余談だが五条さんのお金の使い方は中々凄い。一応お金持ちに部類される家庭で育った私が思うくらいだから相当だと思う。別に自分の為にいくら使っても構わないし、学生や後輩に奢ってあげるのは素晴らしい心遣いだと思う。ただ世間ではデートも割り勘が当たり前という風潮の中、一切私にお金を出させないのは時代錯誤じゃないだろうか。
食事だけならまだいい。一番酷いのは年に数回強行されるショッピングだ。頼んでもいないのに高級ブティックに連れて行かれ着せ替え人形にされた挙句、気付いたら会計が終わっていて後日私の家に大量の洋服が届くのだ。だったらまだ「ここからここまで全部頂戴」みたいなセレブ買いをしてくれた方が私としては楽なのだが、彼の場合「これも可愛いこれも似合いそう」と言って自分で選んだ服を私に着させるのを楽しんでいる節がある。正直何着も試着するのは疲れるのだが、満面の笑みで「これも着て」と渡されると断れない性格なのは言うまでもない。実際に買ってもらった服を着て行くとちゃんと覚えているのは凄いなと感心するが、私が試着している間に店員さんに「ね、可愛いでしょ」とか惚気けて「素敵な彼女さんですね」とお世辞を言わせるのは恥ずかしいから本当にやめて欲しい。
セレブは同じ服を二度着ないなんて言うけれど、そういえば五条さんも同じ私服を着ているのを見た事がない。しかし彼はセレブの品格なんて気にする人じゃないから、単に飽きっぽい性格なのかなとも思う。だとすれば10年間も私と律儀にデートし続ける彼には本当に頭が下がる。たとえ彼女でも倦怠期とかあるんじゃないだろうか。
五条さんはわりと人の好き嫌いがハッキリしているけれど、一度懐に入れた相手のことはとことん大切にする。そういう優しさを持ち合わせている人だと私は思っている。
「いらっしゃいませ。五条様」
お金持ちの知り合いは他に何人もいるけれど、様付けで呼ばれるのが彼以上に似合う人を私は知らない。もちろん相手は店員でこちらは客なのだからその呼称は当然なのだが、この店に限ってはそれ以上の意味が含まれている気がしてならない。というのもここは会員制の完全個室レストランで、基本的にVIP客しかいないのだ。向こうも五条さんが只者じゃないことは察している。いつもサングラスをかけていて背も高いので、おそらくモデルか何かだと思っているのだろう。
「急にお願いして悪かったね」
「とんでもないことでございます。お席はいかが致しましょうか」
「この前と同じところでいいかな」
「かしこまりました。ご案内致します」
私に向かってにこりと微笑んだ店員は、先に私を部屋に通すと上座に座らせた。こういう店では当然レディファーストだ。常に男を立てるように教育されてきた私には最初は違和感のある文化だったが、それも五条さんと一緒に過ごすうちに慣れた。天下の五条家当主の婚約者としてはあまりよろしくない気もするけれど。
お金持ちが経済を回すのは良いことだと思っている私は特に何も言わないが、普通の女の子にこんな待遇をしていたら正直引かれると思う。一応彼の今後の為を思って指摘したことがあるけれど「別に綾にだけなんだから良くない?」とケロッと返されてしまった。その言葉が真実かどうかは分からないが、それ以降は素直にお礼しか言わなくなった。
「綾さぁ恵に何か言った?」
食事のコースも中盤に差し掛かった頃、なんとなく気まずい雰囲気の中五条さんが口を開いた。実は彼がこういう店を選ぶのは真面目な話がある時だと相場が決まっている。今日も店に入ってから口数が少なかったので、何か大事な話でもあるのかと密かに緊張していたのだ。例えば………そう、私たちの婚約の話とか。時が経つのは早いもので、すでに婚約して10年という節目を迎えてしまった。結婚するにしてもしないにしても、五条さんは一族の長としていい加減に答えを出さなければいけない時期だろう。
ところが私の予想を裏切って「そういえば……」と軽い切り口で話し出した五条さんはいつも通りに見える。恵くんの名前が出たことにどこかホッとしながらも、心当たりが有るような無いような微妙な反応をしてしまった。
「何かって、なんです?」
「んー、僕の悪口とか?」
「それは言ってないと思いますけど……多分」
