出会いと別れの季節といっても、この呪術高専ではクラス替えもなければ学生の入学時期もまばらだ。加えて別れなんていつでも唐突にやってくる。だから特に変わり映えのない、そんな季節。……あぁでも、桜は綺麗に咲いているな。なんて柄にもないことを思いながら校内を歩いていると、桜の大木を見上げて立つ人影を見つけた。距離が近づくとそれが女だと認識できたが、向こうは俺に気付かない。
綺麗な女だと思った。顔やスタイルの話ではなく、空気感や佇まいが。
高専の制服を着ているため新入生だと分かったが、風貌からはとても呪術師には見えない。強く握ったら折れそうな細い腕、透き通るような白い肌、よく手入れされていると分かる艶のある髪。どれもこの世界には似合わないものだ。見るからに弱そうだし補助監督志望なのかと思ったが、彼女の呪力を感じ取った俺の“眼”がそれを否定した。
「お前、呪術師か?」
単純な興味で声を掛けていた。それに驚いて振り向いた女はまだあどけなさが残る顔立ちをしている。俺よりも年下に見えるから一年生だろうか。しかし俺の顔を見てハッと息を呑んだ後、綺麗に口角を上げて微笑む姿は少しだけ大人びて見えた。
「はい。初めまして、一年の東雲綾といいます。……五条悟さん、ですよね」
よろしくお願いします。そう言ってきっちり30度に腰を曲げる様を見て、そういう事かと合点がいった。
──『東雲』ね。もちろんよく知った名前だ。優れた結界術を相伝する一門と言えば聞こえは良いが、プライドも何も持たず御三家に媚を売る事しか考えていないような連中だと俺は認識している。そこの娘、しかも俺の一つ下とくれば、当然俺に気に入られようと目論んだ親が高専に入学させたに違いない。
「なんでここに入った?」
「……え?」
16歳を過ぎたら本人の意思など関係なく娘を嫁に出すような家だ。本来なら呪術高専に入れる必要はない。術師として未熟だろうと、結界術の才能さえ受け継いでいればそれで良いのだから。
結界術は使い手が少ない上に難易度が高い。それに加えて東雲家相伝のそれは一風変わった性能を持つとなれば、強さに貪欲な御三家がその力を欲するのは呪術界の理であった。ただしその特殊な結界を使いこなせるのは東雲の中でも一部の人間だけのようで、俺もまだこの眼で見たことはなく謎は多い。それでも帳や領域対策といった基本的な結界術の才能は受け継がれるため、領域展開でさえも東雲の血を引いていれば習得するのは難しくないと言われている。そういった要因から、東雲家の女性は結界術の才能を子に付与できる優秀な母体だという認識が広まった。
政略結婚なんてこの世界では特段珍しいことでもないし、この女もそんな自分の運命を幼い頃に悟ったはずだ。しかし辿々しい口調で語られたのは、少々不可解な理由だった。
「その……家を出たくて。高専に入れば、卒業までは嫁がなくて済むと家の者から聞いて、それで……」
「……はぁ?」
なんだそれ、と眉を顰めた。そんな理由ならまだ、俺と結婚するためと言われた方がマシだったように思える。しかし俺に気に入られようとする魂胆など全く見えない発言はコイツの本音なのだろう。東雲家の女性は結婚するまで極力外との繋がりを絶たれた生活を送ると聞く。家を出たいというのは箱入り娘の精一杯の反抗だということは理解できた。
けど「卒業までは」ってことは、結局自分の人生諦めてるってことだろ。政略結婚を拒むわりには何も成そうとせず、中途半端な覚悟で高専にやって来たこの女に好感など持てるはずがなかった。
「家の言いなりになるだけがお前の人生なのかよ」
お前みたいなヤツを見てるとイライラする。そう喉まで出かかった言葉は何とか飲み込んだ。泣かれたら面倒だと思ったからだ。実際俯いた彼女の肩が小刻みに震えていたからそれを危惧したのだが、どうやらそれは俺の思い違いだったらしい。
「生まれた時から何でも持ってるあなたには、私の気持ちなんて分かりません……!!」
淑やかな風貌の彼女が、俺に対して怒りをぶつけてきたのは予想外で驚いた。しかし、言ってしまったとすぐに後悔したような目で狼狽える女に怒りなんて感情は湧かず、ただ呆れた。俺が五条家の人間と知っていながらその態度とは、本当に東雲家の娘なのかと。
「申し訳ありません、初対面の方にとんだ御無礼を……」
先に無礼を働いたのは俺の方だと思うが、それでも首を垂れる女にまた呆れた。なんだか呆れるばかりで本気で嫌悪を抱かなかったのは、彼女の境遇に同情したからなのか。……いや、ちょっとした罪悪感からだったのかもしれない。“どうせコイツも俺を『五条』としか見ていないのだろう”なんて、彼女を『東雲』という偏見で見ていたのは俺の方だったから。
「……自分の好きなように生きるにはどうしたら良いか、教えてやろうか?」
コイツも時代錯誤な呪術界の被害者だ。そんな彼女を見捨てることが出来なかったのは、俺自身が抱く呪術界への懐疑心からなのか。五条家の次期当主でありながら高専に通い、自由に生きる自分を肯定して欲しかったからなのか。理由ならいくらでも探せたが、どれもピンと来ない。
