人の気配のない裏通り。見知らぬ女性にいきなり腕を掴まれ連れて来られて、こういうの漫画で読んだことあるような気がするなあ、なんてことをぼんやりと思っていた。なんだっけ、ああ、校舎裏や空き教室への呼び出しだ。ライバル的な女子キャラが、放課後にヒロインを呼び出して「○○君に近付かないで!」って脅したりするアレみたい。脅すはちょっと言い方が悪いかな…まあ良いか。とにかく、そんな光景に近いんだろうな、と思う。思うだけで、恐怖も何も感じないけれど。
「貴女、どういうつもりなの!?」
「どういう、って?」
投げ付けられた言葉の意味が分からずに、こてん、と首を傾げる。それが気に食わなかったようで、目の前の女性は不快感を表情に滲ませた。黙っていれば美人、というやつなのに、勿体ないな。なんて、原因を作ったのは私か。
「とぼけないでくれる?貴女がGIGOLOやDOPPOと一緒に居る姿を見掛けた、って人が何人もいるのよ!勿論、私だって見掛けたわ!!」
独り占めだなんて、お姫様にでもなったつもり!?
続いた言葉に、なるほど、さっき思ったのは間違いでも無かったのか、と一人で納得してしまった。彼らのところにお世話になっているのだから、一緒に出掛ければ並んで歩く姿を目撃されることも出てくるだろう。まさか、その事をこうして責められる日が来るとは正直思っていなかった。
「確かに、独歩お兄ちゃんやひーくんと一緒に出掛けることはあるけど…でも、それって貴女に関係ありますか?」
ぷちん。と。そんな音が、聞こえた気がした。女性は「お兄ちゃん?ひーくん?何よそれ、何よその呼び方…!」と何やらブツブツ言いながら、わなわなと肩を震わせている。地雷を踏むとはこういう事を言うのかもしれないけれど、うーん、私、何か気に障るようなこと言ったかなあ。不思議に思いながらさっき自分が言ったことを思い返していると、ぐっ、と胸元を掴まれ引っ張られた。いきなりのことに思わず女性に突撃しそうになって、両足に力を込めて何とか踏みとどまる。乱暴な人なんだなあと思いつつ顔を上げると、目の前には文字通り鬼のような形相。
「アンタ、頭おかしいんじゃないの!?」
がなると同時に、右の頬に走る痛み。少し遅れてヒリヒリとした感覚が襲ってきて、ああ、叩かれたのか、と理解する。それに、私の頭がおかしいだなんて。何を言っているんだろう、この人は。
「今更気付いたの?」
はあ?と気の抜けた声を返された。何を言っているんだろうコイツは、と瞳が語っている。相手も遠慮なく物を言ってくるし、初対面ではあるけれど、丁寧に返す必要はないか。
「だから、今更気が付いたんだなあって。私の頭がおかしいことなんて、もうとっくに知ってると思ってたのに。…うんそうだね、私、頭おかしいからさ。こういう事も平気で出来ちゃうんだ」
へらりと笑みを浮かべて、私の胸元を掴んだままになっていた腕を引っ張り返し、ガツンと頭突きを喰らわせる。ちょうど鼻に直撃したらしく、女性はぱっと私の胸元から手を離すと、涙目になりながら自身の鼻をその手で覆った。指の隙間からはじわじわと鼻血が滲んでいる。痛みに耐えているのか、女性は何も言わない。
一歩、前に出る。よっぽど怖い顔をしているんだろうか、女性は怯えた様子で後ずさった。一歩、一歩と近付くたびに女性がじりじりと後ずさっていき、やがて壁にぶつかると女性は力なくずるりと地面に座り込んでしまった。ここまで恐がられると、ちょっとだけ傷付いてしまう。こわいことなんて私、何にもしていないのにな。…まだ、ね。
「やり返される覚悟がないからこうなるんだよ。追い詰めたつもりが、逆に追い詰められちゃったお姉さん、可哀想だね?」
くすくす笑い声を漏らしながら、唇にゆるく弧を描く。そして、片足をゆっくりとあげて。
「や、め…っ」
腹部目掛けて、振り下ろした。痛みからか、女性から呻き声が上がる。この一回だけでもう終わりなのに、もう一度同じことをされると思ったのか縮こまって震えている女性を見下ろして、口を開いた。
「二人に脅迫紛いの手紙を送るのは、もうやめてね。すごく傷付いてたから」
くるりと踵を返して、明るい大通り目掛けて歩き出す。途中で足を止めて、顔だけ振り返って。
「それから。私のことは、いつでも殺しに来てくれて構わないからね。」
告げた声は、自分でもびっくりするほど冷たかった。

大通りへと出ると、ざわざわと騒がしさが耳を刺激して、光の中に戻ってきたなあ、なんてしみじみ思ってしまう。きょろきょろと辺りを見渡してみるけれど、見知った二人の姿は近くには見当たらないようで、ほっと息を吐く。もし、さっきのを目撃されたり、聞かれてしまっていたら。その時は開き直るか、自らおわりを選ぶしか道はないのだけれど、私はきっと後者を選ぶのだと思う。もちろん、さっきの私も素といえば素ではあるけれど、普段が泣き虫ぽやぽやのんびり娘で通っているから、二人がギャップに風邪を引いてしまわないか心配だから。あんな姿を受け容れてくれるかどうかは、別問題として。…暗くなるのはよそう、とふるふると頭を振って、ふ、と視線を上のほうに移動させると、見覚えのある長身が目に入った。長い髪に藤の色を携えたあの人は、確か。
「じゃくらい先生ー!」
ぴょこんと飛び跳ねながら両手を振れば、人混みに紛れそうなくらいの背の低さの私にも流石に気付いてくれたようで、先生の唇から「おや、君は…」という呟きが落っこちた。
「先生、お買い物ですか?」
「うん。ちょっとりんごジュースを買いにね」
「りんごじゅーす」
なんだそれ可愛いな、と言いそうになった言葉を飲み込んで、りんごジュースという単語だけを反復する。買い物袋から、これだよ、と先生が見せてくれたものは、確かにりんごジュースだった。しかも、私の好きな銘柄のもの。先生はりんごジュースがお好きなのかな…帰ったら、独歩お兄ちゃんかひーくんに聞いてみよう!
「そう言えば気になっていたんだけど、」
先生の大きなてのひらが、やさしく右の頬に触れた。叩かれたせいで熱を持っているからか、ひんやりとしたそのてのひらが心地良い。
「右の頬、腫れているね」
どうしたの?と言いたげな眼差しに、裏通りでのことを正直に話そうか迷ってしまったけれど、変に心配を掛けたくなくて隠し通してしまうことに決めた。
「…なんにも、無いですよ?」
人違いでばちーんって叩かれちゃっただけです!なんて、すぐにバレそうな小さな嘘で誤魔化して、いつものように取り繕ってへら、と笑みを浮かべる。すぐに嘘だって伝わってしまいそうなものなのに、先生はそう、と言いたげに頷いた。少しだけちくりとした胸に気付かない振りを決め込んで、こんな時はどうやって手当てをしたら良いですか?なんて事をたずねてみたものの、先生から返ってきたのは「りんごジュース、どうかな?」という予想の斜め上の回答。それが私を気遣ってのものだ、と言うことに気が付いた時には目の前にりんごジュースの入ったグラスが置かれていて、先生がアイスパックを準備しているところだった。ここに来るまでの記憶が途中からすっかり飛んでしまっている気がするけれど、色々と考えすぎていたせいだ、ということにしておこうと思う。