「うわ、それ普段から無意識レベルで言ってる感じだ」
傷付くなぁ、と大して思ってもなさそうな呟きに渇いた笑いを返す。
「恵くんに何か言われたんですか?」
「もっと綾のこと大切にしろってさ」
「ふふ、愛されてますね私」
「ったく恵のやつ、シスコンも大概にしろよ」
シスコンとは酷い言い様だなと思ったが、恵くんが本当に私を姉のように慕ってくれているのだとしたらやはり嬉しい。緩む頬を引き締めながら、先日の彼の言葉を思い出す。
──『万が一五条先生が浮気してたとして、綾さんは怒ったりしないんですか?』
あの時私は、恵くんに本当のことを言わなかった。もちろん嘘をついたわけじゃない、五条さんに好きな女性ができたとしても怒りはしないだろう。ただそれを想像した時、チクリと胸が痛んだ。それは怒りではなく『悲しみ』だと理解するのには、少し時間がかかってしまったけれど。
五条さんは女性にモテるけれど、あれでも自分の立場を弁えている。少しくらい女の子と遊ぶことはあっても、恋愛をする気はないのだろう。ずっとそう思っていた。
でもそんな五条さんが、本気で惚れ込む相手が現れたとしたらどうだろうか。いずれ私との婚約を解消するにしても、それを理由にされるのは……なんだか耐えられそうにない。
「………綾?」
名前を呼ばれてハッとする。いつの間にかサングラスを外した彼に、心配そうに顔を覗き込まれていた。
「どうしたの、泣きそうな顔して」
「……すみません。なんでもないです」
泣きそうな顔、と言われてどきりとした。あくまで仮定の話にここまで心を乱されるなんて、どうしたんだろう私。今更取り繕ったところで遅いなんてことは分かっている。それでも私の様子に微かに動揺を見せる彼を安心させたくて、緩く笑顔を作ったのだが……どうやらそれがお気に召さなかったらしい。
「……なんでもないって何? 僕には言えないの?」
普段から優しい彼にしては珍しく、声色には苛立ちを含んでいた。そんなに怒らせるようなことだったろうかと内心驚き、何も言い返せない。それでなくとも「あなたの事を考えていたら悲しくなりました」とは言えないので、どうしたものかと困り果ててしまう。一方の五条さんはそんな私に構うことなく、畳み掛けるように猛攻を仕掛けてきた。
「恵に言われなくても、僕は綾のこと大切にしてきたつもりだよ。綾の境遇だって理解して気持ちを尊重しようとしてきた。でもそんな風に隠されたら、いつまで経っても綾の本音はわからない」
いつも以上に饒舌な五条さんの気迫に押されて、やはり何も言葉を返せない。……いや違う。冷静になって考えたところで、そもそも返せる言葉がないのだ。彼の言い分はもっともで、間違いなく彼は私のことを大切にしてくれているのだから。
この10年間、婚約者としての五条さんに不満を抱いたことは一度もない。それなのに私は、無意識のうちに彼を煩わせていたのだろうか。そう思うと不甲斐なさが募る。
けれど次に彼の口から飛び出したのは、全く理解困難な言葉だった。
「ねぇ、いつまで待たせるつもり?」
待たせる……? 一体何のことだろう。
責めるような口調とは裏腹に弱々しい声が気掛かりで、吸い込まれそうな瞳から目を逸らせない。テーブルの上に置いていた左手に、彼の大きな右手が重なる。ぎゅっと握られて、まるで自分の胸が締め付けられるようだった。
「綾」
切なげに名前を呼ぶ声も、懇願するような眼差しも、私の知ってる五条さんじゃない。……なんだか私まで苦しくなる。どうしてそんな顔をするんだろう。
あなたは最強で、いつだって余裕たっぷりで、たかが婚約者一人に心を乱されるような人じゃないのに……。
「……ご、じょう、さん……」
なんとか絞り出した声は掠れていた。触れている五条さんの手が熱くて、上手く思考が回らない。何を言ったらいいのか全く分からないのに、それでも私は彼の望む正解を探そうとしている。そんな自分に驚きながら、必死に彼を見つめ返す。微かに頬を上気させ、心なしか潤んだ瞳を向ける彼を。………あれ?
何かがおかしいと、そこでようやく異変に気付いた。
これはもしかして、いや確実に……
「五条さん……酔ってますね」
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