「……今度はあなたですか」
「えぇ何その反応」
昼休みに七海くんの居る部屋へやってきた私は、機先を制するような彼の態度に首を傾げた。私は特に用がなくても、週に一度くらいはただ雑談するために彼の元を訪れている。いつもは「暇なんですか」と言いつつも快く迎えてくれるのだが、今日はかなりお疲れのようだ。まさか昨日の任務が思ったより大変だったのかと申し訳なくなったが、そういう事ではないらしい。
「さっきまで五条さんが来てたんです。聞きたくもない惚気話を永遠と語った挙句、東雲さんの家に泊まったなどと虚言を吐いて嵐のように去って行きましたよ」
「ア、アハハ……それはお疲れ様。そして昨日はありがとう」
「礼なら結構です。別にあなたの為に引き受けた訳ではありませんから」
「もう、ツンデレなんだから」
虚言ではないのだが、それを指摘したら話がややこしくなると思ってしなかった。手土産の菓子箱を見せながら「どうぞ。五条さんのお土産だけど」と言うと険しい顔をする七海くんは五条さんアレルギーかもしれない。特に今日は災難な目に遭ったからか『五条』というワードに過剰反応を示す彼を笑いながら、いつものようにソファに腰掛ける。
私と七海くんの関係はただの同期というにはあまりにも無粋すぎる、と私は思っている。彼は私にとって数少ない友人であり、遠慮なく対等に物を言える貴重な存在なのだ。五条さんや硝子さんにも親しくしてもらっているけれど、やはり彼らとは先輩後輩という関係が完全に抜け切っていない部分もある。
「そうだ七海くん。今度手合わせして欲しいんだけど」
「どうしたんですか藪から棒に」
「いやだって、最近前線に出てなくて不安なんだもん」
「それは過保護な婚約者のせいでしょう? 実際今のあなたは高専に匿われているようなものですし」
「……やっぱりそう思う?」
これでも一級なのに、自分だけ安全な場所に居るなんておかしい。それは長年思ってきたことだった。相談員として働き充実した日々を過ごしていても、学生たちが傷付いて帰ってくる姿を見る度に、自分は何をしているのだろうと自己嫌悪に陥る。本当にこのままでいいのだろうか、そんな思いは常に付き纏っている。
それにあまり長く前線を離れてしまって、いざという時に命取りになっては困る。学生との訓練で体を動かしたり呪術を使ったりはしているけれど、訓練と実戦は全くの別物だ。そんな不満を漏らす私が珍しかったせいか、七海くんは適当にあしらうのをやめてこちらに向き合った。
「五条さんや上の判断が正しいかどうかは私には分かりませんが、批判するつもりもありませんよ。あなたは五条悟の婚約者……最強である彼の唯一の『弱点』ですから」
神妙な面持ちで的外れなことを言う七海くんが可笑しくて、ぷっと思わず吹き出してしまった。
「弱点? ないない! いざとなったら切り捨てるよあの人は」
「……どうしてそう言い切れるんですか?」
「だって『五条悟』だもん」
「理由になっていませんよ」
「えー分からない? 七海くんもまだまだだね」
「その言い方、五条さんみたいでイラつくのでやめてください」
私が五条さんの『弱点』だなんて有り得ない。そもそも彼にとって婚約者という存在が足枷になるのなら、私をそばに置いたりしないだろう。
五条さんは誰よりもこの世界の厳しさを知っている。彼が非情なのではなく、小さな犠牲に一々心を痛めていては身が持たないのだ。多少の犠牲はやむを得ない、そう割り切っているからこそ、彼は何かに執着することを避けているのだと思う。だからいつも飄々とした態度で軽薄な振る舞いをするのではないか。それが私の考える『五条悟』像だった。当然真相は本人にしか分からないけれど、あながち間違ってはいないと思う。
「……東雲さんは、五条さんのことをどう思ってるんですか?」
先日の硝子さんと同じ質問をされて驚く。この前ふざけて『恋バナ』などと言っていた彼女とは違い、七海くんの顔は真剣そのものだ。
「どうしてそんな事聞くの?」