俺もこの女も、必死に足掻いたところで自分の人生はそう簡単には変わらない。それでも俺の言葉に目を輝かせる彼女の顔は、悪くないと思った。
「簡単な話だ。誰にも文句を言わせないくらい強くなれば良い」
そう言うと、彼女は大きな目をさらに丸くした。強さが全て、そんな世界をコイツは知らない。俺と彼女が育った環境が違うことなど分かりきっている。強さだけを求められて育った俺と、ただ名家に嫁ぐために育てられた彼女。決してこんな所で交わることのない人生──のはずだった。
「私も……強くなりたい」
それは小さな呟きだったが、何かを決意したようにこちらを見上げる彼女を見て息を呑む。俺の目に映った女の姿は、最初に見た印象とは随分変わっていた。
だったら……と勝手に動く自分の口に驚きながら言葉を紡いだ。ただの気まぐれと言ってしまえばそれまでだが、どうしてこんな事を言ったのかは自分でもよく分からない。
「協力してやってもいいけど」
◇
「五条先輩!」
お互いの第一印象は最悪、そんな出会いから数週間。打って変わって花が咲いたような笑顔で俺を呼ぶ綾の姿は眩しくて、この血生臭い呪術界にはやはり似合わないなと馬鹿げたことを思った。
協力してやる、なんて面倒な約束をしてしまったせいで、綾は昼休みのたびにニ年の教室まで俺を訪ねて来るようになった。空き時間を使って俺が綾の訓練に付き合ってやるためだ。早く強くなりたいと言う彼女は特級の俺に指導してもらえることが余程嬉しいのか、態度の悪い俺に臆することなく笑みを向けてくる。しかしその無邪気な笑顔が俺には毒で、つい顰めっ面をしてしまう。そもそも教えるなんて柄じゃないし、弱いヤツに付き合うのは疲れるというのも本心だ。
「……お前また来たの?」
「先輩が昼休みなら付き合ってくれるって言ったんじゃないですか」
「だからって毎日来るか? 空気読めよ。お前と違って俺は忙しーの」
適当にあしらえばそのうち諦めるだろう。そう思っていた時期もあったが、綾は意外としぶとい。……いや、問題はそこじゃない。
「……そう、ですよね……すみません」
ほらこれだよ。あーだりぃ、冗談も通じないのかよこのお嬢様は……。あからさまにショックを受けた顔をして視線を落とす綾は、今まで俺が出会ったことのない人種だ。どうも調子が狂う。俺としては他のヤツと同じように接しているだけなのに、こうも被害者面をされてはたまったもんじゃない。渋々フォローする羽目になるのだが、どうして俺がコイツに気を遣ってやらなきゃいけないのか。そう思いつつも冷たく突き放すことなどできないのだから嫌になる。そんな俺の様子が珍しいのか、最初は不思議そうに見ていた傑と硝子は、最近じゃ生暖かい目で見てくるようになった。正直あまり居心地の良いものじゃない。
「東雲」
しかし今日はいつもと展開が違った。しゅんとする綾に優しく声を掛けたのはどういう訳か、傑だ。
「私で良ければ、少し付き合おうか?」
「え?」
え? と、心の中の声が綾と被った。一体どういう風の吹き回しだ。この二人はせいぜい会えば挨拶をする程度の仲。そう認識していた俺が間違っていた訳ではなさそうだと、僅かに動揺する綾の様子から判断を下した。
おそらく傑は、毎日健気にやって来る綾が俺にあしらわれるのを見ていられなかっただけだろう。別に綾だけでなく誰にでも親切だし、その優しさを勘違いした女によくモテる。この女誑しが、と心の中で悪態をつく。不機嫌さが顔に出ていたのだろうか、チラリと俺の方を気にした綾は慌てたように視線を傑に戻した。
「これでも悟と同じ特級だからね。少しは役に立てると思うけど」
「それはもちろん有難いお話ですけど……本当にいいんですか? 夏油先輩だってお忙しいのに」
「問題ないよ。可愛い後輩の為だからね」
「あ、ありがとうございます……!」
二人が和やかに会話をする光景に違和感なんて無いのに、それでも俺は居心地が悪かった。なんだよ傑のヤツ、俺が心の狭い男みたいに言いやがって。それに綾も綾だ。ちょっと優しくされたくらいで嬉しそうな顔しやがって、そんなに傑がいいのかよと心の中で毒づく。何でこんなにイラつくのか全く分からないが、とにかく腹が立って仕方なかった。
じゃあ行こうか、そう言って綾の肩に手を掛ける傑を見て、ついに俺の中でプツンと何かが切れた。──同時に、ガガガッと椅子が床を這う轟音が響き渡る。
「……おい。行くぞ綾」
自分でも驚くほど低い声が出た。突然立ち上がった俺にびくりと肩を震わせた綾は、当然困惑したように俺を見る。しかし残りの二人はニヤニヤと意地の悪い笑みを隠そうともせずに俺を見る。居心地が悪いったらない。
「えっ、五条先輩? 忙しいんじゃ……」
「忙しいんだからさっさとしてよ」
言いながら綾を置いて教室を出れば、慌てたように小走りで後ろをついてくる音が聞こえる。それに気付いて自然と歩度を緩める自分にまたイラつきながら心の中で舌打ちをした。
「全く素直じゃないね」
「ダッセ」
揶揄うような傑と硝子の声は聞こえないフリをした。
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