最近執拗に話しかけてくるようになった出水たち高校生の魔の手からやっとのことで逃げ出し、缶コーヒーを片手にほっと一息ついた時だった。

「あ、名前さん」
「うわっ」

突然後ろから話しかけられ、思わず持っていた缶を握りつぶしてしまう。
まったく、最近は私の背後を取ることがボーダー内のブームにでもなっているのだろうか、と嘆く気持ちも忘れて、私は呆然と手の中で無残な形へと変わり果ててしまったスチール缶を眺めた。

少しだけ残っていたコーヒーがこぼれて手がベタベタする。つらい。
缶コーヒーを握りつぶす女子(20歳)ってどうなんだ。さすが戦闘職。
イケメンは嫌いだけど、そのために元からほとんど存在しない女子力をドブに投げ捨てる気なんて毛頭ない、はずである。
今まであんなに素敵な恋愛を経験してきたのだから、次はせめて人並みの顔の人と人並みの恋をして人並みに幸せになりたいと思っているのに。
それなのに、こんな調子では、先行きが危ういにもほどがある。

急に話しかけられたからびっくりしただけだよね、用もないのにしつこく追いかけてくるイケメンたちのせいでストレスがたまってただけだよね、と心の中で弁解してみても気持ちはまったく晴れなかった。

虚ろな瞳で手元を見下ろす。
これが私か。1度潰されてしまった缶は2度と元の姿に戻ることはないのである。
まるで毎度毎度男に運がなさすぎる私のように。

「大丈夫ですか?」

缶コーヒーを握りつぶすこととなった原因である時枝は、落ち込む私に全く表情を変えることなく、そっとハンカチを差し出した。
目の前であんな惨劇を見せつけられようとも、少しも引いた顔を見せないとは、さすができる奴は違う。
それに加え、ハンカチには可愛い猫ちゃん柄が施されていた。

ギャップか。ギャップ萌えでも狙うつもりか。確かに可愛いなコノヤロー。
しかし、イケメンであるという点において、時枝は既に私の中で大幅減点である。

もちろんそんな失礼なことを言うのは気が引けるので、ハンカチはありがたく受け取った。人の好意を無下に扱うのは良くない。
いくら相手がイケメンであるとはいえ、誰彼構わず当り散らすのは間違いだ。私はどこぞのシスコンとは違うんだから。
ここは大人の対応をしてみせようではないか。

そう意気込み、私はニコリと微笑みながら「ありがとう。ところで私に何か用かな?」と問いかけた。

少しキャラ付けに失敗した気がしないでもない。笑顔が引き攣っている気がするのはたぶん気のせいだ。

「この間はうちの佐鳥がお世話になったみたいで」
「いやいや、そんな」

本当にね!お前のチームメイトのせいで、こちとらボーダーの馬鹿どもと刺激的な日々を送ってるわ!と思わず叫びそうになるのを必死にこらえ、小さく首を振る。

お世話をしたというより現在進行形で迷惑をかけられているんですが。佐鳥許すまじ。

「佐鳥が名前さんはすごく面白い人だって言うので、俺も話してみたくなって」
「へ、へえ…そうなんだ」

佐鳥ぃぃぃぃ!
やはりと言うべきか、さすがと言うべきか。あのヘッポコ佐鳥は、どうやら出水や米屋以外にも私と話したことを自慢しまくっているらしい。

おかげさまで気の抜けない素敵な毎日を過ごしておりますよ、はい。
そもそも会話したって一言二言程度だからね。
しかも中身なんてあったもんじゃなかった。
いや別に佐鳥を相手に実りがある話をしたいわけでもないんだけど。

「あの、ハンカチは洗って返すね…」
「そんなに気にしなくても」

時枝から借りた猫ちゃんのハンカチは、コーヒーまみれの手を拭いたせいで見事茶色に汚れてしまった。
申し訳ないにもほどがある。
イケメン云々言う前にもっと女子力を磨けと心の中で自分を叱咤する。
私はハンカチどころかティッシュだって持ってないのに、時枝の女子力たるや。いや、ハンカチを常備することは結構当たり前のことかもしれないけど。

太刀川や迅、出水などのちょっとアレなイケメンと違って時枝は真面目だし、落ち着いてるので、一見近づいても大丈夫かな、なんて錯覚に陥ってしまうが、油断は禁物。

見た目も中身も誠実な時枝、風間さんタイプが実は一番危険、なんてことは今までの恋愛で経験済みである。

「…今日は広報の仕事ないの?」
「そうですね、今日は休みです」

さりげなくここから立ち去れオーラを出してみたが、どうやら効果は今ひとつのようだ。
高校生は休みの日ぐらい家で静かに課題してろ。あ、私もレポートやってないや。やばいやばい。

提出せずに単位を落としたあかつきには望ちゃんに粛清されてしまう。
双葉ちゃんと望ちゃんに見捨てられたら私はボーダーで生きていけない。

「あー、私は今から防衛任務だからそろそろ行かないと!」
「今日の加古隊の防衛任務は終わったって聞きましたけど」
「…あれ?そうだったっけ?確かにそんな気もするな〜。あはははは〜」

