悟と交際を始めてから約三週間が経過したらしい。らしい、とは随分他人事のような言い方だが、私には彼と付き合っているという実感がないのだからそれも仕方あるまい。何しろその三週間で彼と恋人らしいことをしたのは、交際初日とその翌日の二日間だけなのだから。
体調不良で悟と帰った日以来、仕事でもプライベートでも一切彼と顔を合わせていない。理由は至ってシンプルで、五条悟が根っからの仕事人間だから。本人は否定するだろうけれど、実際文句を言いつつも仕事詰めの生活を送っているのだからこちらは関心するばかりだ。特級の彼は他の術師に比べて出張が多いため、同僚であっても長らく姿を見かけない、なんてこともこれまで珍しくはなかった。それが恋人になったからといって変わることはないと思っていたし、実際その通りになったというだけの話。それに関しては別に不満も何もない。
ただ、会いたいとか寂しいとか、そんな乙女チックな思考を持ち合わせていない私でも一つだけ気になる点があった。それはこの三週間、電話もメッセージのやりとりも一切無し、ということだ。悟が忙しいのは理解しているし責めるつもりもないけれど、少し前まで恋人ごっこを楽しんでいたように見えたので正直拍子抜けしてしまった。私から連絡をすれば返信はあったのかもしれないが、生憎私は用もなく自分から連絡するタイプではない。おそらく悟も意味のないやり取りを嫌うタイプだと思ったので、ならば無理に連絡をとる必要もないだろうという結論に至った結果──あれ私って本当に悟と付き合ってるんだっけ? 状態に陥ってしまったというわけだ。
悟も恋人ごっこは飽きたようだしまぁいいか……と開き直る気持ち半分、流石に可愛げがなかったかな……と後ろめたい気持ち半分。そんな心境で三週間ぶりに顔を合わせた恋人の第一声がコレとは、いよいよどうしたら良いか分からない。
「ねぇ動物園いつ行く?」
「……何の話?」
高専内のラウンジにて、突然身に覚えのない話を振られた私は思い切り顔を顰めた。しかし悟はさも当然のように「デートだよデート」と言いながら私に紙パックのカフェオレを手渡す。まるで空白の三週間など存在しなかったかのように、呆れるほどいつも通りだ。
「動物園行こうってこの前話したじゃん」
「は、この前っていつ?」
「ホテル泊まった日」
「……ホテル……」
どうやら私と彼では時間の流れが違うらしい。昨日の事のように話す悟に対し、必死に記憶の糸を手繰り寄せる私。いつまで経ってもピンと来ない私を見た彼から「一花あの時すぐ寝ちゃったから覚えてないか〜」と揶揄うような声が飛んでくる。……その台詞から察するに、事後に交わした会話だろうか。
あの時は確か、事が終わった瞬間にどっと疲れが襲ってきて、とにかく眠くて仕方なかったことなら覚えている。一方で体力が有り余っている悟は隣で楽しそうにピロートークを始めるものだから、もう寝かせてくれとは言えずに適当に相槌を打っていたんだっけ。そういえば彼が「どっかお出かけしようよ」と話していた気もするが……知らぬ間に動物園デートに話が着地していたらしい。
「とにかく行こうよ。次の休み適当に合わせといて」
「いいけど……」
なんで動物園? 悟にしては少々意外なチョイスに首を捻っていると、テーブルに置いていた私のスマホが鳴った。ディスプレイに表示された名前は同僚の補助監督のもので、急ぎの用かもしれないと思い手を伸ばした瞬間──横からスマホを掻っ攫われてしまった。誰に、なんて言うまでもない。そんな非常識なことをする知り合いはこの男の他にいない。
「ちょっ、何するの」
「そっちこそ。僕の前で他の男と電話するつもり?」
「はぁ? 男って、ただの後輩でしょ」
「本気で言ってる? ソイツが一花に気があるの、自分だって気付いてるくせに」
