02

 メイクをするのは、トリガーを起動する感覚に似ている。メイクは自分を変えるだけじゃなく、気分を上げたり自信をくれるものだから。可愛い自分に換装すると何でも上手く行きそうな気がする。だったらメイクをした状態のトリオン体に換装すれば良いじゃないかと言われそうだが、そういうことじゃない。自ら『可愛い』を磨くことに意味があるのだ。だってその方が、褒められた時に嬉しいから。
 だから私は今日も『可愛い』を作る。メイクといってもまだ学生なので、リップを塗って目元を少しぱっちりさせるくらいだがその工程も楽しい。放課後になるとボーダー本部へ直行し、まずは作戦室で身だしなみを整えるのが私のルーティンだ。そして横から出水くんがちょっかいを出してくるのもよくある光景だったりする。

「……なんかまたリップ増えてね?」
「そうなの〜それ新作」
「リップばっか買いすぎだろ」
「だって可愛いんだもん」

 リップを衝動買いしてしまうのは女子あるあるだと思う。SNSで話題のものはとりあえず試したくなるし、気に入ったものは色違いが欲しくなる。出水くんは「そんなに持っててどーすんだよ」と言うけれど、リップは気分や場面によって使い分けるものだ。何本あっても良い。今日はせっかく出水くんが興味を示してくれたので新作リップをお披露目しよう。薄く色づくコーラルピンクは、自分の中の女子力が上がった気がして自然と笑顔になれる。

「ほら、可愛いでしょ?」
「はいはい可愛い可愛い」

 昔は「違いがわかんねー」と言っていた彼も、最近は私の同調圧力に負けて褒めてくれるようになった。少々投げやりというか雑な感じがするけれど気にしない。出水くんからの『可愛い』が聞けて満足した私は、次はコテを使って髪を巻き始める。隣で「よくやるよなぁ」と呆れたように呟く彼には、きっと私の乙女心なんて一生理解できないのだろう。

「どうせこの後トリオン体になるじゃん」
「そうだけど、生身の時くらい少しでも可愛くしときたいの」
「ふーん」
「もー出水くんてば、女心を理解できないようじゃモテないよ?」
「大きなお世話だっつーの」

 確かに出水くんがモテることは知っている。A級1位という肩書きだってモテる要素の一つだろう。大抵の話、女子は強くて格好良い男の人が好き。逆に男子は守ってあげたくなるような可愛らしい女の子が好きなのだ。だから女の私にとって『A級1位』の肩書きはモテる要素ゼロどころか寧ろマイナスで、その『強くて逞しい』イメージを中和するため人一倍お洒落に気を使っている節もある。別にそこまでモテたいわけではないけれど、好きな人に可愛いと思ってもらいたいのが乙女心というものだ。

「よし。じゃあ私ちょっと出掛けてくるね」
「……そんなお洒落してどこ行くんだよ」
「乙女の秘密〜」
「はぁ? つーか18時から防衛任務だぞ」
「大丈夫すぐ戻るから」

 好きな漫画の一節に「女は秘密を着飾って美しくなる」という台詞があるのだけれど、ふざけた言い方しかできない私には中々難しそうだ。そもそも秘密にするようなことではなく、ただ友人に会いに行くだけなのだが。
 防衛任務までには時間に余裕がある。それでもまだ何か言いたげな出水くんの視線をヒラリと躱し、紙袋を持って作戦室を出た。






「こんにちは〜」
「おー美山ちゃん。今日も可愛いな」
「やだイコさんったらお世辞が上手なんだから〜お世辞じゃないのかもしれないけど!」
「めっちゃ嬉しそうすね美山先輩」

 やって来たのは生駒隊作戦室。廊下からひょっこり中を覗くとイコさんと海くんが駄弁っていた。私に気付いて挨拶代わりに褒めてくれるイコさんは女の子ならみんな可愛いと言う罪な男だけれど、本当にそう思ってる感が伝わってくるので素直に嬉しい。

「マリオちゃんいますか?」
「まだ来とらんよ。委員会で遅れる言うとったな」
「あらら。まぁ借りてた漫画返しに来ただけなんですけどね」
「ほな中で待っとき。もうじき来るやろ」
「じゃあお言葉に甘えて」

 友人のマリオちゃんとは学校が違うので、彼女に会うにはここで待つのが一番確実だろう。何度かお邪魔したことがあるけれど、相変わらず漫画やゲームが豊富で楽しそうな雰囲気が窺える生駒隊らしい作戦室だ。どうやら今は隠岐くんと水上先輩も不在らしい。水上先輩は分からないけれど、隠岐くんは狙撃手の合同訓練だろう。先程廊下ですれ違った佐鳥くんがそう言っていた。