どうした時枝。お前はできる男じゃないのか。頑張れ!空気を読め!私の顔には『逃げたい』という言葉がデカデカと書かれているはずだぞ。

まるで四天王との最終戦で、手持ちのポケモンが6匹ともコイキングだった時のような気分である。
残念ながら私は勇者じゃないのでそんなことをした覚えはないが。劇場で配信されるレベル100のポケモン一体で殿堂入りを果たした記憶しかない。
やっぱり伝説のポケモンは最強だ。

…ダメだ、現実逃避は良くない。

そもそも、今考えてみればどいつもこいつも私のことを名前で呼ぶのはなぜだ。名字で呼ぶのは風間さんぐらいじゃないか?
ボーダーに馴れ馴れしい奴が多すぎる件について。
もう少しシスコン(シリアス)を見習うべきではないだろうか。

「そう言えば、嵐山さんも1度名前さんと話してみたいと言ってましたよ」
「げっ」

マジかよ。思わず顔をしかめる。
嵐山は苦手だ。イケメン云々よりも、あの爽やかすぎる性格が。

今までは嵐山隊が広報の仕事で忙しいこともあってか全く関わりがなかったというのに。
どれもこれも佐鳥のせいだ。

お願いだから、私の平穏を返してほしい。

出水と米屋にはしつこく絡まれるし、当真には更にしつこく絡まれるし、迅にはセクハラされるし太刀川はヒゲだしいいことなしである。

小さくため息をついた時だった。

「あ、双葉ちゃぁぁぁん!」

何といいところに、我がメシア。どうやって時枝から逃げ出そうかと考えていると、前方からやって来る双葉ちゃんの姿が見えた。
私は時枝への挨拶もそこそこに双葉ちゃんの元へと向かう。

いやー、助かった。さすが双葉ちゃん。
喜びのあまりぎゅうぎゅうと抱きつくと「先輩ウザいです」と睨みつけられた。

え、双葉ちゃん、ウザいって酷くない?反抗期か。反抗期なのか。でも憎きイケメンどものせいで、そんなツンツンしてるところも可愛いと思えてしまうから不思議だ。
双葉ちゃん最高。

ちなみに、望ちゃんの調べによると一部では私のロリコン疑惑が浮上しているらしい。

確かに、常日頃から双葉ちゃんの背中にくっついてイケメンの脅威から逃れているし、(佐鳥のアホのせいで最近は話をせざるを得なくなっているけれど)基本的には諏訪さん以外の男と話さないので、ロリコンだと思われても致し方だろう。

いっそのこと自分でロリコンだと認めてしまえば周りから遠巻きにされて誰も絡んで来なくなるんじゃね?なんて考えたのだが、それを聞いた双葉ちゃんが今にもトリガーオンしそうな勢いで睨みつけてきたので自重しておいた。

一応言っておくが、私はロリコンでは断じてない。

「先輩、なんか臭くないですか?」
「え、嘘。まさかの加齢臭?」

まだピチピチの二十代なのに。
涙目で双葉ちゃんを見下ろすと、「違います。コーヒー臭いです」との答えが返ってきて安堵する。

「ああ、実はコーヒーを…あ!」

ちょっとこぼしちゃったんだよね、といいかけて私はとんでもないことに気がついた。

そう、時枝から借りたハンカチ。洗って返すなんて言ったけど、返すためにはまた時枝に会う必要があるということだ。
いやはや、どう考えても当たり前のことなのだが、これは盲点だった。

ああ、最悪だ。
しかし、借りてしまった以上、きちんと洗って自分でお返しするのがセオリーだろう。
もうどうしよう。

ここ最近は忘れがちになっているが、私のモットーは半径5メートル以内にイケメンを近づけないことだ。

さもなければ今までの二の舞を演じることとなってしまう。
それだけは避けたい。それなのに、なかなか人生は上手くいかないものだ。

「双葉ちゃん、」
「嫌です」
「時枝にハンカチ返す時付いて来てくれない?」
「嫌です」
「お願いだから!」
「これを期に、そのイケメン嫌いを直したらどうですか?」

必死の懇願も虚しく、冷たく拒否され、挙句の果てには呆れ顔で諭された。

いや、直すも何も、またイケメンを受け入れたら今度こそ私の何かが終わってしまう気がする。

イケメンは生きる凶器。これは鉄則だ。

ギュッと握りしめたハンカチは、元々白っぽい色だったためかコーヒーの色がよく目立つ。
カッコつけてブラックなんて飲むんじゃなかった。

…この染み取れるだろうか。

取れなかったらどうしよう。時枝は猫が大好きみたいだし、「よくも俺の猫ちゃんを!」なんて報復されるかもしれない。
やだ、イケメン怖い。

双葉ちゃんと一緒に作戦室に戻った後もそんなことばかり気になって、望ちゃんの話がほとんど頭に入らなかった。

望ちゃんが何を言っても「あ、うん」としか答えなかった私は、そのおかげで笑顔でブチギレる美女の怖さを学ぶことができ、ひょっとしたらイケメンよりも女の子の方が何百倍も恐ろしい生物なのではないかと考え直すようになった。