う呼吸を、ベンチに座って整えた青年は周囲に人が居ないことを確認してから口を開いた。
 「で、何なんすかアンタは」
 「えーおばけ? 的な?」
 「本当に? 何か新手の異界人とかじゃないでしょうね」
 うーん。確実に俺の住んでた世界じゃないから、異界人といえば異界人だろうか。正確に言えば異世界人、になるのだろうか。
 「いやいやいや、普通のおばけだって。しばらくふらふらしてるけど、俺のこと見えたの君が初めてでさ、ちょっと嬉しいんだよね」
 こればかりは本当の本当。嬉しくてついつい笑みがこぼれるくらいだ。
 あんまりにもにやにやしてる俺に引いたのか、青年は小さくため息を吐いた。その哀愁といったら、まるで公園のリーマンのようだ。なんつって。
 「じゃあ誰かに憑りついて悪さしようとか……」
 「ないない。せいぜいポルターガイストとかでちょっとビビらすくらいしかできねーし。……俺化野優生。アンタは?」
 「え、っと。レオナルド・ウォッチです」
 「えー、超絶有名人と同じ名前じゃん。よろしく」
 自然と手を差し出した俺につられてレオナルドも握手しようとする。が、無情にもそれらは触れることなくすり抜けた。
 「あ……」
 「わりぃ忘れてたわ」
 いえこちらこそ、と、どことなくしょんぼりした様子のレオナルドに、気にするなと笑って見せる。
 そうだった。物には触れられないんだった。
 久しぶりに誰かと会話してすっかり舞い上がって、失念していた。
 本当に俺、おばけなんだ。
 「あーやめやめ。湿っぽいのはナメクジだけで十分だっつーの。……レオナルド、俺は会話に飢えてるから、もしまた会ったら絡みに行くからよろしくな! 仕事遅れるなよ!」
 それだけ告げて、その場からふわっと居なくなる。言い逃げみたいでアレだが、湿っぽい空気は苦手なんだ。
 「いきなり驚かすのは無しですよ! 化野さん!」
 霧に溶けるように逃げ出した俺の後ろから、レオナルドの声が響いた。
 はっはっは。その台詞は盛大にビビらせてくれと言ってるようなもんだぞ、レオナルド。