決意

 自分はとことん最低の人間だと思う。クズだなんて硝子に言われなくても重々承知していた。
 それでも渡したくなかったのだから、仕方ない。──そう開き直る僕はやっぱりクズだ。
 結局綾と禪院家の男の結婚を阻止するため裏で手を回した僕は、何食わぬ顔で彼女の婚約者になった。家の人間に反対されても押し切るつもりだったが、綾の家柄のお陰で婚約の障害となるものはこれと言って無かった。五条家の跡継ぎ問題に頭を悩ませる者たちにとっては寧ろ喜ばしい話だったはずだ。禪院家との関係は悪化したが不仲は今に始まったことじゃない。
 東雲家にとっても当然悪い話ではなかった。当主争いが激しい禪院家よりも、既に当主の座が約束されている僕に嫁がせた方が安泰なのだから。禪院家には「五条家からの圧があり断れない」と言えば済む話だ。東雲家が五条家に頭が上がらないのは周知の事実であり、不自然な点はどこにも無い。
 こうして僕と綾の、誰もが政略結婚だと信じて疑わないような婚約が成立した。しかしあまりにもアッサリと事が運び、それがかえって僕の罪悪感を助長した。
 
──『綾の自由は僕が守るよ』

 それは綾を騙すような形で婚約したことへの、せめてもの罪滅ぼしなのか。政略結婚なんてしないと言ったのは彼女の為でもあるし、自分の為でもある。綾の気持ちを無視してまで結婚するつもりはないし、そんなものは虚しいだけだ。僕が欲しいのは彼女の“力”ではない。
 僕は他の男とは違う。綾が本気で望むなら婚約を解消したっていい。なんて当初は本気でそう思っていた。
 …………馬鹿じゃないのか。こんなにも愛しい存在を、手放せるはずがなかったのに。



「──綾」

 婚約から一年程経ち、四年生になった綾は街中で人目を引くほどの美しさを放っていた。一方で、僕の呼びかけに反応して花笑む姿は出会った頃と変わらず愛らしい。できることなら他の誰にも見せたくないし、僕のことだけ見ていて欲しいというのが本音だが、そう上手くはいかない。婚約者という立場を自覚した綾が僕を特別視するようになっただけでも一歩前進だろうか。

「すみません、遅れちゃって……」
「いいや、まだ10分前だよ」

 これまでの努力が実り、綾は一級昇級試験に合格した。二人でお祝いしようと言って彼女をデートに誘ったのは一週間前のこと。そして念入りに計画を立てた僕は今日、ある決意を胸に抱いて彼女の前に立っていた。
 ディナーは駅前のレストランを予約しているが、待ち合わせ場所は高専に程近い公園を指定した。その方が落ち着いて話ができると思ったからだ。綾が約束の10分前に来ることは経験則から分かっていたので、念には念を入れて30分前に到着していた僕は普段より目立っていたがその原因はコレだろう。

「改めて、一級昇級おめでとう綾」
「わぁ綺麗……! ありがとうございますっ」

 柄じゃないくせに、綾が喜ぶならと花束なんて用意する僕は心底彼女に惚れているのだと思い知る。声を弾ませて心から嬉しそうにする彼女を見れば、自然と自分の口元も緩む。……あぁ可愛い。こんなに可愛くて大丈夫かと心配になるくらい可愛い。今すぐ抱きしめたい衝動に駆られるが、婚約者を笠に着てあれこれするのは僕のなけなしの良心が咎めていた。今のところは何も手を出していない。今のところは。

「本当に五条先輩のお陰です」
「綾が頑張ったからでしょ。ちゃんとご褒美もあるよ」
「あっ、約束覚えててくれたんですね」
「当たり前じゃん。じゃあ早速だけど、後ろ向いて目瞑ってくれる?」
「………変なことしません?」
「大丈夫、大丈夫」

 警戒しつつも素直に従う綾の背中に近づくと、首筋の辺りから彼女特有の甘い匂いがふわりと香った。綾の匂いを特別に感じるのは、僕が本能的な部分でも彼女に惹かれている証拠なのかもしれない。そんなことを思いながら、背後からそっと腕を回し『ご褒美』のネックレスを着けてやる。
 綾の言う『約束』をした時は、まさかこんな物を贈ることになるとは思ってもみなかった。自分本位な代物になってしまったことは否めないが、彼女にとって有益な物であるのは間違いないのでまぁ良いだろう。もちろんアクセサリーとしての質は申し分ないし、シンプルで品のあるデザインは彼女によく似合っている。
 言いつけを守って目を閉じていた綾に「開けていいよ」と声をかけると、自身の胸元で光る石を覗き込んだ彼女が感嘆の声を漏らした。

「すごく綺麗……」
「これはね、御守りなんだよ」
「御守り?」

 綾が一級になったのは嬉しい反面、不安もある。一級以上の任務ともなれば危険度も跳ね上がるし、婚約者になったところで僕がいつでもそばにいられる訳じゃない。だから離れていても、僕が綾を守れるように──そんな思いで自分の呪力を込めた石は、奇しくも六眼の色に似ている。これを身につけた彼女を見て抱く高揚感は、自分の中の独占欲の表れなのだろうか。
 これがプロポーズの際に五条家当主が伴侶に贈るものだということは、まだ黙っておいた方が良いだろう。

