「お疲れ様、伊地知くん」
「! 東雲さん。お疲れ様です」
こちらに気付いた伊地知くんに笑みを向けると、ぺこりと頭を下げられた。彼は私の一つ下の後輩で、親しい間柄ということもあり何かと頼み事がしやすくて助かる。しかし彼がここに居るということは、五条さんは任務へ向かったわけではなさそうだ。微かに焦りの色を滲ませる伊地知くんを見て嫌な予感がした。
「まだ五条さんと連絡取れないの?」
「え?」
「あれ違った?」
「あぁいえ。その通りなんですが、“まだ”っていうのは……?」
たった今電話したところですが……と不思議そうに言われて自身の勘違いに気付いた。つまり私の部屋で五条さんのスマホを鳴らしていた相手は、伊地知くんではなかったのだ。あの時マナーモードにしていたので、その後の着信には気付いていない可能性が高い。最初に無視していた電話の相手も気掛かりではあるが、伊地知くんに対して嫌悪感を露わにしていたのではないと知って安心した。
「ううん私の勘違いだったみたい。五条さんマナーモードにしてたから気付いてないのかも」
「そうですか……。とりあえず留守電を残したので折り返しを待ってみます」
「これから五条さんと任務?」
「はい。実は五条さん、新しい補助監督と折り合いが悪いようでして……。それで急遽私がつくことになったので電話したんですよ」
「全くあの人は……。ごめんね、忙しいのに迷惑かけて」
「いえそんな。これくらい日常茶飯事なので大丈夫ですよ」
日常茶飯事、と聞いてますます居た堪れなくなった。やはり伊地知くんの苦労は計り知れない。
東京校の補助監督が長く続かない原因の大半は五条さんにあると思う。ひいてはそれが伊地知くんたちの負担になっているというわけだ。先月入ったという若い補助監督の女の子も五条さんのせいで3日で辞めてしまったと聞いた。きっと伊地知くんに接するのと同じ感覚で無理難題を押し付け過ぎたのだろう。女の子には優しい人なのに意外だなと思ったが、やはり仕事となると話は別なのだろうか。
そうなってくるとやはり伊地知くんは貴重な人材だ。五条さんはあれでも伊地知くんの仕事ぶりを認めているし、信頼もしている。ただちょっと思いやりの心がないだけで。
「それより何か御用でしたか?」
「あっそうそう。日曜日の五条さんの予定ってどうなってる?」
「日曜日は……2つ任務が入ってますね」
「それって特級案件?」
「いえ、そういう訳ではありませんが……何かありましたか?」
「なんか五条さん、デートだから休ませて欲しいらしくて」
「は?」
「だからそれ、私が代わりに行ってもいいかな」
「……えぇっ!?」
日曜日は休みで特に予定もないし、特級案件でなければ私が代わっても問題ないだろう。そんな軽い気持ちで提案したのだが、対する伊地知くんはあからさまに狼狽えている。
私は呪術師でありながら、高専職員という立場上あまり前線に立つことがない。緊急事態やどうしても人手が足りない時には任務に就くが、最近はしばらくそういったこともない。あまり面識のない若い補助監督からはせいぜい二級程度の実力だと思われていることだろう。しかし心配は無用だ。
「大丈夫よ、これでも一級ですから」
それに高専に引き篭ってばかりじゃ勘が鈍っちゃうしね、と苦笑いを零すと伊地知くんは何とも言えない表情を浮かべた。
そもそも五条さんの受け持つ任務が低級呪霊の討伐なわけがないので、おそらく一級以上の術師でないと危険だ。現在その人数は限られているため簡単に代わりが見つかるとは思えないし、五条さんの我が儘を聞いてあげようとした私が引き受けるのが筋だろう。そのことは伊地知くんも理解しているはずだ。しかし返ってきたのは、意外にも懐疑的な反応だった。
「でも……デートなんですよね?」
「それは私じゃなくて五条さんね」
「いやいや、……いやいやいや!!」
