檻
*
「紫乃、少し良いか」
ある日。
いつものように書類の束を抱え、
二番隊隊舎の廊下を歩いていた紫乃は、
背後から掛けられた声に足を止めた。
振り返ると、そこには夜一がいる。
「はい。何でしょう、夜一様」
「喜助が蛆虫の巣に用があるらしくての。
立ち会いを頼みたい」
「喜助が?」
思わず聞き返した。
蛆虫の巣。
それは、以前浦原が所属していた
第三分隊・檻理隊が管理する、
地下特別檻理棟のことだ。
護廷十三隊内部に存在する、
危険分子を収容するための特殊な施設。
現在、その管理を任されているのは
――紫乃だった。
「元々、管理していた施設じゃ。
あいつの好きにさせてやってよいからの」
「……承知しました」
紫乃が頷くと、夜一は満足そうに笑った。
「頼んだぞ」
そう言い残し、夜一はその場を去っていく。
紫乃は手元の書類へ視線を落とした。
蛆虫の巣は、言ってしまえば
変わり者ばかりが収監されている場所だ。
紫乃自身、管理責任者ではあるものの、
必要以上に出入りすることはない。
一方、前任者だった浦原は、
あの施設へ頻繁に足を運んでいた。
そして今は、十二番隊隊舎で
怪しげな機械を組み立てている。
何かを企んでいることは、まず間違いない。
けれど、夜一が「好きにさせてよい」と言う
のであれば、紫乃が反対する理由もなかった。
ただ――。
浦原が誰に会いに行くつもりなのか。
それだけは、なんとなく想像がついていた。
夜一から許可を得た浦原は、
ほどなくして猿柿ひよ里を伴い、
蛆虫の巣へやって来た。
「紫乃さん、お疲れ様っス」
柔らかく笑う浦原に、紫乃も一礼する。
「お疲れ様です。浦原隊長、猿柿副隊長」
「……何でお前がここにおんねん」
ひよ里は怪訝そうな顔で紫乃を見上げた。
「紫乃さんは、僕がいた
檻理隊の後任の隊長なんスよ」
そう答えながら、浦原は慣れた手つきで
蛆虫の巣の鍵を開ける。
重い扉が開いた。
その瞬間――。
「……何や、この異様な空気は……」
ひよ里の表情が強張った。
地下へと続く空間には、
言葉では説明しにくい独特の気配が漂っている。
浦原が先頭を歩き、その後ろをひよ里が続く。
そして、さらにその後ろを紫乃が歩いた。
「ここ、蛆虫の巣は――」
浦原が歩きながら説明を始める。
「これから罪を犯す、あるいは
組織に牙を剥く可能性がある危険分子を、
未然に隔離するための場所っス」
ひよ里は周囲を見回した。
「他隊の隊長格を含め、
隊員にはこの施設の存在を知らされていません」
紫乃も補足するように続ける。
「収容された死神は、表向きには通常の退隊
――除籍として処理されます」
「つまり……」
ひよ里の顔が引きつる。
「静かに、社会から排除されるわけです」
紫乃の淡々とした説明に、
ひよ里はますます周囲を警戒した。
浦原は構わず話を続ける。
「護廷十三隊に入隊したものの、
その思想、言動、能力、あるいは精神状態から、
尸魂界にとって不利益となる可能性があると
判断された者が対象となります」
やがて、地下施設の内部へと入っていく。
しかし――。
そこにあった光景は、
ひよ里が想像していたものとは違っていた。
収監されているはずの死神たちは、
鉄格子の中に閉じ込められてはいない。
廊下を歩く者。
壁にもたれている者。
ただ座っている者。
まるで普通の居住区であるかのように、
自由に過ごしている。
「な、なんやこいつら……」
ひよ里が思わず半歩後ずさる。
「彼らは、あくまで危険分子ですから」
紫乃がその背後から淡々と説明した。
「よほどの危険性がない限り、
常時幽閉することはありません」
その言葉を聞いても、ひよ里の警戒は解けない。
むしろ、何をしでかすか分からない者たちが
自由に歩いていることの方が恐ろしい。
「施設内では、暴動や脱獄を絶対に防ぐため、
非常に厳格かつ特殊な規則が設けられています」
浦原が続ける。
「その一つが、斬魄刀を含めた
一切の武器を携帯して立ち入らないこと」
そして、ひよ里を見る。
「入り口で、ひよ里さんが
駄々こねてたやつっスね」
「ガキみたいな言い方すんな!」
ひよ里が即座に怒鳴った。
「斬魄刀は死神の命やぞ!」
その声に反応して、
周囲にいた収容者たちが振り返る。
何人かがこちらへ視線を向けた。
しかし、浦原はまったく気にする様子がない。
「我々も武器を持たない分、
監理隊長になるには、
ある条件が求められるんス」
そう言った、その時だった。
「――!」
一人の大男が、突然浦原へ向かって
拳を振り上げた。
ひよ里が息を呑む。
だが――。
浦原は一歩も退かなかった。
伸ばした手で、大男の拳を真正面から受け止める。
「なっ……!」
ひよ里が目を見開く。
浦原は掴んだ拳を軽く押さえたまま、
何でもないことのように続けた。
「監理隊長には、収容者全員を
素手で叩き伏せられることが、
絶対条件として求められているんス」
そして、ちらりと後ろを見る。
「なので、後ろの紫乃さんも、
素手で彼らを抑えられるっスよ」
「こんなヒョロそうな奴がか!?」
ひよ里が驚いたように紫乃を見上げる。
紫乃は柔らかい笑顔でひよ里を見返した。
「コツがあるんです」
その間にも、浦原は大男の拳を軽く捻る。
「ガァアアア!!」と叫ぶ大男に浦原は、
「やだなぁ、もう僕のこと忘れちゃったんスか?
あんなに遊んであげたのに」
そして――。
「よっと」
大男の身体が、あっさりと宙を舞った。
ドンッ、と床に叩きつけられる。
ひよ里の口がぽかんと開いた。
「…………」
紫乃は倒れた大男を見つめる。
かつて浦原が監理隊長を務めていた頃、
この男とも何度か顔を合わせている。
その頃は、浦原ともそれなりに
親しくしていたはずだった。
けれど――。
今は、浦原のことすら覚えていないらしい。
ここには、そうした精神的な問題を
抱えた者も少なくない。
だからこそ、蛆虫の巣はただの牢獄ではない。
護廷十三隊という組織の中で、
扱いきれなくなった者たちを
隔離するための場所なのだ。
三人はさらに奥へと進んでいく。
やがて、周囲の雰囲気が変わった。
これまでとは違う。
明確に隔離された空間。
鉄格子の向こうに、一人の男がいる。
浦原の足が止まった。
紫乃も、その人物へ視線を向ける。
「……」
そこにいたのは――。
涅マユリ。
あまりにも危険な思想を持つその男だけは、
他の収容者たちとは違い、
鉄格子の中へと厳重に隔離されていた。
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