ひとしきり騒いだあとの、ひとりきりの静寂が寂しかった。次の約束はそこそこに、まるでなんでもないかのように別れる。楽しかった帰り道はいつも、カラフルな記憶を思い出にしながらひとり。
(先輩、久しぶりですね)
赤葦くんがあたしを呼ぶ声を久々に聞いた。高校を卒業してからかれこれ5年。赤葦たち後輩の就職祝いと称して久々に梟谷バレー部は集まった。もうすぐ新社会人として仕事をはじめる彼らはもう幼さも抜けてあたしのかわいい後輩、というイメージでもなくなっていた。
「先輩」
赤葦くんが発音する、先輩、という言葉は特別だった。その呼び方に特別な意味があるというわけじゃないけれど、あたしは赤葦くんにほのかな恋心を抱いていた時期があったからあたしを呼ぶためのその言葉が特別だった。あの頃マネージャーとしてバレー部にいたことが、彼のその声によって鮮明に思い出される。
「先輩ってば。そんな酔ってんですか?」
「あああ赤葦!?」
「そうです赤葦です。見て分かりませんか」
ふわふわと歩くあたしの横に、いつの間にか彼がいた。少しよろめくと、手首を掴まれて支えられる。記憶から抜け出たようなあたしを呼ぶ相変わらずの声と、大人びたその姿。手首を掴むその力。声をかけられていたのに気づかないうえにふらついて、久々のみんなとの再会に調子乗って少し飲みすぎたのかもしれない。
「ごめん、びっくりした。せっかく主役のうちの一人なのに二次会は行かなかったの?よく赤葦帰れたね」
言いながら恥ずかしさと嬉しさを隠す。ぱ、と離れた彼の手のひらの温度が、手首に残る。
「木兎さんとはしょっちゅう会ってるんで。先輩こそ、帰っちゃってみんな残念がってましたよ」
「あたしは明日も仕事だからね。それにしても、木兎とか絶対駄々こねたでしょ」
「木兎さん酔うと、面倒臭くて。木葉さんたちに押し付けて逃げてきちゃいました」
お互いの笑い声が夜空に吸い込まれる。夜風に当たって少し酔いが醒めてきたはずなのに、あたしは隣にいる酔いを感じさせない顔色の、2つ年下の後輩のせいで少しぼうっとしていた。
あの頃よりずっと、かっこいい。綺麗な指先だとか敬語の口調だとか、変わらないものもいくつもあるけれどあまりにも素敵に成長した彼にときめきを隠せない。きっと昔よりモテる。いや絶対美人の彼女が一人のみならず、いる。こんないい男を世間が放っておくわけない。
「赤葦、家こっちだっけ?」
「あー…まあ、」
「なるほど彼女の家ね」
言いながら少しがっかりした。バレー部時代のあたしと赤葦の間には、先輩後輩の関係以外なにも無かったのだからそれも仕方ない。あたしが一方的にこの頼れる後輩を淡く想っていただけ。少しだけ打ち砕かれた幻想と、現実に納得した気持ち。
「いや、おれ、先輩送ってこうと思って」
寂しかった一人の帰り道が、嬉しくなったりがっかりしたりとお酒のせいもあって浮き沈みが激しい。これもお酒のせいの空耳か?と思うことを赤葦は当たり前のようにさらりと言う。
「えっ」
「え、迷惑でしたか?」
「いやいやいや迷惑なんて滅相もありませんとてもとても嬉しいです!」
「じゃんけんで勝った甲斐がありました」
「じゃんけん!?」
慌てるあたしに少し笑う。なんで!?どうして!?申し訳ない!!なんて思いながらも深層心理の嬉しいです!なんて言葉がぽろっと出てしまうあたりお酒ってほんとに恐ろしい。
「誰が先輩を送るか、じゃんけんしたんですよ」
「赤葦負けたんだ…」
「だから勝ったんですってば。話聞いてます?」
「うわ、一人でも帰れたのにほんとごめんね、今からでも二次会に…」
「先輩ほんと、おれの話聞いてますか」
「うんうん聞いてる。酔ってるけど」
「そうですそんなほろ酔いな先輩が心配なのと同時に今なら落とせるんじゃないかっていう下心あるやつらでじゃんけんして、おれが勝ちました」
「うん!?」
「フリーだって言ってたから。あ、大丈夫です。今日は襲ったりしないので」
「うんん!?」
いま何つったこの頼れる後輩ちゃん…!?
ぼんやりとした夢心地な思考から一気に覚醒した。マネ同士で彼氏いるー?えーあたしいないー!なんて会話したけれど、なぜこうなった。
百面相しているであろうあたしの顔を見て、赤葦は意地わるく笑う。
「先輩、おれのこと好きですか」
「は!?!?」
「…じゃあ好きになってもらいます」
歩きながらの会話もここまで。どうにか歩いていたけれど、とうとうあたしは思考を優先にしなければならない状況に直面した。かっこよく大人になった後輩は、いつの間にこんな女を弄ぶような人間になっていたのか。こんな顔で、こんな声で、覗き込むようにしてあたしを見て、こんなのドキドキしない女いない。いたら教えてほしいレベル。
「あ、赤葦酔いすぎじゃない!?」
「そんなに酔ってませんね、少し勢いを借りるくらいしか飲んでません」
慌てるあたしがどうにか絞り出した言葉にも、さっと返事を差し出した。あの、とかあたし、とか次の言葉を出せないあたしに赤葦はおれじゃ、ダメでしたか。なんて言う。ずるいずるいずるい。久々の再会で、少し酔ってて、かっこよくなってて、あたしが忘れてかけていた淡い恋をこんなふうに揺らして。
「ダメじゃ、ないけど…」
彼女、いないの?ぽろりと本音がこぼれてしまう。記憶の中の恋心よりも、ずっとリアル。あたしは酔い潰れてどうにかなってしまったんじゃないかと思うけれど、もう醒めてしまった酔いにこれはこの雰囲気と赤葦くんのせいだと頭を振る。
「それ、期待していいって解釈しますよ」
「…赤葦くんってずるいよね」
「先輩こそ。6年目の片想いにやっと巡ってきたチャンス、必死なんですよ」
「6年!?」
「卒業してから連絡してもあんまり返してくれないし、会ってもくれないし。しょっちゅう目が合ってたし自惚れてたんですけど」
だから今回先輩も来るって聞いて、ガンガンスパイク打っていこうと。そういうと赤葦くんは再びあたしの顔を覗き込む。綺麗な目。長い睫毛。真剣な表情。
「久々に会ったらもっと綺麗になってたし、先輩人気者だし、難攻不落だし。ねえちゃんと聞いてますか先輩」
せんぱい。その響きが記憶よりずっと甘やかで熱っぽくて参った。ほんとにほんとに、これは夢じゃない?酔っ払って見てる幻想じゃない?ほのかだった気持ちがちりちりと焦げるような温度になっていく気がした。ほんとうに彼はずるい。
「きいてる。だってなんか嘘みたい。赤葦くんすごく大人っぽくなったし、かっこよくなったと思うし…あたし、も、」
「あたしも、なに?」
「たぶん6年目の、片想い」
すこしびっくりしたような顔をして、それからとてもとても綺麗に、満足そうに笑った。
「先輩」
なに、と返す言葉は彼の唇に吸い込まれていって、ああもうほんとうにずるい、不敵な後輩。なんて思いながらあたしはすっかり醒めてしまっていた酔いを少しばかり演じて、それに応えて瞼を下ろした。
→