04

 憂鬱だったテストが終わり、明日から待ちに待った夏休み。そんな浮き立つ気持ちも学生の特権だろう。今日も問題なく防衛任務を終えた私の心も、いつもより軽い。帰宅するため出水くんと二人で本部の廊下を歩いていると、何かに気付いた彼が「あっ」と小さく声を上げた。

「わりぃ、忘れ物。ちょっと待ってて」
「はぁい」

 小走りで作戦室に戻って行く出水くんを見送り、鞄からスマホを取り出す。仲良しの遥ちゃんからメッセージが来ていたので確認すると『今週一緒に買い物行かない?』とのことだった。嬉しくてすぐに『行く行く』と返信し、久しぶりのショッピングへの期待に胸を膨らませる。夏休みに着る洋服だって買いたいし、新しいコスメもチェックしたい。いつもそれに付き合ってくれる遥ちゃんは、女の私から見ても可愛くて卒がないアイドル的存在だ。そんな彼女と仲良くなれた私は相当運が良い。ボーダーに入ってからたくさんの素敵な友人ができたので、彼らと一緒なら今年も楽しい夏になりそうだと心が躍った。

「おっ美山! 暇だろ? ちょっと来いよ」

 突然聞こえた声に顔を上げると、米屋くんがこちらに向かって歩いて来るところだった。そういえばここはちょうど三輪隊作戦室の辺りだっけ。それにしても、人の顔を見るなり暇と決めつけるこの友人は少し失礼だと思う。

「えーもう帰るとこなんだけど」
「いいとこのどら焼きあるぞ〜」
「そ、そんなのに釣られないもん。出水くん待ってるからダメ」
「その出水に関する耳寄り情報があるんだって」
「……耳寄り情報?」

 それを早く言ってよ。出水くんに関する情報となれば話は別だ。ちょいちょい、と手招きされたので素直に近づくと、ニヤッと笑顔を浮かべた米屋くんが私に耳打ちした。

「アイツ今日学校で先輩に告白されたらしいぜ」
「……え?」

 出水くんがモテることは知っているので、それくらいでは驚かないけれど……『先輩』というワードに胸がざわつく。私の分析によると出水くんは年上好きだ。柚宇さんとか羽矢さんとか、優しくて綺麗なお姉さんによく懐いているし間違いない。出水くんに好きな人がいるとは聞いたことがないけれど、告白されたらコロッと落ちてもおかしくはないだろう。男子高校生なんてそんなもんだ、って前に太刀川さんが言ってたし……。それにこの時期は、夏休みに彼氏彼女を作って遊びたいと考える人が多いみたいだし……。

「そ、それで? OKしたの?」
「それはナイんじゃね? 知らねーけど」
「ちょっと、肝心なとこ知らないってどーゆーこと?」
「オレもアイツから直接聞いたわけじゃないんだって」
「じゃあ聞いといてよ! モヤモヤするじゃん!」
「えー?」

 それのどこが耳寄り情報なの、と思わず米屋くんの両肩を掴んでガクガクと揺さぶった。私の恋心なんて彼にはとっくにバレているので今更隠すことも何もない。

「まぁ大丈夫だろ。彼女ができたんなら美山と帰ったりしないだろうし」
「……そう、だよね……」

 米屋くんの言うことは一理ある。今日も当たり前のように私と帰ろうとする出水くんには彼女ができていない可能性の方が高いだろう。そう理解してもなお、私の心は晴れないままだ。だってもし今後出水くんに彼女ができたら、こうして一緒に帰ることができなくなるってことでしょう? その事実に気付いた途端、漠然とした不安に襲われる。視線を落とした私の上から「ほら、噂をすれば迎えが来たぞー」と米屋くんの呑気な声が降ってきたが、すぐには顔を上げられなかった。作戦室から戻って来た出水くんは、米屋くんの肩を掴んだまま立ち尽くす私を見て首を傾げる。

「いや何してんの?」
「出水クンはモテモテですね〜って話」
「はぁ? 帰ろーぜ美山」
「あ、あぁうん。米屋くんばいばい」
「おーさっさと帰れバカップルめ」

 米屋くんに手を振って別れると、また出水くんと二人で歩き出す。今日もいつもと変わらぬ帰り道。しかし7割の歩幅よりも一層、私の足取りは重い。

「……どうした?」

 私の異変に出水くんが気付かないはずがない。いや、きっと彼じゃなくてもわかるだろう。感情が顔に出やすいタイプだという自覚はある。案の定出水くんに「元気ないじゃん」と言われてしまい言葉に詰まった。
 元気がないのは当然だ。米屋くんと交わした言葉がさっきからずっと胸につっかえている。このモヤモヤを晴らすには思い切って本人に聞いてみるしかない。そんなことは重々わかっているが、いくらポジティブが取り柄の私でも、出水くんの前では時々臆病になる。

