03

 宣言通り任務を終えて医務室に戻って来た五条は、わざわざアイマスクを下げて私の顔を見ると満足そうに目を細めた。

「ん、顔色良くなったね」
「うん……ありがとう」
「どういたしまして」

 そう言ってニッコリ笑う彼は本格的に『恋人ごっこ』を楽しんでいるようだ。タクシーで送ってくれるという言葉に甘えて部屋を出ると、まだ外は少し明るかった。こんなに早い時間に帰宅するのは何ヶ月ぶりだろう……と感慨に耽りながら五条の隣をゆっくり歩く。私の荷物を持ってくれる彼は別人のように優しくて少し不気味だ。
 校門の前まで来ると、丁度任務から帰ってきた学生たちに出会した。デートかと冷やかされた五条は調子良く肯定していたけれど、まさか私たちが本当に付き合っているなんて誰も思わないだろう。それは先程の硝子の反応を見れば明らかだった。別に交際を隠したいわけではないけれど、隠せるならその方が私にとっては都合が良い。五条悟は呪術界で名を知らない者はいないほどの有名人なのだから、面倒ごとは避けたいというのが本音だ。

 ようやく到着したタクシーに乗り込むと、運転手に聞き覚えのない行き先を告げた五条を訝しげに見る。

「……帰るんじゃないの?」
「えーご飯くらい付き合ってよ」
「まぁ、いいけど……」

 一人で任務に行ってしまった時もそうだったが、強引でマイペースな所は恋人になっても変わらないんだなとため息をつく。まぁそれが許されるのは五条だからだと思うし、それも彼の魅力の一つなのだろう。

 程なくして辿り着いたのは、いかにも老舗という装いの日本料理店だった。きっとここも高級店なのだろうと少し気後れしたけれど、昨日とは違って個室だし落ち着いた雰囲気があり良い感じだ。メニューを手に取った五条に「コースでいい?」と聞かれたので頷いたが、少食の私に完食できるか少し不安だ。一方五条は他にもいくつか単品料理を注文していたので、そりゃ私と彼じゃエネルギー消費量が桁違いだよなぁと思っていたのだが……そういうことではなかった。

「ささっ、たんとお食べ」

 ふざけた口振りで上機嫌な五条に沈黙を返す。運ばれて来た懐石料理は美しいが、明らかに私の前に並ぶ料理だけ品数が多い。単品注文の正体はコレか。
 馬刺し、ほうれん草の白和え、ひじきの煮物……どれも鉄分含有量が多く貧血に良いとされる食べ物だ。五条が私の体を気遣って頼んでくれたことは理解できるが、正直どれもあまり好きじゃない。そのことは五条も知っているくせに、と恨めしげに男を見る。

「一花はまず偏食直しな?」
「馬刺しは無理。生肉は本当に無理」
「我が儘言わない」
「五条に言われたくない」
「全く困ったちゃんだねぇ」

 だから五条に言われたくないってば。そう言おうとして、はたと気付いた。……硝子の言う“似たもの同士”って、まさかこういう所も含まれているのだろうか。軽くショックを受けながら、仕方なく目の前のひじきをちびちび摘む。そんな私を見てクスクス笑う五条が腹立たしい。
 五条との食事は友達だった頃と変わらず気を遣わなくて済むので楽だが、果たしてこれで付き合っていると言えるのだろうか。友達から恋人になったことなんてないのでよく分からない。

「……あ。そうだ五条」
「ん?」
「週末合コン行って来てもいい?」

 そう言うと、五条の顔がみるみる不機嫌そうに変わった。これに関しては私たちが“付き合っている”からこその反応だろう。
 私だって彼氏がいるのに合コンに行くのはどうかと思うが、何せ五条と付き合う前から約束していてドタキャンもしづらい。女性側の幹事の子とはそれなりに親しいし、彼女に誘われた合コンで知り合った男性と交際したこともある。一次会だけならただの飲み会と然程変わらないし、五条なら理解がありそうだと思い許可を得ようとしたのだが……その反応を見るにダメらしい。

「いいって言うと思ってんの?」
「五条ならワンチャン」
「はぁ? 不誠実なのはどっちだよ」
「違うよ。付き合う前から約束してたの」
「だったら彼氏できたって言って断わればいいだろ」
「……分かったよ。ごめんって」

 五条は機嫌が悪い時は口も悪くなる。昔を想起させる棘のある態度は時に後輩たちを萎縮させるのでやめてもらいたいが、これでも大人になった方だろう。私が「そんな怒らないでよ」と言うと、五条はワザとらしくため息をついた。

「一花ちゃんさぁ……」

 五条はこうして私を“ちゃん”付けで呼ぶことがある。私に対して呆れたり馬鹿にしていたり、先程彼が言ったように『困ったちゃん』のニュアンスで使われる事が多い気がする。が、そうではない時もあるので彼の中でどういったルールがあるのかは未だに謎だ。
 ただしこの場合は前者だろう。呆れ顔で口を開いた五条は珍しく小言を言い始めた。

