07

「陽葵ちゃん今日は早いね?」

 防衛任務を終え、急いで帰り支度をする私を見た柚宇さんが言う。確かに珍しい光景かもしれない。いつもは作戦室でダラダラ過ごしたり、友人と話したりして遅くまで残っていることが多いからだ。特に今は夏休みということもあり、暇を持て余した隊員が集まって賑やかに遊び楽しんだりしている。しかし今日はそれができない理由があった。

「今日家に親戚が来てるので、早く帰って来いって言われてて」
「そかそか〜。あれ? そういえば出水くんどっか行っちゃったねぇ」
「そうですねぇ……」

 急かすのも悪いので一人で帰っても良いのだけれど、本音をいえば出水くんも一緒に帰ってくれると嬉しい。どこへ行ったかな……と思いながら廊下に出て彼の姿を探すと、案外すぐに見つかった。

「いず……」

 名前を呼ぼうとした声を即座に引っ込めた。何故なら出水くんが一人ではなく、光ちゃんと話していたからだ。……どうしようかな。出水くんに黙って帰るわけにはいかないけれど、楽しそうに話している二人に水を差すようで声も掛けづらい。私が帰るって言ったら出水くんも帰るって言いそうだし、そんなの悪いし……。どうしたものかと考えあぐねているうちに、光ちゃんが私に気付いた。

「おー陽葵! 今からみんなで『真夏のゲーム王決定戦』すっけど来るよな?」
「何それ楽しそう……だけどごめんね。今日はもう帰らなきゃいけなくて」
「え、美山帰んの?」
「ありゃ。ま仕方ねーな。じゃ二人は不参加ってことで」

 当然のように出水くんまで不参加にしようとする光ちゃんを見て、私は慌てて訂正する。

「ううん。出水くんは参加で」
「何言ってんだよ。もう暗いし送る」
「大丈夫だよ。今日はその……親が迎えに来てくれるから」
「……そうなん?」

 咄嗟に嘘をついた自分に驚いたし、出水くんも意外そうな顔をした。いつも彼が家まで送ってくれるので、親が私を迎えに来たことなんて今までなかった。しかしそう言われて出水くんが食い下がる理由もなく「ならおれは残るわ」と言ってくれたので、私はホッと胸を撫で下ろす。笑って二人に別れを告げて本部を出た。
 一人ぼっちで帰る道中、私の心は何故かモヤモヤしていた。寂しさとは少し違う何かに襲われて、意図せずとも7割の歩幅になってしまう。……どうしてだろう。出水くんの邪魔をしなくて済んだので、これで良かったはずなのに。彼に嘘をついてしまったからだろうか……? 答えを出せないままトボトボ歩いていると、少し先に見慣れた後ろ姿が目に入った。

「あれっ三輪くん今帰り?」
「ああ。……一人か?」
「うん。ねぇ一緒に帰ろうよ」

 そんな私の誘いに、三輪くんは少し躊躇った後に頷いてくれた。真っ先に「出水と喧嘩でもしたのか?」と聞かれたけれど、別に一緒じゃない日だってある。……いや、ないな。出水くんとチームを組んで以来、彼と一緒じゃないボーダーからの帰り道は初めてだ。そんな寂しさを紛らわすように、努めて明るい声を出す。

「三輪くんと帰るの何年振りだろう? 小学生の頃はよく一緒に帰ったよね」
「さぁ。忘れた」
「えー! そこの池で一緒にザリガニ釣りしたじゃん!」
「……あぁ確か美山がザリガニにビビって、足滑らして池に落ちたんだったな」
「なんで覚えてるの!? そこは忘れてよ!」

 出水くんといい三輪くんといい、どうして人の黒歴史ばかり覚えているのかと頭を抱えた。本当に恥ずかしいから一刻も早く忘れて欲しい。
 三輪くんとは家が近所のため、小学校の通学班が同じだった。幼馴染と呼ぶのは流石におこがましいけれど、小さい頃はよく一緒に遊んだ記憶もある。そんな彼と大人になってから一緒に歩く帰り道は何だか新鮮だった。大人といってもまだ高校生だが、三輪くんはこの数年でかなり大人っぽくなったと思う。

「あっ。ごめんちょっと本屋寄ってもいい?」
「何か買うのか?」
「うん。好きな作家さんの新刊が出たんだ〜」

 本屋の前を通った際にそんなことを思い出し「ささっと買ってくるから」とお願いすると三輪くんはすんなり頷いてくれた。彼は一見無愛想で分かりにくいけれど、優しいところは昔から変わっていない。

「美山って小説も読むんだな」
「推理小説ばっかりだけどね。三輪くんは?」
「それなら俺もたまに」
「ほんと? じゃあこれ面白かったら貸すね」

 そんなことを話しながら店を出て、話題は夏休みの読書感想文に移った。高校生になった今はもうそんな宿題はないけれど、数年前まで毎年書かされたあの感想文が私は苦手だった。感想なんて言葉で言い表せるものじゃない、そう主張する私に三輪くんは小さく笑う。そういえば三輪くんは昔、読書感想文のコンクールに入賞していたっけ。そんな懐かしいことを思い出しているうちに、気付けば彼と私の間には数歩分の距離ができてしまっていた。

