伊地知君の疑問の声は今更過ぎるが、確かにそろそろこの場に居ない彼女に恨みを募らせ始める頃だった。惚気も愚痴ももう聞き飽きた。きっと私だけでなく、五条さんを除く三人の思いは一つだろう。早くこの男をどうにかしてくれ、と。
「なんか幼馴染の結婚式だって」
「へー綾に幼馴染なんていたんだ。男?」
「あのさ、笑えない冗談やめてくんない?」
「別に良いでしょう男でも。もう結婚した方なんですから」
「おい適当な事言ってんじゃねぇぞ七海。ちっちゃくて目に入れても痛くない頃の綾が『大きくなったらお嫁さんにしてね』とか言ってたらどうすんだよ」
適当な事を言っているのは自分では……と思ったが面倒なので声には出さない。こういう余裕の無いところは、東雲さんが自分を好いていることを知ったら少しは落ち着くようになるのだろうか。……いや、あまり期待はできないのでやはり黙っておこう。
「じゃあ東雲さんは今頃二次会とかですかね」
おそらく場を取り成そうとして咄嗟に出たであろう伊地知君の発言は逆効果だ。案の定『二次会』という単語を耳にした五条さんはピタリと動きを止めた。──そして訪れる沈黙。嫌な予感しかしない。
「僕ちょっと迎えに行ってこよっかな〜」
「言うと思った。そういうのやめろって」
「なんで?」
「普通にウザいだろ」
「は? じゃあ何? 硝子は綾にさり気なくボディタッチしたり連絡先を聞いてくるような男を僕がうっかり殺しちゃってもいいワケ?」
「お前はまず日本語の使い方を学び直せ」
うっかりで人を殺すな、という家入さんのツッコミは少々論点がズレている気がする。うっかりじゃなかったらいいのか。ちなみに『殺す』という物騒なワードはただの脅しではない。東雲さんに下心を持って近づく男は皆社会的に抹殺される、というのは術師界隈では有名な話だ。つい先日も、若手術師が一人姿を消したと情報通の猪野君が悍ましい顔つきで話していた。事情を知らない一般人ならともかく、同業者であれば情状酌量の余地もない。
「というか、彼女が今どこに居るか分かるんですか?」
「当たり前じゃん」
「……まさかとは思いますけど、GPSなんて仕込んでないでしょうね」
「君たちさぁ、僕をなんだと思ってるの? 良い加減にしてよ」
そんな事するわけないじゃん、と言われても疑念は晴れない。この男ならやりかねない。そんな私と伊地知君の心を読んだのか、五条さんは「呪力で分かるんだよ」と言うが本当だろうか。いずれにせよ居場所が筒抜けなんてプライバシーも何もあったものではないな……と東雲さんを気の毒に思った。──その直後のことだ。
「こんばんは」
鈴を転がすような声が耳に届いた。ぱっと視線を上げるとそこには美しいパーティードレスに身を包んだ東雲さんがいた。ドレスと言っても露出は少なく、落ち着いた色味のそれは上品な彼女によく似合っている。
突然の登場に驚く私と伊地知君とは対照的に、平然と「お疲れ」と声をかける家入さんを見て、成る程彼女の差し金かと納得した。五条さんはというと、立ち上がって東雲さんに近づくと「おかえり綾」と言いながら華奢な体を引き寄せてやんわり自分の腕に閉じ込めた。そのまま彼女の首筋に顔を寄せて匂いを嗅ぐ五条さんはただの変質者にしか見えない。
「もう、酔っ払ってるんですか?」
酒など一滴も飲んでいないが危険だから早く離れた方がいい。そう忠告しようと思ったが、どこか穏やかに笑う彼女を見て胸中に留めた。というか正直その反応は意外だった。初心な彼女のことだから、てっきり顔を赤らめて抵抗するものだと思ったのだが。知らぬ間に随分と五条さんに心を許しているのだな。
「綾はお酒の匂いするね」
「あ、バレました? でも一杯だけですよ」
「僕が居ないところで飲んじゃダメって言ってるじゃん」
「大丈夫ですよ、私五条さんほどお酒弱くないので」
「僕と比べてどーすんの」
過保護な五条さんに不服そうな目で見られても、やはり東雲さんは穏やかに笑っている。彼女から漂うおっとりした雰囲気はまさにお嬢様らしいな、と未だに思う。
まるで絵に描いたような大和撫子、それが彼女の第一印象だった。非術師の家系で育った自分にとって、良家のお嬢様なんて無縁の人間だと思っていた。高専に入ってからは周囲に気を遣わせないように敢えて砕けた口調で話すように努めていたようだが、ふとした所作にはどれも育ちの良さが感じられた。