「そもそも、合コンで上手くいかないって分かってるのにどうしてホイホイ行くかなぁ」
「なんでよ。上手くいかないとは限らないじゃない」
「あのさ、合コンで出会う男なんて一花の上辺しか見てないヤツばっかだよ? そんな男のこと信用できるの?」
「……どういうこと?」

 真意が分からず首を傾げると、少し顔を引き締めた五条が真っ直ぐ私を見つめた。

「一花はさ、男を信用できないから好きになれないんだよ」

 ……そうかもしれない。可愛いとか好きとか言われても「どうせ顔だけでしょ」と思ってしまうし、一目惚れしたと言われるのが何より嫌いなのは間違いない。けれどそれは自分の内面に自信がないからだ。私には外見しか取り柄がなくて、そんな自分が嫌いなのに好きと言われても嬉しくないし、どうも薄っぺらく感じてしまう。
 だから私は、五条が羨ましいんだと思う。私と似ているはずなのに、私にはないものを持っている彼が。あの時だってそうだった。

──『絶対に僕のこと好きにさせてみせるから』

 誰よりも自信に満ち溢れている五条の姿は、私の目にはとても魅力的に映った。そんな彼と付き合っていたら、もしかしたら私も何か変われるのではないか。そんな淡い期待を抱いて彼の提案を受け入れたのかもしれない。

「……どうして五条には分かるの?」
「分かるよ。だって一花の彼氏なんだから」
「何その滅茶苦茶な理論」
「結構真理だと思うけどね」
「? はぁ」
「それに一花は分かりやすいから」
「……そう?」
「うん」

 分かりやすい、なんて彼氏に言われたのは初めてで少し驚く。今まで付き合ってきた男性たちと五条が“違う”のは火を見るより明らかだが、それは五条が私のことを好きなわけではないからだろう。最初はそう思っていたけれど、実はそういう因果ではないのかもしれない。
 五条が私のことをよく理解してくれるのは、“私が”彼の前では飾らずにいられるからなのだろうか。

「とにかく合コン禁止」
「はいはい」
「あと僕が居ない所でお酒飲むの禁止」
「それはイヤ」
「酔って簡単に男と寝た子が何言ってんの」
「酔わせてベッドに誘った男が何言ってんの」

 人のせいにするのは感心しないなぁ、と言われてしまえばそれまでだが、どうにも納得いかない。昨夜五条と寝たのは付き合うのを了承したからなのに。

「……五条って意外と束縛するタイプ?」
「一花限定かな」
「全然嬉しくないんだけど」
「一花ってなんかフラフラしてて危なっかしいから放っておけないんだよね」
「失礼じゃない? 私のことそんな尻軽だと思ってるの?」
「そうじゃないけどさぁ……でもやっぱ不安になるじゃん」

 思いがけない台詞に目を丸くする。『不安』なんて、これほど自信たっぷりの五条でも思うことがあるのだろうか、と。

「ていうかさ、付き合ってるんだし名前で呼んでよ」
「名前……さとる?」
「もう一回言って」
「なんで」
「なんか舌足らずで可愛かったから」
「……やだ」
「はは、照れてんの?」

 そういうとこ可愛いよね、と五条改め悟が嬉しそうに笑う。『可愛い』なんて言われ慣れた言葉も、彼に言われると新鮮に聞こえるから不思議だ。
 それにしても悟の考えていることはよく分からない。付き合うのは面倒だなんて言っていた男とは思えないくらい、この状況を楽しんでいるように見える。昔から変わった男だとは思っていたけれど、付き合ってみても『五条悟』を正しく理解するのは困難で、寧ろ謎は深まる一方だ。悟はただ恋人ごっこをしてみたくなって、しかし相手に本気になられては面倒だから私を選んだのだろうか。

「……ねぇ。悟が彼女作ることに抵抗があるのは、家のことがあるから?」
「いや? 別にそういう訳じゃないけど」
「じゃあ、なんで?」
「理由なんて単純明快だよ。僕は一花と違って、好きな子としか付き合わない主義ってだけ」

 だから一花が僕の初めての彼女だよ。と優しい顔で言われて思わず吹き出した。

「ふはっ、すごい殺し文句」
「ときめいた?」
「うーん、もう少し信憑性があればね」
「……僕の言葉も信じられないってこと?」
「え?」

 初めての彼女、なんて中学生じゃあるまいし。女にモテる悟だからこそ信じられないのだが、そんなに深刻そうな顔をされたら正直に「うん」とは言えなかった。付き合わなくてもやる事やってるくせに純情ぶるんじゃない、という突っ込みも心の中に留めておいた方が良さそうだ。

「……まぁいいや。長期戦になるのは覚悟してたしね」
「長期戦?」
「言ったでしょ。絶対に僕のこと好きにさせてみせるって」

 やはり悟のモチベーションはそこらしい。そんなこと言って、私が本気で悟に惚れたらどうするのだろう。気になったけれど、何故か尋ねることができなかった。





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