11

 今日の私の仕事は、教職員が学生たちの実力を把握し評価するためのデータ収集、簡単に言えば体力測定のようなものだ。これにより課題を見つけて今後の訓練に生かす、という学生へのフィードバックも兼ねており定期的に行っている。一般的な相談員の仕事からはかけ離れているようにも思えるが、ここは特殊な呪術高専なので何でもありだ。私が一級呪術師ということもあり、こういったサポート業務も任されている。
 測定は基本的に実戦形式で行う。今月は2年生の測定を行う月と決まっており、先週はパンダくん、一昨日は狗巻くんとやったので今日の真希が最後の相手だ。ちなみに特級の乙骨くんの相手をするのは荷が重いので、いつも五条さんに相手をしてもらっている。しかしそんな彼も今は海外出張中だ。
 真希と一戦交えた後、録画していた映像を確認するためタブレットを操作していた私は笑みを浮かべた。

「うん。確実に速くなってる」

 満足気に呟く私の横から、真希がひょいと画面を覗き込んでくる。

「ここの動き見て。左が前回、右が今日の映像。攻撃に反応してからガードを取って下がるまで、0.3秒速くなってるでしょ」
「あぁ本当だ」
「重心の移動がスムーズになったんだと思う。前回教えたトレーニングやった?」
「やってるよ。……へーやっぱ凄いな綾は」
「凄いのは真希だよ。少し休憩しようか」

 たった0.3秒と思うかもしれないが、実戦においてはその差が命取りになることだってある。時にはデータを分析して科学的に訓練を行うのも大切なことだ。けれど他の教職員たちはこういった細かい仕事は苦手というか面倒なのか、誰もやりたがらないため私が引き受けている。
 他の学生の場合は呪力量の計測なども行うのだが、真希には必要ないので体術におけるデータ収集のみだ。いくら彼女が体術しか使わないとはいえ、あくまでこれは対呪霊を想定したものなので私の方は呪術も使わせてもらっている。

「それにしても、綾なんて簡単に吹っ飛ばせそうなのに案外良い動きするよな」
「真希に比べたら全然だよ。いくら筋トレしたって筋肉つかないし、どうしようもないね」
「でもどんな打撃も軽く受け流すだろ。受け身も綺麗に取るし」
「まぁこれでも昔鍛えられたからね」
「へぇ、誰に?」
「五条さんに」
「………マジで?」
「マジマジ」

 目を丸くする真希が可笑しくて「あれ、知らなかった?」と笑う。
 あの頃の五条さんは本当に容赦がなくて、女の私のことも全力で吹っ飛ばすものだから、いつも治療をしてくれた硝子さんにはやりすぎだと注意されていたっけ。けれど「呪霊にとっちゃ男も女も関係ないだろ」という彼の言い分はもっともな訳で、私としては本気で指導してくれる方がありがたかった。

「真希は凄いよ」
「何だよさっきから。褒めても何も出ねぇぞ」

 真希は男に引けを取らないくらい体術に優れている。呪力を殆ど持たない彼女が上級呪霊相手に戦えている裏には、並々ならぬ努力があったはずだ。私の場合は生まれつきの術式や結界術に恵まれていたおかげで一級になれたようなものなので、彼女の努力には到底及ばないと思っている。
 それからもう一つ、彼女を尊敬する理由が私にはある。

「私が真希くらいの頃はさ、家の言いなりになるのが嫌で、でも真希みたいに反抗もできなくて……結局何もせずに諦めてた。そんな自分が、何よりも嫌いだった」

 静かに語る私に少し驚いた様子を見せた真希だが、当然彼女も私の家の事情を知っている。すぐに納得したように目を伏せ、何も言わずに話の続きを促しているようだった。

「16歳になったら結婚して子どもを産むのが当たり前。そんな自分の人生において、強くなる意味なんてあるのかって思ってた」
「……家を出ようとは思わなかったのか?」
「そんな度胸なかったよ。当時は箱入りだったし、勘当されたら生活していけないと思ったから」

 暗い顔をした真希を見て、慌てて笑顔を作った。何も自分の不幸自慢をするためにこんな話をした訳じゃない。それに私は今までずっとそんな人生を送ってきた訳ではないのだから。
 ──そう、15歳の時に転機は訪れた。私の人生に衝撃が走った瞬間だった。

「でもそんな時、五条さんに出会ったの」
「高専時代?」
「うん。もう衝撃だったよ。こんなに傲慢で口の悪い人間いるんだ、ってね」
「言うじゃんウケる」
「いや笑えないから。初対面で『家の言いなりになるだけがお前の人生なのかよ』って言われた時はさすがに腹が立ったよね」
「はぁ? それ本当に悟かよ」

 今のアイツからはとても想像できないな……と言われると、確かに五条さんは丸くなったなと思う。
 五条さんと初めて会った時のことは今でもよく覚えているが、第一印象は本当に失礼な人だったと改めて思う。それでも彼の言葉は私にとって魔法のようだった。自分の常識が覆されたような、価値観がひっくり返ったような感覚は今でも忘れられない。そして彼は何よりも大切なことを教えてくれた。

「でもね、やっぱり強さは全てだった。圧倒的な強さを持った彼はどうしたって格好良くて、眩しくて……憧れちゃったんだよね」

 誰にも文句を言わせないくらい強くなればいい、と五条さんは言った。彼は才能を持って生まれた天才だけれど、現代最強と謳われるまでの呪術師になったのには後天的な要因が大きいと私は思っている。そんな彼に唆されて、私は自分の人生に意味を見出そうとするようになっていったのだ。