「………綾」

 君が婚約の真相を知ったら、僕を軽蔑するだろうか。
 君が政略結婚なんて望まないのを知っていながら、権力を使って手に入れようとした僕を。
 ごめんと口に出しそうになって、それではあまりにも格好がつかないと思い直してやめた。


「僕が一生守るから」


 ──構うものか。誰よりも綾を愛しているのは自分なんだから。
 僕が綾の願いを叶える。運命だって変えてみせる。不可能だろうとやるしかない。自分には彼女を救えないなどと散々言い訳してきたが、婚約したからにはもう後に引けなくなった。綾の為にも、僕自身の為にも、何としても彼女の“心”を手に入れる──残されたハッピーエンドはそれしかない。
 そんな僕の決意を知る由もない綾は、大きな目をぱちくりさせた後、可笑しそうに笑った。

「どうしたんですか五条先輩」
「ストップ! あのさ、その“先輩”っていうのやめない?」
「え、どうしてです?」
「婚約したのに対等じゃないっていうか、距離があるっていうかさぁ」
「えぇ? うーん……?」
「ついでに悟って呼んでくれていいんだよ」
「それはちょっと……」

 急には変えられませんよ、と苦笑いする綾の反応はまぁ予想通りだが、プロポーズともとれる言葉を受け流すのは正直どうかと思う。僕の好意など意に介する様子もない彼女を見て、本当にハッピーエンドはあるのかと早くも危機感を覚えた。

「そうだ! 私も何かお返しさせて下さい」
「お返し?」
「たくさんお世話になったお礼と、それからこのネックレスのお礼に」

 やはり育ちが良いからか、こういう律儀な所も可愛いと思ってしまう。いやもう何をしてても可愛いんだけど。僕としてはお返しなんて求めていないが、そう言っても納得しないのだろう。何か欲しいものありませんか? という問いかけに頭を悩ませていると、そんな僕を見た綾が困ったように笑った。

「何でも持ってるから、欲しいものなんて無いですよね」

 ……欲しいものなら、あるけど。
 それさえあれば他に何も要らない。そう思えるくらい渇望しているのに、言葉にするのは憚られる。婚約者という関係を手に入れても、簡単には彼女の心を手に入れられない歯痒さは相変わらずだった。

「んー……とりあえずこれからも僕とデートしてくれればそれで良いよ」
「デートって、今日みたいなお出かけのことですか?」
「そうそう。最低でも月に一回ね」
「そんなことで良いなら……」

 本当は週一にしたいところだが、僕のスケジュール的に厳しそうなので妥協した。これまでも二人で出かけることは度々あったが、先輩後輩という関係からはそろそろ脱却したい。『デート』と強調すれば少しは僕のことを男として意識してくれるんじゃないかと僅かに期待を抱く。
 しかし小難しい顔をして何やら考え込む綾を見て、すぐに嫌な予感へと変わった。

「それは婚約者としての務めってことですか?」

 ……うん、言うと思った。僕の予想を裏切らない綾はある意味流石だが、どうして僕の好意だけこうも曲解されてしまうのかと頭を抱える。彼女のややズレた思考回路に手を焼いているのは昔からだが、そういう所も可愛いと思ってしまう僕は末期かもしれない。

「違う違う。そういうのないって最初に言ったじゃん」
「……そうでしたね。ごめんなさい」
「安心してよ。綾の自由は僕が守るから」

 五条家の当主となる自分が彼女の為に出来ることは制限されるのかもしれない。だからこそ僕は綾の自由を最大限に守り、彼女を幸せにできるのは自分だけだということを証明したいんだ。その為の努力を惜しむつもりはない。
 およそ一年前、他の男の元へ行こうとする綾の手を掴めなかった自分とは決別した。多少の後ろめたさはあるが、それでも綾を手放す気はない。そんなに簡単に手放せるほど薄っぺらい想いじゃないということを、そろそろ彼女にも分かって欲しい。これからは僕がその手を引いて、必ず明るい未来に導いてみせるから。そんな思いを込めて、綾の手を掴もうとした瞬間──それより先に彼女が動いた。

 小さな手が、両方で僕の手を包み込むようにぎゅっと握った。
 驚いて顔を上げれば、視線の合った綾が微笑む。


「ありがとう。五条さん」


 …………それは、ズルいだろ。完全に不意打ちだった。
 呼んでから照れ臭くなったのか、えへへ……とはにかむように笑う綾が可愛すぎて、もう全てがどうでも良くなった。

「きゃっ……何ですか重いっ」

 堪らなくなって抱きつけば、よろけて体勢を崩しそうになった綾から抗議の声が上がる。苦しいのか背中をバシバシ叩かれるがやめてやらない。ハグで我慢しているんだから褒めて欲しいくらいだ。『一応婚約者なんだし、キスくらい許されるんじゃないか?』という悪魔の囁きも聞こえたが、綾は男に免疫が無いのであまり下手な事はできない。信用を失くさないようにじっくり攻めていくしかないのだろうが、こんなに近くにいるのに手を出せないなんて逆に地獄だ。
 既に限界は近いが、この先大丈夫だろうか……?

「……生殺し……」
「え? なんて?」

 婚約してもまだ全然足りない。
 早く僕だけのものにしたい。心も、体も、何もかも。

 綾が僕の全てを求めてくれるその日まで、ただ僕は彼女のそばで、その笑顔を守り続けることを誓った。




 fin.




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