03

「日曜五条とデートだって?」

 今日もいつも通りの一日を終え、医務室を訪れた私に対する硝子さんの開口一番がそれだった。

「どうしてそれを?」
「アイツが嬉しそうに言い回ってたぞ」
「私行くなんて言ってないんですけどね」

 苦笑いを零しながら、差し入れにと彼女のために買ってきたエナジードリンクと軽食を邪魔にならない場所に置く。すでに定時を回っているが、私以上に忙しい彼女はきっと今日も残業だろう。
 硝子さんは他人に反転術式を施せるごく限られた人間。その能力だけでももちろん凄いが、医師として身命を賭す姿勢は尊敬の念に堪えない。たとえそれが自分にしか出来ない事だとしても、彼女のように簡単にその宿命を受け入れられるものだろうか。目の下で主張している隈は、彼女の強さと優しさの証。そう思っている私は、暇があればこうして彼女の元を訪れる。私に手伝える事なんて何もないのだが「綾と雑談するのは良い気晴らしになる」と言ってくれるからだ。

「婚約者も大変だな」
「もう慣れました」
「ハハ、アイツの手綱を握れるのは綾くらいだよ」
「握ってるように見えます? いつも落馬寸前ですよ」

 呪術界では有名な話だが、私と五条さんは約10年前に婚約している。この世界では特段珍しいこともない、家門の安定した存続のために取り決められた婚約者同士だ。とはいえ元々高専の先輩後輩として親交があったため、そこまでお堅い関係ではない。一緒にいる時間が長いので他の人よりは心を許されている自負はあるけれど、基本的に私が彼の言動に振り回されているという点では他の人たちと変わらない。

「アンタたちは相性良いと思うけどね。五条は昔から綾のこと大好きだし」
「冗談やめて下さいよ……。大好きな女の子を容赦なく呪力で吹っ飛ばすクズがいますか?」
「いるだろ、あそこに」

 言いながら硝子さんは窓の外を指差した。まさかと思いつつ視線を向ければ、そこには虎杖くん野薔薇ちゃんと並んで歩く五条さんの姿があった。任務帰りかな、と思いながら見ていると、こちらに気付いた彼が笑顔で手を振ってくる。無視するのも可哀想なので控えめに手を振り返しておいた。

「そうは言っても、五条さんは私と結婚する気なんてないんですから」
「それ、前から気になってたんだけどさ。本当にアイツがそう言ったの?」
「はい。僕は政略結婚しないよ、って昔からずっと言ってますよ」
「ふーん」
「まぁ良いんですけどね。お陰で私も好きにさせてもらってるので」

 実際五条さんとの婚約は私にとって都合の良い話だった。それは私の家の複雑な事情にある。
 東雲家は術師界隈では名の知れた家門で、術式とは別に特殊な結界術を相伝する一族だ。結界術は使い手が少ない上に難易度が高いとされており、生まれつきその才能があるというアドバンテージは呪術師にとって非常に大きなものだった。呪術戦の頂点、領域展開の習得に必須のスキルでもあることから、御三家など力のある一門にとっては喉から手が出るほど欲しい能力に違いない。
 そんな東雲家が何故御三家に並ぶ名門になれなかったのか。それは不思議なことに、何故か女子ばかりが産まれる家系だったからだ。昔は今よりも男尊女卑が色濃く、女系一族が生き残るのはそう簡単な事ではなかった。婿養子を迎えても家門の存続が難しくなったある時、娘を五条家に嫁がせたのが事の始まりだったと言われている。それ以来多くの女子を名家に嫁がせ、その後援を受けて繁栄してきた卑しい家なのだ。常に男を立て、三歩後ろを歩く大和撫子であれ。幼少期からそういう教育を受けてきた。
 家の言いなりになって政略結婚するのは嫌だったけれど、まだ幼かった私に拒む手立てはなかった。家から逃げるように高専に入学しても、16歳を過ぎると本格的に縁談の話が出始めた。
 そしてついに覚悟を決めた17歳の春。突然親から言い渡されたのが、五条家次期当主である五条さんとの結婚だったのだ。最初は驚いたけれど、先方からの希望とあっては当然こちらに拒否権はなかった。東雲家は今でも五条家に頭が上がらないのだから。しかし当時はまだお互い学生であったため、とりあえず婚約という形で話がついたのだった。
 ──それから、のらりくらり。
 どういう訳かお互いに結婚の話には触れないまま、気付けば10年という年月が経過していた。

