こうしていつもの居酒屋にいつものメンツが集った次第だが──今日は少し様子が違っていた。
「聞いてよこの間僕の綾がさぁ」
乾杯の後、真っ先に口を開いた五条さんの隣を見て思う。恐らく今回の飲み会の被害者である他の二人も思っているであろう。今日はどうも華に欠けるな……と。
「突然『助けてください』って電話してきて何事かと思ったら、東京駅で迷子になったとか言うの。慣れない電車なんか使うからだよって思ったけど半泣きで僕に助けを求めてくる綾が可愛すぎて速攻迎えに行ったのね」
「はぁ」
「そしたら僕のこと見つけた瞬間ホッとした顔で駆け寄って来るのクッソ可愛いし『五条さんにしか頼めなくて』とか言うの堪んないし、人混みで控えめに僕の腕掴んでくる仕草なんてもう最高に可愛くて悶え死ぬかと思ったよ」
「そうですか……」
五条さんの話は大体惚気から始まる。特に返事をしなくても機嫌良く一人で話し続けるのが常なので、適当に相槌を打ちながらお通しに箸をつけた。家入さんと伊地知君も慣れているので同様だ。メニュー表など見なくても頭に入っている家入さんは、既に飲み物と一緒につまみを数品頼んでいた。酒豪で有名な彼女よりも、下戸のくせにこの上なく面倒な絡みをしてくる五条さんに付き合う方がよっぽど骨が折れるのは言うまでもない。
「あと昨日お土産に人気のスイーツ買って帰ったらさぁ『私これ好きなんです』って満面の笑みよ。そんなん知ってるっつーの。だからわざわざ雨の中一時間も並んで買って来たんだよ?」
「それ並んだの私ですけどね……」
「チョロすぎて心配になるけどそんな事で喜んでくれるなら尽くしたくなっちゃうでしょほら僕って愛されるより愛したいタイプだからさ。それもこれも僕の綾が可愛すぎるのがいけないよね。知ってる? いつも敬語なのにお礼言う時は『ありがとう』って嬉しそうに笑うのあざといでしょでも可愛いから許すっていうか寧ろ大歓迎なんだけどね?」
途中の伊地知君のぼやきは五条さんのマシンガントークにかき消された。次から次へと出てくるエピソードはぶっちゃけ大した内容ではないし心底どうでも良い。キスだのセックスだの生々しい色事を曝け出されても困るが、我々としては幸いなことに二人の関係はそこまで進展していないようだった。
五条悟が見た目と性格に反して清い付き合いを続けている、しかも10年間一途に愛し続ける女性と。そんな恋愛小説のような話、俄に信じられるはずがない。しかしそれが紛れもない事実であることは、彼らと共に長い時間を過ごした我々なら嫌というほど知っている。
「そういえば先月のデートで……」
「ストップ。もう十分です」
「えぇっ僕はまだまだ話し足りないんだけど?」
「知るか。あと一々『僕の』って付けるな鬱陶しい」
「だって事実じゃーん」
いつもなら五条さんの隣に東雲さんが居るのでこのような事態にならないのだが、今日は用事があるらしく珍しく欠席だった。ここぞとばかりに惚気る五条さんは、酒なんて一滴も飲んでいないにも関わらずいつもより饒舌でこちらは頭が痛くなる。彼は東雲さんの前では余裕ぶって紳士的に振る舞っているようだが、裏ではこの様な実態を晒して周囲を辟易させている。元々変人だが彼女の事になると度を超えてくるので厄介だ。
すると伊地知君は五条さんのマシンガントークに何か思う所があったのか「あの……」と神妙な面持ちで私と家入さんに向かって口を開いた。
「お二人は少し前に新しい補助監督の方が入ったのをご存知ですか?」
「……あぁ、確か若い女性でしたよね」
「へぇ良かったじゃないか。人手が足りないっていつも嘆いてただろ?」
「それが……三日で辞めました。五条さんのせいで」
「はぁ?」
どういう事かと五条さんを見やると、彼は濡れ衣だというように首を左右に振った。
「何でも人のせいにするのは感心しないなぁ。僕が何したって言うのさ」
「それをお聞きしたいんです。彼女に理由を尋ねても『あんな人と一緒に仕事なんて出来ません』の一点張りで……一体何をしたんですか?」
どう考えてもお前が加害者だと言わんばかりの伊地知君の尋問に対し「僕は被害者なんだけど」と口を尖らせる五条さん。口調はいつも通り軽いが、声色は心なしか冷たい。
「なんか勘違いしてるみたいだったから優しく教えてあげただけだよ。僕は政略結婚なんてしないから綾以外の婚約者は要らないって」
それだけで「なんだまた女絡みか……」と一同察した。
いくら東雲さんと婚約しているとはいえ、五条さんに言い寄ってくる女性なんて腐るほどいる。その度に対応する彼は気の毒だと思うが、恨むなら自分の天命を恨めば良い。圧倒的強さと五条家当主という肩書き、そしてこの容姿は世の女性を虜にするには十分だった。つまりその補助監督の女性も、五条さんに好意があったということだろう。
五条さんと東雲さんの関係をよく知らない者なら、愛とは無縁の政略結婚だと解釈するのも無理はない。実際二人の婚約が、術師界隈の均衡を崩しかねないものであることは確かだ。五条さんの子には六眼が引き継がれない可能性が高いにしても、東雲さんの持つ特殊な結界術が渡れば五条家の力はより盤石なものになる。そう確信できるくらい、彼女の結界術は優れていた。特に禪院家の中には二人の婚約をよく思っていない人間も多いと聞く。元々五条家とは仲が悪い上、なんでも東雲さんが最初に結婚する予定だった相手は禪院家の嫡男だったという話だ。それを無理矢理奪った五条さんは流石というか、何というか……。当然彼は東雲さんの『力』が欲しかったわけではないので、どちらが正義かと聞かれれば分からないが。