……吃驚した。どうして悟がそれを知っているのか。呆けている間に着信音は鳴り止み、それを確認した悟にスマホを返される。まぁ火急の用なら再度連絡があるだろうし、そうでなければ後で掛け直せば良いだろう。未だ画面上に残り続ける名前を見つめて小さく溜息をついた。
彼は二ヶ月前に入った後輩くんで、私が教育担当だったこともあり目を掛けていた子だ。確かに最初から距離感が近かったし、やけに慕われているなとは思っていたが、彼は誰にでも懐っこい性格なのであまり気にしていなかった。しかし数日前、緊張した面持ちで食事に誘われた時は、流石に認めざるを得なかった。これは恋愛的な好意を持たれているな、と。その時に「彼氏がいるから二人ではちょっと……」とハッキリ断れば良かったものの、その彼氏が五条悟だという確信が持てなくなっていたせいで言葉を濁してしまったことを今になって後悔している。仕事はできるし悪い子ではないのだけれど、最近は業務外の雑談も多いので少しウンザリしていた。ただ同僚ということもあり、変ないざこざは避けたい。
「そうだけど、仕事の電話かもしれないし無視できないよ」
「じゃあ僕と付き合ってること、ちゃんとソイツに言っといてね」
「彼氏いるとは言っとくから」
「それじゃダメ」
「なんでよ」
悟と付き合っていることをあまり公言したくない理由はいくつかあるが、一番はこの交際が『ゲーム』だということだ。何ヶ月保つかも分からないのに、あまり話が大きくなってしまっては困る。しかし有名人である五条悟のゴシップともなれば、あっという間に呪術界に知れ渡ってしまうだろう。相手は非術師の家系の補助監督、何も特別な力を持たないただの事務員だなんて、五条家の耳に入れば良い顔をされないことなど分かりきっている。別に結婚するわけでもないのにあれこれ言われるのは厄介極まりない。
とはいえ、これ以上悟の機嫌を損ねるのも得策ではなさそうだ。恋人ごっこは飽きたのかと思いきや、そういうわけではないらしい。
「一花ちゃんさぁ、僕と付き合ってる自覚ある?」
「それ悟が言う? そっちだって三週間音沙汰なかったじゃん」
「あ、寂しかった?」
「ううん快適だった」
「うわ一花っぽい」
“一花っぽい”──それが褒め言葉ではないことくらい分かる。要するに「冷めてる」ってことだろう。今まで何度も言われてきたことだから別に驚かないし自覚だってある。これまで付き合ってきた男性たちの期待を裏切ってきたことは申し訳なく思うが、人の性格なんて一朝一夕には変わらない。悟なら私の性格を理解してくれるから大丈夫だろう、心のどこかでそう思っていた私は、彼に甘えていたのだろうか。
「……やっぱりダメだった?」
「ん?」
「連絡した方が良かった?」
「いいや別に。それくらい一花の好きなようにしていいよ」
意外にも穏やかな顔で笑っているので、その言葉に嘘はなさそうだ。冷めてる私に不満があるのかと思いきや、そうではないらしい。私に執着があるのかないのかイマイチよく分からないが、本来彼もドライな性格だ。「まぁ恋しくなったらいつでも連絡してよ」なんて嘯くが、連絡したらしたで鬱陶しく思うに違いない。
「ごめん、そろそろ行くわ」
「あぁうん。コレありがと」
ヒラヒラと片手を振って去って行く悟を見送り、改めて彼に貰ったカフェオレに視線を落とす。紙パックにストローを差して飲むそれは、私が学生の頃から好んでよく飲んでいるものだ。容器を傾けて飲むよりストローで吸う方が楽、という理由を話したら、その時も悟は「一花っぽい」って笑っていたっけ。
相変わらずよく分からない男だが「好きなようにしていい」と言われたのは正直ありがたかった。無理して相手に合わせるのは疲れるし、その結果交際も長く続かないからだ。どうせ悟も私たちの付き合いに関して深く考えていないんだし、私もあれこれ悩む必要もないだろう。だってこれは『ゲーム』なんだから。そう開き直った私はスマホを手に取り、後輩くんの名前をタップした。