そんな彼女は高専時代に五条さんの影響を受け世俗にまみれた結果、客観的に見ても親しみやすい性格に変わったと思う。一方の五条さんも彼女の影響で随分と丸くなったのは言うまでもなかった。お互いに影響を受けながら共に年を重ねてきた二人は、人間的な相性が良いのだろう。容姿端麗な二人が並ぶと絵になるし、そういう意味でもお似合いだと思う。そういえばどこかの誰かが言っていた。五条悟は女の趣味だけはまともだな、と。言い得て妙だと思った。
「東雲さん、二次会じゃなかったんですか?」
「え? 二次会なんてないよ?」
「おい誰だよ二次会なんて言ったヤツ」
「いやっ、でもなくて良かったじゃないですか! あー良かった本当に!」
「? 伊地知くんは二次会に苦い思い出でもあるの?」
「いやぁ、まぁ……アハハ……」
兎にも角にも、うっかり殺害される被害者が出なかったことは喜ばしい限りだ。どうやら披露宴は昼間で、その後は共に参列した友人と軽くお茶をして夕方には解散になったらしい。そして予想通り家入さんから「五条を何とかしろ」と連絡をもらった彼女は、そのままこちらに合流したという訳だ。
とりあえず座ったら? という家入さんの言葉でようやく東雲さんを解放した五条さんは、そのまま彼女の手を引いて自分の隣に座らせた。
「ねぇ幼馴染って男?」
「何ですかいきなり。女の子ですけど」
「じゃあ結婚の約束したのも僕だけだよね?」
「はい? そんなの当たり前でしょう」
何言ってるんですか、と可笑しそうに笑う彼女にとって、結婚の約束とは形式上の『婚約』と同義に違いない。そんな彼女の思考回路を嫌というほど理解している五条さんからすれば、肯定されることも想定内だったはずだ。それでもわざわざ言わせたかったのは、よほど余裕が無いのかただ優越感に浸りたかったのか。いずれにせよ彼女に対する執着には呆れたものだ。そんなに必死にならずとも、最強の最愛に手を出そうと策謀する命知らずはそういないというのに。
──そこでふと、懐かしい顔が頭に浮かんだ。そういえば親友の灰原もかつて東雲さんに想いを寄せていたな……と学生時代を思い出す。結局最後まで好きだとははっきり伝えなかったようだが、いつも自然と彼女を目で追っていた。そして直接本人には言えないのか、私の前で可愛い可愛いと連呼するのが日常だった。
告白しないのか、そう尋ねた私に彼は言った。『敵うはずないじゃん』と。誰になんてことは聞かなくても明白だった。当時から五条さんの東雲さんに対する好意はダダ漏れであったし、実際にどうだったかは知らないが昼休みを共に過ごす二人は特別な関係に見えていた。何より彼が『最強』であることは疑いようのない事実で、力も金も地位も名誉も、全てを持っている彼には到底敵うはずがない。そう思ってしまうのも無理はなかった。東雲さん自身がそういう事を気にしない人間だったとしても、彼女の家の事情を考慮すれば尚更だ。
きっとこの二人は卒業したら結婚するのだろう。そう思っていたが、まさかこの煮え切らない関係が10年以上も続くことになろうとは、一体誰が予想できただろうか。
「綾も何か頼みなよ。五条の奢りだし」
「あ、はい。じゃあこの日本酒を」
「……結構度数強いですけど、大丈夫なんですか?」
「え、うん。この前硝子さんと飲んだ時に美味しかったから」
「ちょっと硝子。僕の綾を酒豪キャラにするのやめてくれる?」
「なんで? 酒に強い方が安心だろ。女を酔わせて落とそうとする男もいるんだから」
「綾は僕以外の男と飲みになんて行かないからいいんだよ」
「一番危険な男が近くにいて何言ってんの」
「えぇ? それって誰のこと?」
「五条さんしかいないでしょう……いだっ」
珍しく心の声を漏らして悪態をついた伊地知君は、テーブルの下で五条さんの制裁を受けていた。素知らぬ顔で「そこ冷房寒くない?」なんて東雲さんを気遣うこの男は、相変わらず彼女の前では別人のように紳士的で気味が悪い。
それにしても、女性が好みそうな甘めの酒を勧める五条さんに「そんなのジュースじゃないですか」と言う東雲さんは意外と酒に強い。意外と、というだけで特別強いわけではないと思っていたが、よく二人で飲んでいるという家入さんに鍛えられて以前より強くなっている可能性は大いにある。運ばれてきた日本酒を飲んでもケロッとしているし、酒癖が悪いわけでもないのだから別に飲ませても問題ないだろう。そもそも日本酒のアルコール度数はワインと同等であるし、女性でも飲みやすい甘口のものも多い。焼酎やウイスキーをロックで飲む家入さんに比べたら可愛いものだ。
