深い夜霧の膜











宮廷の中に区分された後宮
そこは帝の子を為す為の女の園
男子の立ち入りは一切禁止
入れるのは皇帝陛下とその血縁
または宦官と呼ばれる
男の証を失った元男性のみとされる。

その内廷と呼ばれる外には官史達の職場とされる
外廷があり、其処を持ち場とし巻物を読む女性。

香霧(コウム)という尚書がいた。

尚書とは古くは皇帝の秘書とされていたが、
近年では上表書を閲覧し精査して
皇帝へ見ていただく等、
書物の管理以外の仕事を行う役職だが、
香霧は後宮での書物を管理し、
皇帝へ報告する書類を選別する業務を務めていた。
だがそれでも相当な教養は必要なわけで、
ましてや妃以外に皇帝と言葉を交わす女性は
香霧ただ一人とされている。



「東宮の体調が優れない様だ。」



今の時代高級品とされる紙に沢山の文字が書かれ、
其れを読み判を押しながら言う香霧の前に、
似た顔をした美しい男性が立っていた。
肩幅が無ければ美しい官女と間違える程
中性的で甘美な魅力を持つ男を前に、
普通の女性ならば頬を赤らめるが、
彼女にとっては見慣れた顔の為、どうも思わない。



「皆、後宮の呪いと噂立てていると聞くな。」

「呪いで済む様な問題じゃない。
原因解明をして阻止しなくては
現皇帝の世継ぎが死に続ければ国が終わる。」

「……私も賢妃の様子を医官と見に行こう。
だいぶ気が参っていて、自身の体調も崩しているようだ。」

「ああ、私は寵妃のもとへ様子を見てくる。」



その会話の後、香霧は筆を置きすくっと立ち上がる。
前に立っていた美青年より少しだけ低い背丈だが
美青年を横切り部屋を出ようとする彼女の靡く髪が
色は違えど絹のように美しい姿は似ていた。











ーーーーー…*°



「コ、香霧様…!///」

「香霧様…今日も素敵…!///」

「なんてお美しいの…!///」



梨花妃の住う水晶宮へ訪れると
侍女や下女達は自分の仕事も忘れ
彼女の元へ集まり、遠目から頬を赤らめ
きゃーきゃーと黄色い声を上げていた。

主人である梨花妃とその愛子が命の危機に
晒されているというのに呆れるものだと
香霧は周りにいる侍女達に冷たい目を送った。
然しそんな瞳も彼女達には目を向けていただけたと
喜びの声を上げていて、愚かだと思った。



「失礼致します。東宮のご体調は如何でしょうか。」

「乳に口をつけない…、
顔色も優れず弱っていくばかりだ……
やはり玉葉妃が私の子を…!」

「梨花妃のお心も私では理解し難いほど
ご不安ではあると思いますが、今は冷静に。
玉葉妃の公主も弱っていると聞きます。
それに、今まで宮が亡くなられている為
これは病によるものかと考えております。」

「後宮の呪いなどと言われてるじゃないか…!
玉葉妃が男子を産めなかったからと私の吾子を…!」



興奮したからか梨花妃はクラリと揺れて
ベットに腰掛ける。



「梨花様!」

「(聡明な賢妃とは思えぬ乱れよう…
梨花妃は少々感情的になり過ぎる部分があるな。
皇帝好みのあの豊潤な身体と知性、
そして男児を授かった時は
皇后位に相応しい方だと思っていたのだが…
其れは少々理想を見過ぎでいたらしい…)」



頭を抱え俯く梨花妃に
彼女を案じて近くへ寄る侍女達
香霧は危機迫る時にも如何に冷静か
その部分も皇后位として大切な事である。
完璧な人間はいないと良く言うものだが
いて欲しいものだと思ったが、



「(まぁ、それは人の事言えないからなんともだな…)」



そんな事を考えながら歩いていると、
ふと曲がり角で人とぶつかり、
香霧は半歩下がった程度だったが
ぶつかった尚服の下女が倒れそうになり
抱えていた洗濯籠を落とさぬよう掴むと
下女はストンと尻餅をついてしまった。



「も、申し訳ございません!」



髪を後ろで束ねもみあげを前に玉留めして
下ろしたソバカスの下女は香霧が上の者と分かると
膝を付き焦ったようにすぐに謝罪をした。



「此方こそ済まない。よそ見をしていた。
怪我はないか?中身は分からなかったが、
つい籠を優先してしまった。」

「い、いえ…!
受け取って下さり有り難う御座います…!」

「そうか、良かった。」



ソバカスの下女は立ち上がると
両手を前で組み頭を下げると
香霧は怪我が無いようで何よりだと
笑顔を見せると下女はキョトンとし、
周りにいた侍女や下女が凝視して頬を赤らめた。

下女の表情を見て、香霧はふっと笑い
横を通り過ぎると下女は顔を見て鼻で笑われたと捉えて
少し自分の醜女に気が重くなった。
ただこの下女は別に美人に生まれ変わりたい等と思わない。
其れよりも今は好きなものが出来ない状況に不服なだけだ。



「(私の顔を見て動揺しなかった者は久々だな♪)」



香霧は別の意味で笑みを浮かべていた。