「あの人みたいになりたかった。あの人みたいに強くなったら、私ももっと……自由に生きられるんじゃないかって」
「じゃあ綾は、それで一級を目指したってこと?」
「まぁそんな感じかな。五条さんも協力してくれてね。なんだかんだ優しいのよ、昔から」
「いや、あのバカが優しいのは綾にだけだろ」
「そんなことない。あの人があなた達学生のことを、どれだけ大切に思ってるか」
「気色悪いこと言うなよ」
「あはは、そうだね。そろそろ再開しようか」

 五条さんは私の恩人だ。現在私が高専職員として働けているのだって、彼の力添えがあってこそだった。七海くんには前線に出れないことを不満だとつい愚痴ってしまったものの、本来ならば五条家当主の婚約者がここまで自由にさせてもらえる訳がない。それは十分理解していた。
 私は今の仕事にやり甲斐を感じている。呪術師というのは非常に生きづらく厄介な生き物だ。私だけじゃなく誰もが何かを背負い、特にまだ未熟な学生たちは日々もがき苦しみながら懸命に生きている。そんな彼らを側で見守り、支えてあげたいと思う。かつて五条さんが私を救ってくれたように。
 彼らが自分の信じた道を歩めるように。決して道を踏み外すことのないように。

「綾」
「ん? なに?」
「言おうか迷ったんだけど、コレ終わったら髪下ろした方がいいぞ」
「え、なんで?」
「丸見え」

 そう言われて何のことかと首を傾げると、真希が呆れたような顔で「ここ」と自分の首を指差した。つられて自身の首に手を添えると、微かに感じる違和感。軽い痛みにも似た感覚の正体を探ると、すぐに心当たりが見つかった。これはおそらく内出血の痕……いわゆるキスマークというやつで。先日の出来事を思い出した途端に顔が熱を持つのを感じた。

「早く言ってよ……!!」

 普段は下ろしている髪を訓練の前に結んだのだが、鏡を見なかったので気付かなかった。そもそもつけられた時に痛みなんて無かったので、痕になっているとは思っていなかったのだ。焦る私を見て意地の悪い笑みを浮かべる真希には、誰がつけたかなんて聞かなくてもわかるのだろう。

「そんな目立つ所につけるなんて、本当しょーもねぇなアイツ」
「ちっ、違うの! 本当に誤解だから」
「何がだよ。他の男につけられたとでも言うつもりか?」
「そうじゃないけど、真希が想像してるような事は何もないんだってば」
「苦しい言い訳だなぁ」
「と、とにかく! 絶対誰にも言わないでね?!」

 どうしよっかな、と悪戯っ子のように笑う真希は可愛いが、今はそんなこと言っていられない。今度何か奢るから、と言えば「じゃあ駅前のハンバーガーで」と言う彼女は普通の高校生と変わらなくて何だかほっこりした。安心したように笑みを浮かべる私の前で、真希はふと何かが気になったように首を傾げる。

「悟っていつから綾のこと好きなわけ?」
「知らないよそんなの」
「婚約したのはいつ?」
「私が3年になった頃かな」
「17くらいか……じゃあもう10年かよ。なっが」

 アイツも案外苦労してるんだな……という呟きには何と返せば良いのか分からなかった。
 五条さんの私に対する『好き』は、恋愛的な意味ではないことは理解している。最近はスキンシップが過剰で戯れるようにキスもしてくるけれど、流石に唇にされたことはない。それに同じベッドで寝たって何も起こらない。まぁつまり、そういう事だろう。
 ただ私は彼の言動に対してあまり口煩く言わないので、一緒にいて居心地が良いと向こうも感じているのだと思う。先日のように私に軽い執着を見せるのも、自分のオモチャを他人に取られたくないという幼稚な感情からだと勝手に分析していた。

──『僕のこと好きなくせに』

 だったら私はどうなのだろう。私の彼に対する『好き』は、憧憬によるものだと思っていた。昔を振り返ってみてもやはりそれが一番妥当な気がする。彼は私の先輩で、憧れで、恩人。そこに『婚約者』という肩書きが加わったところで、何も変わらない。10年間ずっと同じように過ごしてきたのだから、何かが変わるタイミングなんてどこにも無かったはずだ。──そう結論付けてみても、どこか腑に落ちない自分がいた。

「綾」
「……今度は何?」

 いけない、目の前の真希に集中しなければ。また爆弾を落とされるのでは……と警戒する私を見て笑った彼女は、どこか清々しい表情をしていた。

「私はアンタが、生まれ持った術式や結界術だけで一級になれたとは思ってねーよ」

 予想外の言葉にきょとんとする。それは単純に私の実力を認めているという意味か、私の昔話を聞いた彼女なりの気遣いか。それとも………

「だから私だって一級になれるんだ。……なってやるよ、必ず」

 不敵に笑う真希の瞳から強い意志を感じ取って胸が熱くなる。彼女は気付いたのだろう。恵まれない境遇の中でもがく彼女に過去の自分を重ねて、強くなって欲しいと自分勝手な思いを託した私に。
 真希は私とは違う。もっと貪欲に上を目指している。そんな彼女ならきっとどんな逆境をも乗り越えられる、私はそう信じている。

「なれるよ、真希なら」

 いつか真希が禪院家当主になるその日まで、彼女の一番の味方として側で見守り続けたい。彼女の屈託のない笑顔を見てそう思った。






back
top