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 婚約から約10年、ついに私と悟さんの結婚が正式に決まった。
 その話は瞬く間に呪術界に知れ渡り、何処へ行っても「おめでとう」と言われる日々が暫く続いた。まだ入籍はしていないのだが、周囲の祝祭ムードに押されて次第に『結婚』の実感が湧いてくる。硝子さんや七海くんを始めとする東京校の関係者や学生たちに祝われるのは少し照れ臭かったけれど、喜びもひとしおだった。
 そういうわけで現在私と悟さんは結婚準備で忙しい日々を送っている。結納はとうの昔に済ませていたが、五条家当主の結婚ともなると他にも必要な儀式が色々とあるらしい。古めかしい儀式に「これ何の意味あんの?」と文句を言いつつも、一通りしきたりに従う悟さんは意外と真面目な男だと感心させられた。
 それから大きな変化といえば、私が悟さんの住むマンションで一緒に暮らし始めたことだろうか。仕事が終わり先に帰宅した私は、夕飯を準備して悟さんの帰りを待つのが日課になった。
 結婚しても堅苦しい本家に住むつもりはないと言われた時はホッとしたけれど、料理の腕に自信が無い私は手放しで喜んでもいられなかった。結婚相手に手料理を振る舞う未来など予想もしてこなかった私は、料理が出来なくても困ることはないとこれまで高を括っていたのだ。しかし状況が一変し、悟さんに喜んでもらいたい一心で密かに料理の勉強を始めたのはつい最近の話。まだ上手くは作れないけれど、私が彼の為に毎日必死に作っているという事実だけで十分嬉しそうだから一先ず良しとしよう。
 しかし今日は日曜日で私の仕事は休み。悟さんも早く帰宅できるから夕飯は外で食べようと言われていた。のんびりと部屋の掃除をしながら帰りを待っていると、思ったよりも早くガチャリと玄関のドアが開く音がした。

「ジャーン! 見て見て!」

 そんな台詞と共に帰宅した悟さんは、何かのカタログのような物を私の前に掲げてみせた。表紙に“Wedding Catalog”と書かれたそれを見て、次は結婚式の準備かと小さく息を吐く。上機嫌な彼を不思議に思いながら、最早定着しつつある台詞を口にした。

「お帰りなさい」
「ん、ただいま」

 いつものように私の頬にキスを一つ落とした悟さんは「まだ夕飯には早いし、ちょっとこれ見てみようよ」と言ってソファに腰を下ろす。本家に寄った際に渡された、というそれは世に出回っているカタログとは趣が異なり、収録されているのはどれも超一流品であることはすぐに分かった。手始めに衣装のページを捲りながら「オーダーメイドだから希望あったら遠慮なく言ってね」と言われてもこちらは尻込みするだけだという事を悟さんは分かっていないようだが。
 悟さんとの結婚はもちろん嬉しいけれど、厳かな結婚式となると正直気が重い。彼だって婚前の儀は煩わしそうにしていたのに、急に乗り気になったのはどういう了見か。

「あ、今結婚式なんてやりたくないって思ったでしょ」
「そこまでは思ってませんけど……逆にどうして悟さんはそんなに乗り気なんですか?」
「だって綾の花嫁姿を想像したら今からニヤけちゃうよね。あ、別に和装に限らなくてもいいんだよ? 綾はウエディングドレス着たくないの?」
「うーん、そこまで憧れはないので和装で大丈夫ですよ」
「えー両方着なよ」

 どうやらウエディングドレスへの憧れは私よりも悟さんの方が強そうだ。というより彼は私を『花嫁』にすることに余念がないのだろう。プロポーズしてくれた時の台詞を思い出してそう思った。私はと言うと、元々結婚願望が無かったせいか特に衣装への拘りはない。悟さんは着物の方が似合いそうだな、くらいの気持ちで和装を推したのだが、後に続いた彼の提案は実に魅力的なものだった。

「そしたらさ、後日二人きりで海外挙式するのはどう? そしたら綾のウエディングドレス姿僕が独り占めできるしー」
「それは……良いですね」
「でしょ?」

 僕ってホント天才だよね、という台詞に珍しく同意を示す。二人きりの挙式と言われて初めて『結婚式』に胸が躍った。ようやく私が笑顔を見せたからか、安心したように息をついた悟さんはカタログのページを捲った。

