「頭パンクしそう…」
「馬鹿なこと言ってないでさっさと解け」
「えー。鋼…」
「頑張れ」
「だって意味わかんないよ、これ」

休憩室には、化学の問題集を広げたもののちんぷんかんぷんで一向に手がつけられない名前と、それを取り囲むようにして座っている荒船と村上の姿がある。化学と物理のテストで1桁の点数をたたき出した名前には担当教師から再試の通知がきていた。再試に合格できるまで放課後残らねばならず、その上合格点が80点以上なので名前からしてみれば地獄以外の何物でもない。本人は全く気にしてなさそうだが。
そんな名前に代わり、荒船はいつも通り頭を悩ませていた。

この調子でいけば、合格などできるはずがない。名前は基礎の基礎からわかっていないのだ。対して、再試まであと二日しかない。二日で名前に理解させることなどどう考えても不可能だった。これが名前ではなくて他の奴なら荒船も潔く諦めていることだろう。

しかし、師匠として、弟子が放課後再試のために時間を潰され基地で特訓する時間が奪われるということは何としてでも避けたいことであった。まだまだ、村上にも名前にも、教えないといけないことは山ほどある。別に荒船がそこまでしてやる義理もないのだが、そこは相手が名前なので無意識に甘やかしてしまうのは仕方がないことだ。

こいつは俺や鋼がいなくなったらその辺の道路で干からびて死んでしまうのではないかと、荒船はわりと本気で考えている。
周りの人間からすれば荒船らしくないなんとも馬鹿らしい考えだが、確かに一概にはありえないと言い切れないところがあるので恐ろしい。ドジっ子では済まされないほど名前はアホの子であった。

ちなみに、いつも名前の味方であるはずの村上は、荒船に脅されすでに買収済みである。

『おい鋼、お前もどうにかしろ。このままじゃあいつ、留年するぞ』
『でも、名前はもう十分頑張ってるし、このままでもいいんじゃないか』
『どこがだよ!名前が留年して一緒にいられる時間が少なくなっても知らねーからな!』
『それは困るな』
といったやりとりが実際にあったのだが、そんなことを知らない名前は普段からスパルタな荒船はともかく村上からも見捨てられて不満げに口を尖らせていた。

「もう疲れたよー」
「まだ勉強始めて1時間も経ってねえだろうが!」
「えー。私の体内時計ではもう5時間ぐらい経ってるのに」
「そんなこと知るか!」
「荒船うるさいよ」
「誰のせいだ!」

どうやら名前よりも荒船のほうが精神的に参っているらしいこの状況に、村上は、名前のことをそこまで真剣に考えてくれているのか、と荒船の態度に見当違いな感想を抱き感心していた。

しかし、このまま二人が拉致のあかない言い合いを続けていても荒船が疲れるだけだろうと思い、「気晴らしに模擬戦でもするか?」と進言する。

「するする!行こ!鋼!」
「するわけねーだろーが!」

返ってきた正反対の返事に戸惑いながらも、「二人とも一旦頭を冷やしたほうがいいんじゃないか」と言うと、荒船が「お前たちと模擬戦して冷静になったことなんて一度もない」と至極真顔で呟いた。

村上はその言葉に、確かに、と頷く。戦闘に関して言うと名前は決して飲み込みが悪いわけではないのだが、その奔放さからマイペースに自分の思うままに戦うので、荒船とはあまり相性がよくなかった。

荒船から学んだアタッカーの基礎こそは真面目に守っているものの、名前と村上の戦闘スタイルはお前たち本当に同じ人間に教わってるのかと問いただしたくなるほど違う。

頭で色々考えている荒船に反して、名前は本能に忠実に動くタイプなのでやりづらいにもほどがある。まだまだ抜かされる気は微塵もないが、こいつは教わる相手を間違えたんじゃないかと荒船は心底思っていた。

「でもでも、師匠が理論派アタッカーなんだから、弟子の私たちだって理論派アタッカーになるんじゃないの?」
「鋼はともかく、お前には理論なんてかけらもねえだろうが」
「えー。結構考えた通りに動いてるんだけどなー」
「お前は理論の言葉の意味を辞書で調べてから言え」

こめかみをヒクつかせる荒船をよそに、名前は「早く行こー」と既に参考書を閉じ立ち上がっていた。どこまでも自由な弟子に、大きく溜息をつく。

「1回だけだからな」
「わーいありがと師匠ー」

結局、いつだって折れるのはこっちだ。にっこりと普段通りの気の抜けた笑みをみせる名前に、荒船はもう一度心の中で溜息をついた。


(1回っつっただろーが!いつまでやってんだ!)
(えー。でも荒船もノリノリだったじゃん。楽しそうに孤月振り回してたし)
(あれはお前らが孤月持って二人でしつこく追いかけて来たからだよ!)
(またやりたいなー。ね、鋼)
(ああ、楽しかったな)
(………………)