「あ、いや……出水くんに彼女ができたら、こうして一緒に帰れなくなるなぁって思って」
「は? 何だよいきなり」
「さっき米屋くんに聞いたの。今日出水くんが先輩に告白されてたって……」
「! あのバカ余計なことを……」

 別に隠したいことでもないだろうに、出水くんは何故か決まりが悪そうにする。私に知られたくない理由を探してみたけれど、特に正解らしきものは見つからなかった。

「えっと……OKしたの?」
「いや断ったけど」
「なんで?」
「なんでって……よく知らない人だったし」
「でも出水くん年上好きだし、告白されたらコロッといっちゃうタイプでしょ」
「おまえおれを何だと思ってんだよ」

 ……よかった、やっぱり断ったんだ。予想はしていたけれど、本人の口から聞くと安心感が桁違いだ。数秒前までどん底に沈んでいた気持ちが、ふわふわと少しずつ浮上していく。

「つーか別に年上好きなワケじゃないし」
「……そうなの?」
「告白されたって、好きじゃない人と付き合いたいとは思わないし」
「ほ、ほんと?」
「普通そうだろ」

 その口振りからすると、どうやら出水くんはあまり恋愛には興味がないらしい。今すぐ彼女が欲しい、という感じではないので一先ずホッとする。強がって「全然気にしてませんけど」みたいな態度をとってしまったが、安心したらつい本音が漏れた。

「よかったぁ……出水くんに彼女できたらどうしようかと思った」

 そう言って顔を綻ばせると、出水くんは面食らったような顔をした。そして何故か「あー」とか「うー」とか唸りながら後頭部をガシガシ掻いている。あからさまに狼狽える彼を見て、そんなに変なことを言っただろうかと首を傾げた。

「おっ、まえさぁ……ホント何なの……」
「何って? 何が?」
「……なんでもねーよ」

 何だか煮え切らない態度の彼にますます首を傾げる。出水くんのことは時々よくわからない。
 けれどそれでも構わない。全てを知らなくても、私が彼を好きなことに変わりはないから。でももし彼が私の気持ちを知ったらどうなるのだろう……そう考えることはある。このままの関係でいられなくなるのは嫌だけれど、いつかは振り向いてもらいたい気持ちもある。乙女心とは複雑なのだ。

「なぁ、遠征終わったらどっか行こーぜ」
「どっかって?」
「海とか夏っぽいとこ」
「いいねぇ。また諏訪さんに車出してもらお〜」
「あー……うん」

 夏と聞くと、去年運転免許を持っている大人たちに車を出してもらって大人数で遊びに出かけたことを思い出す。みんなでわいわいするのが楽しかったので今年も是非お願いしたいところだ。出水くんも「そうだな」って笑ってくれると思ったのに、少し反応が違った。

「あとほら、花火大会とか」
「花火? 出水くんそういうの好きなんだ?」
「いやおれじゃなくて……だからその、美山が好きかと思って」
「え?」

 思いがけない台詞に驚いて、ジッと出水くんを凝視してしまう。嬉しさよりも、そんな都合の良い話があるのかと疑わしい気持ちが優ってしまうのは仕方ない。彼が優しいことは知っているけれど「私のため」なんてハッキリ言葉にしてくれたのは初めてだ。彼もらしくない発言をした自覚があるようで、居心地が悪そうに「嫌なら別にいいけど……」なんて言う。照れ隠しだとわかるそれにキュンと胸が疼いて、ようやく心からの笑顔を向けた。

「ううん、好きだよ。大好き」

 真っ直ぐ見つめてそう言うと、やはり彼は照れ臭そうに視線を彷徨わせる。その様子を見た私はほんの少しだけ期待してしまう。心はとっくに晴れていた。
 いつだって私はこうして出水くんの言動に一喜一憂させられる。我ながら単純な女だなぁと思いながら、残り少ない帰り道を7割の歩幅で歩いた。

「ありがとう。気をつけて帰ってね」
「ん。おやすみ」

 “おやすみ”──夜私を家まで送ってくれた時、出水くんは別れ際に決まってそう言う。バイバイ、またね、お疲れさま。別れの挨拶は様々だけど、“おやすみ”と言い合う習慣があるのは友人の中で出水くんだけ。それが少し特別な感じがして好きだった。これからも暫くはこの関係を続けられそうだ、そう思ったら嬉しくて自然と笑みが溢れる。

「おやすみなさい。出水くん」

 そう言って手を振る私に、薄く笑って片手を上げた出水くんは何故かいつもより大人びて見えた。彼の姿が見えなくなった後、ぽーっと火照った自分の頬に手を当てて、おかしいなぁなんて思う。
 夏はまだ、始まったばかりだというのに。