「ちなみに綾は今、五条のことどう思ってるんだ?」
「……どう、とは?」
「ぶっちゃけ好きか嫌いか」
「いきなり恋バナですか?」
「恋バナ恋バナ」

 ふざけたような口振りで言いながらコーヒーを出してくれた硝子さんにお礼を言う。他人の色恋に然程興味も無いだろうに、彼女は時々私と五条さんの近況を聞いてくる。まぁ単なる世間話のような感覚なのだろう。
 恋バナ、つまり恋愛感情で五条さんを語るのは難しい。正直なところ、彼の事を恋愛対象として見ていないといった方が正しいかもしれない。そもそも婚約とは恋愛ではなく、契約のようなもの。あくまでお互いの利害が一致した上で成り立っている関係だ。五条さんも政略結婚する気は無いようだから、私をそばに置いた方が色々と都合が良いのだろう。

「嫌いではないですよ、もちろん。感謝もしてます」
「感謝、ねぇ……。それは婚約に関して?」
「それだけじゃないです。学生時代、五条さんと出会って私の価値観が変わったっていうか……」
「若干アイツが悪影響を与えたようにも思えるけどな」
「あはは、でも私が一級になれたのは五条さんのお陰ですから」

 私と五条さんの過去をよく知っている硝子さんとは、こうして思い出したように昔話をすることがある。一つ年上の彼女は頼りになる姉のような存在で、昔からよく可愛がってもらっていた。今では二人で飲みに行く事もあるし、何かと相談にも乗ってくれる彼女は私の一番の理解者だと思う。

「でもさ、それだけ長いこと一緒にいて情が移ったりしないの?」

 そんな硝子さんの指摘には、正直思うところがある。このまま形だけの婚約関係を続けたって私は構わないのだが、五条家側からすればそう易々と容認できるものではないだろう。私もすっかりアラサーと呼ばれる年齢となり、結婚出産のタイムリミットは着実に近づいている。名家に嫁ぐということは、強い跡取りを産むのが大前提だ。そのためには若ければ若い方が良いに決まっている。いつ先方から婚約破棄を言い渡されてもおかしくない状況なのだ。
 いつかは終わりが来る関係だと分かっているのに、いざその時が来たらと想像すると少し『寂しい』と感じる。これが硝子さんのいう『情』なのだろうか。

「そう、ですね……移ったのかもしれません。ただ、それが愛情なのかと聞かれると……正直よく分からないです」
「深く考えすぎじゃないか?」
「でも硝子さんだって、五条さんに情あるでしょう?」
「いや特に」
「え、シンプルに酷い……」

 クールに見えて意外と茶目っ気のある硝子さんの発言は、どこまでが冗談か分からない。そうは言っても同期である二人は仲が良いし、人並み以上の信頼関係があるのは確かだ。五条さんは昔から傲慢な人だけど、硝子さんを邪険にしているところは見た事がない。きっと自分にない能力を持った彼女に一目置いているのだと思う。

「歌姫先輩だってわりと本気で嫌ってるだろ」
「あの二人は、それこそ相性が悪いんじゃないですかね……」
「そもそもあの五条と相性の良い人間なんて、今じゃ綾ぐらいだって話」

 そう言われて思い浮かぶのは、かつて私たちの仲間だった夏油先輩の姿。五条さんの唯一無二の親友で、二人の間には他人が入り込めない特別な絆が確かに存在していた。そんな彼がまさか五条さんを裏切るなんて、一体誰が予想できただろうか。
 五条さんは夏油先輩が離反してから一層、私のそばにいる時間が増えた。私が一級になれるよう指導してくれたのも、現在高専で教鞭を取っているのも、強い仲間を作りたいからだと言っていた。──けれど本当は、その理由はどこか違うような気がしていた。

「まぁでも学生とは上手くやってるみたいですし、大目に見てあげて下さいよ」
「アイツらはきっと精神年齢が同じなんだろう」
「むしろ五条さんの方が下だと思う時もありますけどね」
「……本当にあんなのが婚約者でいいの?」
「まぁまぁ。あんな人だけど、良いところもありますし」
「相変わらず五条に甘いな、綾は」

 硝子さんに限らず身近な人たちは皆、私は五条さんに優しいだとか甘いだとか言う。けれどそれは皆があの人の本当の『弱さ』を知らないからだ。
 この10年間、私が誰よりも近くで五条さんを見てきたのは、何も婚約者だからというわけじゃない。かつての彼の言葉が、まるで『呪い』のように私の心を締め付けて離さないからだった。


──『ずっとそばにいて』


 最強である彼はきっと、誰よりも孤独を恐れている。
 私はただ、誰よりも強くて繊細な彼を、独りにさせたくないだけだ。





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