「指輪は? どんなデザインがいい? せっかくだから婚約指輪も選んでよ」
「え、婚約指輪は今更じゃないですか? 私は別に無くても……」
「こーら、そういうこと言わないの」
「でもネックレスも貰ってますし、ね?」

 放っておくとあれこれ私に貢ごうとする悟さんを慌てて止めた。宝石には詳しくないけれど、このネックレスだって相当高価なものに違いない。一般的な婚約指輪の相場なんて優に超えているだろう。
 しかし悟さんは「あぁそれね……」と一瞥すると、何故か苦い顔をした。

「それあげた時プロポーズしたつもりだったんだけど、綾気付いてなかったでしょ」
「へ? プロポーズ?」
「一生守るよ、って確かに言ったんだけどなぁ」
「……そうでしたっけ?」
「うわー覚えてもいないんだ」
「ご、ごめんなさい」
「まぁいいよ。あの時は僕もハッキリ言わなかったから」

 それにしても本当に鈍いよね、そう呆れたように言われて自分が情けなくなった。皆に結婚を祝われた時も、今まで悟さんの好意に気付いていなかったのは私だけだったことを知らされて恥ずかしくなったのは言うまでもない。しかしプロポーズをスルーしたなんて自分でも信じられない話だ。だから今回は『お嫁さんになって』なんてストレートな言い方にしたのかと納得してしまう。
 でもプロポーズのつもりで渡したのなら、やはりこれが婚約指輪の代わりということで良いのではないか。そんな気楽な考えでネックレスを見つめていると、隣から伸びてきた手が宝石に触れた。

「実はこれ五条家のしきたりで、婚前に当主から伴侶に贈る呪具の一種なんだよ。この石の中に、僕の呪力が込められてる」
「……えっ?!」
「身につけてるだけで綾の呪術を強化できるし、低級の呪霊ならまず綾に近寄れない。言ったでしょ?『御守り』だって」

 サラッと衝撃発言をされて肝を冷やした。五条悟の呪力が込められた呪具なんて、まさに最強の特級呪具だ。単なるアクセサリー感覚でつけていた自分が恐ろしい。

「そんなに大事なこと、どうして最初に言ってくれなかったんですか!」
「だって当時の綾にそんなこと教えたら、突き返されるって思うじゃん普通」
「そ、それは……」

 悔しいけれど悟さんの言葉は否定できなかった。だってこれを貰ったのはまだ私が学生だった頃だ。婚約してから1年程経っていたとは思うが、政略結婚する気はないと言っていた彼の言葉を鵜呑みにしたせいで、当時の私には結婚する気など微塵もなかったのだから。それなのに突然これは伴侶への贈り物だなんて言われても、荷が重すぎて身につけることなど到底できなかっただろう。

「五条悟の妻、って理由で狙われる事もあるかもしれない。だからこれからも必ず、このネックレスはつけていて」

 やはり私はずっと悟さんに守られていたんだ……そう思うと胸がじんわり熱くなる。一方で「まぁ綾は強いし簡単にはやられないと思うけどね」と続いた台詞には少々引っ掛かりを覚えた。私を一級にしたのは単に私の為だと思っていたけれど、もしかしたらこうなる事を見越した悟さんの計画のうちだったのかもしれない。
 もしそうだったとしても当然悪い気はしない。それくらい愛されてるってことだから。そもそも私を騙すような形で婚約したことを悟さんはずっと気にしていたようだけど、そこまでして私を手に入れようとしてくれた彼には正直愛しさしか湧かなかった。

「悟さん」
「ん? 惚れ直した?」
「……はい」
「素直でよろしい」

 おいで、と腕を広げた悟さんの胸に迷わずダイブする。今まで散々私は悟さんに甘いと言われてきたし自分でもそう思ってきたけれど、逆だったみたいだ。家ではこうして私を甘やかしてくれる彼に素直に甘えたくなってしまう。悟さんは悟さんで、私に甘えられるのが嬉しいみたいだけれど。

「……やっと手に入れた」

 一生離さないから、と呟いた甘く切ない声色の中にも、強い覚悟を感じ取った私はまた胸が熱くなる。悟さんの苦労を思うと長過ぎる10年間だったに違いない。しかし真実を隠して私と向き合ってくれた彼にはいくら感謝してもしきれない。もしも私が悟さんへの想いを自覚する前に結婚していたら、今のように彼を愛せていたかは分からないから。言葉にならない想いの代わりに彼の背に腕を回せば、私を抱く力が強まった。