「質問を質問で返さないで下さい」
「だって意外なんだもん。七海くんが人のプライベートを気にするなんて」
彼はただの興味本位でそんな事を聞くような人じゃない。そもそも私と五条さんの関係に大して興味もないだろう。そう指摘すると、彼は渋々といった様子で少しばかり本音を覗かせた。
「婚約してもう10年でしょう。結婚する気がないのなら、さっさと解消した方が良いのでは?」
珍しいと思ったら、なんだそういうことか。居心地が悪そうにコーヒーカップに口をつける姿を見て、彼の言わんとすることを理解した。
「優しいね、七海くんは」
「……どうしてそんな結論に至ったのか理解に苦しみます」
「だって私のこと心配してくれてるんでしょう?」
そう言うと七海くんは顔を顰めたが、否定はしないのでそういう事らしい。
五条さんとの婚約関係を続ける事は、私にとって家に縛られて生きるのと同じ事。先程の七海くんの発言は、私の望む生き方を十分理解した上でのものだ。彼はいつも無愛想で厳しい発言もするけれど、実は人情深い性格だという事はよく知っている。何だかんだ言っておきながら、私のことを友人として大切に思ってくれていることが分かり嬉しくなった。緩む口元を手で隠しながら、彼を少しでも安心させようとゆっくり言葉を紡いでいく。
「五条さんの隣って、不思議と居心地が良いんだよね」
「そんな事言える人間、世界中探してもあなただけですよ」
「だから私は今のままでも困らないんだけど……まぁでも七海くんの言う通り、そろそろ潮時なのかも」
ダラダラと続いてしまった今の関係について、五条さんが何も言わないのなら私から言った方が良いのかもしれない。彼が私を繋ぎ止めておくのは、おそらく私の為でもある。つまり五条さんがなかなか婚約解消を言い出さないのは、私の境遇をよく知っている彼の優しさなのだ。
私もいい歳だし、五条さんとの婚約が破綻になればすぐにでもどこかに嫁がされるのだろう。そしてそれを断ったら勘当だろうな……とどこか他人事のように考える。昔一度だけ結婚を受け入れたこともあったけれど、あの時とは状況が違う。好きでもない相手と結婚するくらいなら勘当された方がマシだ。今は十分に力もつけたしお金だってある。どこへでも好きな所へ行って、一人で自由に生きていける。そう思ったらそれほど悲観的にはならなかった。
「そしたら私も海外に移住したいなって思ってるんだけど、七海くん的にはオススメどこ?」
「……ちょっと待ってください。話が飛躍しすぎてついて行けないんですが……」
「やっぱりマレーシア? いいよね物価も安いし治安も良いし」
私たちって就労ビザ取れるのかな、と移住について真剣に考え始めた私を見て七海くんは眉を寄せた。
「まさかついてくる気じゃないでしょうね」
「え、ダメなの?」
「ダメに決まってるでしょう」
「いいじゃない。同期のよしみでしょ」
「そういう問題じゃありません」
ピシャリと言い放つ七海くんはやはり優しくなどなかった。五条さんに捨てられた上に東雲家からも勘当されたとなれば、当然私は呪術界には居られなくなるだろう。呪術師を辞めても友人でいてくれる人なんて七海くんくらいしか居ないというのに、全く友達甲斐のない男だ。
ショックを受ける私を見て呆れたようにため息をついた彼は、本題に戻ってこう言った。
「全く……そもそも五条さんと結婚するという選択肢は無いんですか?」
「無いでしょ。政略結婚はしないって言ってるし」
「そうではなく、私はあくまで東雲さんの意見を聞いているんですよ」
「え?」
全てを見透かすような目が私を捉えた。同い年のはずの七海くんは私よりもずっと大人で、いつも俯瞰して物事を見ることができる。それでいて無理に人の心を暴こうとするのではなく、こうして諭すように私に言うのだ。
「あなたは、どうしたいんですか」
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