「あっ美山先輩もその漫画読んだんですか?」
「うん。海くんも? 何度読み返しても面白いよね〜これ」
「そうなんすよ! オレ2万回読みました!」
「嘘つけぇ」

 海くんは相変わらずお調子者だがそこが可愛い。私は一人っ子なのでこんな弟が欲しかった。海くんのよく伸びる頬を引っ張って遊んでいると、何かに気付いたイコさんが「ん?」と声を上げた。

「美山ちゃん髪の毛そんなクルクルしとったっけ?」
「あ、今日はコテで巻いてるんです。変ですか?」
「まさか! 女の子らしくて可愛いで!」
「美山先輩可愛いっす!」
「ありがとう生駒隊……」

 太刀川隊のメンバーは皆サラッとお世辞を言えるタイプではないので、余計に生駒隊の優しさが染みる。何より些細な変化に気付いて透かさず褒めてくれるイコさんはさすがだ。……これがモテたい欲の差なのだろうか。しかしイコさんは彼女のことをすごく大切にしてくれそうだし、モテない理由もないと思うのだが。

「聞いてくださいよ〜。出水くんってば私がお洒落しても反応薄くて、可愛いなんて三日に一回しか言ってくれないんですよ? ひどいと思いません?」
「ちょお待て待て。惚気は勘弁してーな」
「全然惚気じゃないんですけど?」
「でも美山先輩と出水先輩って付き合ってるんですよね?」
「違うよ〜それ都市伝説だから」
「あれー?」
「いや実質付き合ってるようなモンやろ」
「いやいや全然付き合ってませんからホンマに」
「移ってるで」

 太刀川隊の出水と美山は付き合っている、そんな噂がボーダー隊員の間で囁かれていることは知っている。もちろん嘘なので真偽を問われたらキッパリ否定しているが、これまで何度否定しても噂がなくなることはないのでもうお手上げ状態だ。きっと年頃の男女が多いにも関わらずボーダー内カップルは少ないので、この手のネタが長く擦られ続けるのは仕方ないことなのだろう。だから誤解されたままでも、私も出水くんも大して気にしていない。

「美山先輩暇ならゲームしません?」
「いいね〜やるやる」
「へへっ、今日こそオレが勝ちますよ!」
「柚宇さん仕込みの私に勝とうなんて2万年早いよ海くん」
「ちょま、イコさんも入れて」
「……なんやめっちゃ馴染んどる子おると思ったら陽葵ちゃんかいな」

 突然聞こえてきた可愛い声にぱっと笑顔になる。声の方に視線をやると、そこには想像通り私の待ち人が佇んでいた。ただその表情は、他所の作戦室で我が家のように寛ぐ私を見たせいかやや呆れ気味だ。

「あ、マリオちゃんお帰り〜」
「お帰りちゃう。アンタこんなとこで何しとんねん。太刀川隊防衛任務やろ?」
「……そうだった!」

 いけない、すっかり忘れていた。慌ててスマホを確認すると時刻は17時51分。急げばまだ間に合うが、とてもゲームをしている場合じゃなかった。そして画面には出水くんからの不在着信が一件。だから言っただろ、と言わんばかりの彼の顔が目に浮かぶ。マリオちゃんと漫画の感想をじっくり語り合いたいところだが、残念ながら期を改めるしかない。

「マリオちゃん漫画ありがとう! めっちゃ面白かった!」
「そらよかったわ」
「ごめん今度ゆっくり話そ〜」
「いいからはよ行き」

 とりあえず漫画を返すという目的を果たした私は、生駒隊の面々にお礼を言って慌ただしく部屋を出た。同じ本部内でも太刀川隊の作戦室まではやや距離があるため急ぎ足になる。出水くんの電話は……まぁ掛け直さなくても大丈夫だろう。時間がないので歩きながらトリガーを起動すると、すれ違う隊員たちがこちらを振り返る。太刀川隊の隊服は色んな意味で目立つのだ。私は任務の時以外はボーダー内でも生身で過ごすことが多いけれど、別にトリオン体が嫌いなわけじゃない。可愛く着飾った自分も、A級1位の自分も、どちらも私だから。
 だから本当は、三日に一回出水くんが『可愛い』と言ってくれるだけで十分なのだ。