「でもまだ足りない」
「え」
「これでもまだ我慢してるんだから。覚悟しといてね」
「我慢って……私はもう悟さんのものなのに?」

 そう言うと彼は一瞬目を丸くして、すぐに破顔した。うっとりした表情で頬を撫でられると、自分が恥ずかしい台詞を吐いたことに気付かされて赤面する。

「随分可愛いこと言うね」
「だ、だって……」
「じゃあ何しても文句言わない? 引かない? 嫌いにならない?」
「それは……内容によりますけど」
「あはは、冗談だって。ゆっくりでいいよ」

 一緒に暮らすようになってから何度か肌を重ねたけれど、多分私がそういう事に慣れていないから悟さんは無理強いをしない。昔からなんだかんだで優しい人だと思っていたけれど、そうじゃない。私に嫌われたくなくて必死なんだと思うと、ますます愛しさが募った。

「もう焦る必要もないしね」
「焦ってたんですか? 悟さんが?」
「そりゃそうでしょ、だって10年よ? 綾は僕の気持ちに全く気付かないし、家の連中はさっさと結婚しろって煩いしさぁ」

 確かに婚約は私たち二人だけの問題ではなかった。それを痛感したのは最近のこと。悟さんと共に五条家へ挨拶に行った時の歓迎ムードは凄まじく、面識のある方たちに「このまま御当主が一生独身だったらどうしようかと思いました」と涙ながらに言われた時は私もどうしようかと思った。どうやら悟さんは私以外の女性と結婚するつもりはないと明言していたらしく、五条家の者は皆ハラハラしながら見守っていたのだとか。なんとも不甲斐ない話である。
 しかし申し訳なさそうにする私に気付いた悟さんは、気にするなと言うように笑った。

「悟さんも大概、私に甘いですよね……」
「そりゃ綾のこと大好きだからね」

 当然のように言う彼を見て、今更ながら一つの疑問が生まれた。
 どうして悟さんはここまで私に拘るのだろう。変に自分を卑下しているのではなく、あくまで単純な興味だ。そもそも婚約したのも彼の意向だったとこの前聞いたし。彼が結婚相手の家柄や術式なんて気にする性格だとは思っていないが、ならば私を選んだ理由は何なのか。気になるけれど「私のどこが好きなんですか」なんて面と向かって聞く度胸はない。代わりに一つ気になったことを聞いてみた。

「悟さんはもし私が家柄とか術式とか何も持ってなくて、結婚を反対されたらどうしてたんですか?」
「えー? そしたら駆け落ちでもしてたんじゃない?」

 別に家のことなんてどうでも良いしさ、という回答は一族の長としてあるまじきものだが、とても悟さんらしくて笑ってしまった。

「何? まさか五条家の当主じゃなかったら結婚しないとか言わないよね?」
「ふふ、まさか。あなたがどこの誰であっても、一生そばにいますよ」
「……あーなんか、今のグッときた」
「それは良かったです」
「はは、綾も本当に僕のこと大好きだよね」
「当たり前じゃないですか」

 私が悟さんのそばにいたいと願ったのは、彼が名門家の当主だからでも、現代最強の術師だからでも、ましてや家に決められた婚約者だからでもない。
 ただ彼を“愛しているから”──10年という長い年月をかけてようやく、それに気付くことができたから。


「だって結婚するのにそれ以上の理由なんて要らないでしょう?」


 生まれた時から決まっていた自分の運命は、いつの間にか変わっていた。それを物語るかのような私の台詞を聞いた悟さんは、嬉しそうに蕩ける笑みを浮かべて顔を寄せてくる。コツンとおでこが合わさると、どちらからともなく唇を重ねた。それが段々深まると、共に倒れ込むようにしてソファに転がされる。どうやら夕飯はもう少し後になりそうだ。


 悟さんと婚約した日から約10年。結局彼と結婚するという結末は変わらなかったけれど、私にとっては予想もしなかった結末を迎えることになった。
 悟さんとの出会いは私の人生を変え、“愛のない政略結婚”は“愛する人との結婚”へと変わった。
 それを運命と呼ぶのなら、なんて幸せな結末だろう。




 fin.




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