ブンブンと顔を左右に振り、必死に何かを訴えようとする伊地知くんに首を傾げる。この反応はもしかして、何か訳アリ案件なのだろうか。私の実力を知ってくれている彼がここまで難色を示す理由なんて他に見当たらない。
「どうしたの伊地知くん。何かマズい?」
「そうではなく……え? 一緒に行かないんですか? デート」
「え? 行かないよ。そもそも誘われてないし」
「ど、どういう事ですか?」
「どうもこうも、私はただ『日曜日あけといて』って言われただけだから」
「……あけといて、ですか」
「うん。あけといて…………あれ?」
そこでようやくある仮説に辿り着いた私は唖然とした。
「……まさか、そういう意味?」
てっきり五条さんのスケジュールを空けておくように念押しされたのだと思っていたけれど、私の予定を空けておけってこと? つまりあれはデートのお誘いだったのだろうか。それにしては随分わかりにくい。しかも去り際に言われて返事もしていないのに。あれで「約束したよね」なんて言われても困るが、五条さんなら言いかねないから厄介だ。
「どうしよう分からなくなってきた……。伊地知くん五条さんに聞いてみてくれない?」
「わ、私がですか?」
「だって勘違いだったら恥ずかしいし」
「勘違いも何も……あっ」
ちょうどその時、伊地知くんのスマホが震えた。留守電を残したと言っていたから五条さんから折り返しがきたのかもしれない。おそらく伊地知くんもそう期待したのだろう。光の速さでスマホを取り出し操作しているが、どうやら着信は電話じゃなくてメールのようだ。すぐに内容を確認した伊地知くんは、ガックリと項垂れた様子で画面をこちらに向けて見せてくれた。
『日曜綾とデートだから。任務入れたらシバく』
それは確かに五条さんからのメールだったが、どう見ても伊地知くんの着信に対する返信ではない。人の話は聞かず、自分の言いたい事だけ伝える五条さんはどこまでも五条さんだと呆れた。
それにしても本当に私と出かけるつもりだったのか。デートの誘い方もおかしいし、人の予定も聞かずに勝手に決めてしまうなんて普通なら有り得ない。しかしその有り得ないことを平気でする男が五条悟なのだ。まさに常軌を逸した人だけど、それに慣れてしまった今では「五条さんならば仕方ない」と思ってしまっている自分もいる。これは断じて優しさではない、諦めの境地だ。おそらく伊地知くんも同様だろう。大きなため息をついた彼は、すぐに日曜日の他の術師のスケジュールを確認し始めた。
「いや私は最初から分かってましたよ。五条さんのデートの相手なんて東雲さんしかいませんから」
「そうかな。他にそういう相手がいるって言われても驚かないし、責めるつもりもないけれど」
「……なんだか今、生まれて初めて五条さんに同情しました」
「どうして? 束縛とか嫌いそうじゃない」
「と、とにかく。日曜の任務は他の方にお願いしておきますので」
「待って。それは悪いからデートは別日にしてもらうよ」
五条さんの我が儘のせいで他の人にまで迷惑をかけるわけにはいかない。しかも日曜日は元々休みの術師が多いのだ。平日に任務が一つ増えるくらいならまだしも、せっかくの休みを返上させるのはますます気が引ける。五条さんのデートの相手が私なら尚更、日を改めさせれば良いだけの話だ。しかしそう言っても伊地知くんは頑なに首を縦には振ってくれない。いいんです、と珍しく力強い声で制された私は思わず閉口した。
「五条さんの機嫌を損ねれば後々まで面倒な事になりますし、それによる損失および各方面への被害を考慮した上で最善の判断をしたまでですから」
とにかく、東雲さんには五条さんとデートしてもらわないと困ります。そう言われてようやく、私が皆の平穏の為の生贄だという事を悟った。
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