「それはまぁ、正論ですが……。それだけで彼女が辞めたとは到底思えませんよ」
「どうせ今みたいに綾への重すぎる愛をマシンガントークして幻滅させたんだろ」
「そんな事してないよ。ホテルに誘われた時は『君じゃ勃たないから無理』とは言ったけど」
「それはその……もう少し言い方というものがあるのでは……」
控えめに進言する伊地知君は五条さんに甘過ぎるといつも思うが、どうせ言っても聞かないと分かっているからだろうか。ただ女性の誘いを断れば良いものを、わざわざ相手の神経を逆撫でするあたりやはりこの男は普通じゃない。この調子だと他にも原因となった問題発言が五万とありそうだと頭を抱えた。
それにしても件の女性は中々自信家のようだ。五条さんを落とせば自分が婚約者の座につけるとでも思ったのか。そこまでは望まなくとも、少しくらい自分と遊んでくれることを期待したのか。いずれにせよ五条さんの発言は、その女性にとって極めて屈辱的なものであったに違いない。
けれど彼がこっぴどく振った理由も一応理解できる。万が一にでも未練を残されて、逆上した相手の怒りの矛先が東雲さんに向くことがあってはならないからだろう。本当に彼女に関する事となると、どんなに些細な事にも気を回せるものだと感服する。
「全く……そんなに大切なら早く結婚したらどうですか」
「簡単に言うなよ。綾が僕を好きになってくれなきゃ意味ないんだって」
「愛されるより愛したいんじゃなかった?」
「愛されなくても良いとは言ってない」
好きだと思いますけど……とは言わないでおく。調子に乗られると面倒だ。それに東雲さん自身が気付いていない想いを、第三者から伝えるべきではないだろう。家入さんもそう考えているのか、拙速に事を運ぼうとはしない。よって我々は長年にわたり気を揉む羽目になっているという訳だ。
「ていうかさ、好きって言ってんのに伝わんないのヤバくない? え、僕どうしたらいい?」
惚気から一転して愚痴をこぼし始めるのもお決まりのパターンだった。彼が東雲さんの居ないところで惚気ていることも周囲を牽制していることも、彼女はきっと知らない。一応自分が『特別』だという認識はあるようだが、それも全て「婚約者だから」の一言で片付けようとする。彼の事をよく理解しているようで、肝心な事は何一つ分かっていない。このふざけた男が「婚約者だから」で10年間も飽きずに愛を囁き続けるはずがないだろうに。
「結婚しようと誠意を持って伝えるべきでは?」
「はぁー何にも分かってないね伊地知。綾をそこら辺の女と一緒にしないでくれる?」
「そうだ伊地知。綾は結婚しようって言っても『なんで?』とか平気で言う女だぞ」
「『なんで?』ならまだ良いよ。『わかりました』ってただただ義務的な返事だったらどうする? 流石の僕も立ち直れないよ?」
「……すみません」
伊地知君が思わず謝ってしまうのも無理は無い。愛する女性にプロポーズしてその反応はいくらなんでも五条さんが不憫に思える。結婚しようという言葉に彼女がただ頷いたとしても、それではこの男は満足しないのだ。そうなってくると『婚約者』という肩書きは厄介な制約でしかないように思えた。
「でもそろそろ結婚しないと流石にマズいんじゃないですか?」
「……お前って本当に痛いところ突いてくるね。性格悪いって言われない?」
「私はただ東雲さんの心配をしているだけですよ。あと後半はそっくりそのままお返しします」
10年という長い婚約期間、そして彼女の年齢を考えれば結婚のタイムリミットは近い。御三家のような一族にとっての跡継ぎ問題は、一般家庭とは比べ物にならない程にシビアだ。子を生さぬ嫁が一族の中でどのように扱われるかは想像に難くない。いくら五条さんの加護があっても肩身の狭い思いをすることになるだろう。
そうなる前に我々も何か手を打った方が良さそうだ。10年経っても結婚に持ち込めないこの男は言うまでもなく、いつまでも自分の恋心を自覚しない友人にも呆れたものだが、このまま黙って見過ごす訳にもいかない。
「君たちまで僕を追い詰めるのやめてくれる? こう見えて繊細だから僕」
「……そういえば最近よく電話口の相手と揉めてますよね。あれって五条家の方ですか?」
「そうだよ。今年中に結婚しなかったら破綻にするだの、とにかく一度綾を本家に連れて来いだの、まー五月蝿いのなんのって」
「え? 結婚反対されてるんですか?」
「逆だよ逆。ウチの連中も綾のこと気に入ってるし僕が他の女と結婚する気がないってことは分かってるから、なんかもう僕以上に必死なんだよね」
そうは言っても、客観的に見て非があるのは五条さんの方だと思う。当主が一生独身かもしれないという危機に直面している一族の者にとっては、焦って然るべき状況だろう。何とかして二人を結婚させようと躍起になっているらしい。不甲斐ない主人に仕えるヤツらも大変だな……という家入さん台詞に心の中で同意を示した。
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