月に浮かぶ芙蓉








「此れを令へ。」

「はい。」

「ふぅ…」



沢山あった巻物を読み終えそれを官吏へ渡す。
仕事がひと段落付き香霧は溜息を付き、
背もたれに寄り掛かる。
普通なら軽く寄り掛かる程度なのだが
香霧は両腕を背もたれに掛け、天を仰ぐ。
ストレッチにもなってこれが気持ち良いんだと
指摘した梓萱にそう言っていた。

そこへ丁度またやっていると
呆れたような顔をしてやって来た梓萱と
壬氏と高順が部屋へ入ってきた。



「香霧様、壬氏様がお話があると…」

「んー」



香霧が顔を上げると折角休憩なのにと不服そうだ。
そんな香霧も見抜いているのか
慣れた様子で壬氏は一人前に出て話出す。



「お前だから聞くが、最近城壁を登ってないか?」

「ああ…その事か。最近は散歩してないよ。
一回酔っ払って散歩して落ちそうになったと言ったら
梓萱にこっぴどく怒られたからな。」

「……世話をかけるな(汗)」

「いえ、職務の一つですので。」

「……(汗)」



壬氏は呆れた様に後ろにいた梓萱に謝ると、
梓萱は慣れた様子ですんと答え、
同じく苦労人の高順も同情するしかなかった。

後宮は城壁と堀に囲まれていて、
四方門からしか出入りが出来ない。
門は二重で内側には宦官、
外側に武官が二人づつ見張っている。
脱走も侵入も不可能。
塀の向こうの深い堀には、かつて
後宮から出ようとした妃が沈んでいると言われている。

最近白い幽霊が出ると噂立たれている為、
香霧の行動を知る壬氏はまさかと思い、
先に本人に聞きに来ていた。
違うと聞いて少し安心をする。



「という事は別の者か…
(今夜辺りでも目撃場に高順に行ってもらうか…)」

「幽霊と騒ぎ立てられているのは芙蓉妃だ。」

「!、知ってたのか?」

「それこそ城壁に登ってはいないが、
数日前、官吏等と酒を飲んだ帰りに月を見上げたら
城壁の上で踊っていた。
その光景は儚く美しく…私も見惚れたな。」



香霧は思い出した様に笑みを浮かべていた。



「然し、何故踊っていたかは分からない。
身惚れて歩いてたら柱に顔をぶつけて痛い目にあったし。」

「何をやってるんだお前は!(汗)」

「「……(汗)」」

「軽傷だから大丈夫だ。
そうだ、猫猫でも使えば謎が解けるんじゃないか?
薬意外にもあの娘には知恵がありそうだ。」

「…言われなくてもそのつもりだ。」

「また蛞蝓を見るような目で見られると良いな。」

「はて、何のことだかな。」



香霧に指摘をされて壬氏はそっぽを向く。
それを見て梓萱と高順は少し引いた様子で
壬氏の事を見ていた。
普通の侍女や中級妃ならば見惚れる香霧と壬氏だが、
側に付き色々な表情を見ている二人は慣れており、
世話のかかる二人という共通点を感じている。



そこへ春琳が官吏を連れて執務室の戸を叩く。



「壬氏様、高順様、ご機嫌よう。」

「ご機嫌よう、春琳。仕事には慣れたか?
奔放な主人だと色々と大変だろう。」

「(貴方が言いますか…(汗))」

「いえ、この様な私によくして頂いております。」

「言い辛い事があれば、私に言いなさい。」

「お気遣いありがとうございます。」

「折角ひと息ついた所だったのになー。」

「尚書も忙しい身分だな。」

「ふん。」



香霧は不満げに執務机に並べられた巻物に手を伸ばす。
こんな奔放な人間だが女尚書という役職に就けるほど
地頭は良く膨大な知識の必要な仕事も熟せる。
黙っていれば近寄り難い程優秀で美しい妃になっても
おかしくはないだろうと壬氏はしみじみと思った。








ーーーーー…*°



夜、猫猫は壬氏の命令で高順と夜道を歩く。
壬氏は芙蓉妃は夢遊病を患っているのではと考え、
一度猫猫に見てもらいたかったのだ。

猫猫は体格の良い高順を見て、
宦官らしくないと思うのだが、
自分の身分を考えてそこまで踏み込んで言えない。
すると高順の方から自分に話しかけて来た。



「猫猫様。」

「敬称はいりません。
高順様の方が位が高いでしょう。」

「では…小猫(シャオマオ)。」

「(いきなり小(ちゃん)付けですか…)」

「壬氏様を毛虫を見るような目で
見るのはやめていただけませんか。」

「(やはりバレていたか…(汗))」

「今日も帰るとナメクジでも見るような目をされたと…、
悦にしたりながら報告されました(汗)」

「……以後、気を付けます(汗)」ゾッ…

「ええ、そんな姿の壬氏様を免疫のない人間が見たら、
後処理が大変ですので。」

「(アレの付き人というのは、苦労が絶えないのだな(汗))」



猫猫は美形という共通点で香霧の事も思い出す。
自分も薬に関しては人の事は言えないが、
好奇心旺盛で媚薬を安易に口にし、
後から聞けば部屋に帰る途中効果が出てしまったとか。
後先考えずに先走る。
とても尚書とは見えないような女性。

あの二人はよく似ているが親戚か何かなのだろうか。
いや、美形は皆顔立ちが似ているから美形という括りだ。
其々の肉親が美しかったに違いない。
然し、香霧に至っては娘があの奔放さでは
親も黙ってられない程、嫁の貰い手が心配だがな。



「いましたよ。あれです。」



高順が指を刺すと、
城壁の上に長い髪の女が立っており
驚くほど綺麗な舞を踊っていた。
あれはまるで…、



「月下の芙蓉…」

「勘が良いですね。彼女は芙蓉妃。
来月功労として、武官に下賜される姫です。」



月夜に浮かぶ美しい舞を、
香霧も酒を呑みながら見上げていた。