五条さんは一体何が気に食わないのだろうかと疑問に思っていると、すぐにその答えは見つかった。「もうやめときな」と言って酒の代わりにメロンソーダを差し出す彼を見て、ただ自分と同じものを共有して欲しいだけだと知りその幼稚さに呆れた。
◇
何も言わなくてもいつも帰りのタクシーを手配してくれる伊地知君は完全に職業病だろう。結局最後まで東雲さんは酔っているようには見えなかったが、タクシーは4台でいいと五条さんが言っているのを見て一緒に乗って帰るのだろうなと思った。いつも通り支払いをしてくれる五条さんに礼を言って店を出ると、頬を撫でる風が少し冷たくて心地良い。
「送ってくよ」
「タクシーで帰るだけですから。一人で大丈夫ですよ」
「つれないなぁ。まさか僕がいつも家まで送ってる理由分かってない?」
「理由?」
タクシーで帰るのだから夜道の危険も何もない。それでもいつも東雲さんが家に入るところまで見届けるという五条さんは過保護にも程がある。最強で不遜な彼が甲斐甲斐しく婚約者に尽くす様はやはり異質なのか、初めて目にする者は皆驚く。しかしこうして彼女を大切にするところは私が唯一、彼を尊敬できる部分でもあった。
そんな五条さんは、一人で帰ると言う東雲さんの手を取ると、胸の前まで持ち上げて指を絡めた。どうやら我々の存在などとっくに眼中にないらしい。
「もう少し一緒に居たいっていつも思ってるからだよ」
歯の浮くような台詞が恥ずかしいのか、そっぽを向いた東雲さんに「照れてる可愛い」と言って愛おしそうに頬を撫でる五条さんの姿はとても見れたものじゃない。唐突にイチャつき始めた二人を視界から追い出し、さっさと退散しようと心に決める。
最初に到着したタクシーは家入さんに譲り、全員で彼女を見送った。レディファーストで次は東雲さんかと思ったが……この二人は放っておいても良いだろう。伊地知君も同じことを考えたのか「七海さんは次のタクシーでお帰り下さい」と言うので遠慮なくそうさせてもらう事にした。しかし土曜の夜とあってタクシーの到着が遅れているようだ。伊地知君と他愛もない話をしながら待つ間も、五条さんのよく通る声が聞こえてくるから嫌になる。
「やっぱりその格好寒いでしょ。ギューしてあっためてあげよっか」
「えぇと、少し肌寒いですけど結構です」
「そんなに嫌? じゃあこれ着てな」
「でもそれだと五条さんが寒そうですよ」
「僕なら大丈夫。威圧的なオーラ纏ってるから暑いくらい」
「ふふ、何ですかそれ」
会話の内容から推察するに、五条さんが東雲さんに自分の上着を掛けてやったのだろう。威圧的なオーラなんてただの冗談だろうが、彼ならば無下限呪術の応用で何かそれらしい事が出来そうな気もしてしまう。一体どんな顔をして言っているのかと気になって、チラリと二人の方に視線を向けてしまったことをすぐに後悔した。
「ありがとう、五条さん」
……驚いた。あんな風に笑う東雲さんを見たのは初めてだった。普段は口角を上げて綺麗に微笑む彼女が、少しはにかみながら締まりのない顔で笑ったのだ。それに対してふわりと柔らかく笑う五条さんはいつもの数倍大人びて見えて、何だか自分の知っている二人ではないような錯覚に陥った。
その瞬間、忘れていた灰原の言葉を思い出した。『敵うはずないじゃん』──それにはまだ続きがあったのだ。
──『五条先輩といる時の綾ちゃんが一番可愛いんだから』
あの言葉の意味が、今なら理解できる気がした。東雲さんがあのような笑みを見せるのはきっと五条さんの前でだけ。彼女の事をよく見ていた灰原だからこそ、とうの昔にその事実に気付いたのだろう。……いや、でも待てよ。
だとしたら、彼女は一体いつから五条さんのことを……?
「わっ」
暫く呆けたまま二人を眺めていた私は、東雲さんの驚いたような声で我に返った。何事かと思えば、彼女を抱き寄せた五条さんが頭頂部にキスしたようだ。「何するんですか」「ちょうど良いところにあったからつい」なんて戯れ合う二人は恋人同士にしか見えない。
何と滑稽なことか、と思う。この茶番も、それに長年付き合わされている自分も。
いいからさっさと結婚してくれ。そんな気持ちで二人に背を向け、ようやく到着したタクシーへと足早に乗り込んだ。こんな飲み会はもう懲り懲りだ。
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