「ま、待って三輪くん」

 慌てて駆け寄り彼のシャツを引っ張った。気付いた三輪くんは「……あぁ悪い」なんて謝ってくれたけれど、別に彼が悪いわけじゃない。しかし初めてのことに私は戸惑って、どうしてだろうと考えると今度はすぐに答えが出た。──隣にいるのが出水くんじゃないからだ。彼はいつも私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれていた。私のため、なんて言葉にしなくても自然とそういうことができるのだ。その優しさを痛感した途端に、今隣にいない彼のことを無性に恋しく思う。

「歩くの速かったならそう言え」
「だって出水くんは言わなくても合わせてくれるし……」
「なら出水と帰ればよかっただろ」
「だって出水くん光ちゃんたちとゲーム大会するって……」
「だってだって言うな」
「だってぇ……」

 調子に乗って“だって”を連呼すると三輪くんに睨まれた。……うう怖い。やっぱり出水くんがいい。
 本当は出水くんに一緒に帰って欲しかった。けど言えなかった。だって……。

「私彼女じゃないし……あんまり我が儘言って嫌われたくないもん……」

 これが本音だと今になって気付く。モヤモヤの正体はこれだった。馬鹿だな、私……。本当は出水くんのためじゃなくて、ただ自分の身が可愛かっただけじゃない。本当に優しい彼とは大違い、そう自己嫌悪に陥って泣きそうになる。俯いてぐずっと鼻を啜る私を見た三輪くんは「何なんだお前らは……」と言って盛大なため息をこぼした。

「……とりあえず手離してくれ」
「三輪くんが冷たい……」
「全く……お前らの痴話喧嘩に俺を巻き込むな」
「喧嘩じゃないもん」

 ただ私が勝手にモヤモヤして勝手に落ち込んでいただけ。三輪くんは知らないだろうけれど、女の子は突然センチメンタルになったりする面倒臭い生き物なのだ。だから別に喧嘩じゃない、この時は確かにそう思っていたのだが……。






「な、なんか怒ってる……?」

 ──翌日、私は困惑していた。
 今日は急いで帰宅する必要もないので、いつものように作戦室で柚宇さんと駄弁っていると、何だか怖い顔をした出水くんが戻って来たのだ。怒りとは少し違うような、初めて見る彼の表情に首を傾げる。

「なんで昨日、三輪と帰ったの」
「……え?」

 思いがけない台詞に目を丸くする。どうしてそれを知っているのか、何がそんなに気に入らないのか。きょとんとする私の横で柚宇さんが「どしたどした〜? 修羅場?」と呑気に聞いてくるが、出水くんの耳には入っていないようだ。

「なんでって……たまたま帰り道で会ったから。家近いの知ってるでしょ?」
「じゃあなんで嘘ついたんだよ。親が迎えに来てくれるなんて」
「……あ」

 そういえば忘れていた。出水くんの邪魔をしたくなくてそんな嘘をついたんだった。思わず“しまった”という顔をした私を見て、出水くんが顔を歪めた。

「三輪の方がよくなった?」
「え、なにそれ」
「今日も三輪と帰る?」
「か、帰らないよ。出水くんがいい」
「よく言うぜ。手繋いで本屋デートしてたらしいじゃん」

 ……おかしいな。三輪くんと本屋に行ったのは事実だが、断じて手なんか繋いでいない。三輪くんのシャツなら掴んだがそれだけだ。どうして出水くんがそんな勘違いをしているのかは知らないが、それよりも俄然気になることがある。いやだって、その反応はもしかして……。

「……ヤキモチ?」

 場違いな台詞だと思いつつも、ついそんなことを尋ねてしまった。すると出水くんは微かに顔を赤らめて早口で捲し立てる。

「ちっ、げーよ! おれはただ、おまえが嘘ついて三輪と帰ったから、本当はおれと帰りたくないんじゃないかって思っただけで……!」
「そ、そんなわけないじゃん! 私はただ出水くんの邪魔したくなかっただけで……」
「だから嘘ついたって? 馬鹿じゃねーの」
「ご、ごめんなさい……」

 確かに彼の言う通り、馬鹿だったのは私だ。嘘なんてつくべきじゃなかった。結局嫌われてしまったかと、堪らなく不安になって俯くと──すぐに優しい声が降ってきた。

「邪魔なんて、思うわけないだろ」

 その言葉に安心してまた泣きそうになる。やはり最近の私は情緒不安定らしい。

「……仲直りしたのかね?」
「柚宇さん……別に喧嘩じゃないすよ」
「確かに。ただの出水くんのヤキモチだったね」
「なんか柚宇さん今日おれに厳しくないすか……」
「あはは、わたしはいつでも陽葵ちゃんの味方だから〜」
「ひでぇ。……帰ろーぜ美山」
「う、うん」

 陽葵ちゃん泣かせたらダメだよ〜、と出水くんに釘を刺す柚宇さんを見て、こういうところはお姉さんだなぁと思う。意外と面倒見の良い彼女にお礼を言って、癒される笑顔に見送られながら出水くんと一緒に作戦室を出た。
 こうして今日はいつも通りの帰り道……かと思いきや、そうでもない。一応仲直りしたはずなのに、二人の間には何となく気まずい空気が流れていた。どちらかと言うと、いつもと様子が違うのは出水くんの方だ。上手く言えないけれど、心ここに在らずというかそんな感じ。
 ──しかし気まずさを破ったのも出水くんの方だった。突然手に感じた温もりに驚いて彼を見つめる。

「……どうしたの?」
「別にどうもしないけど」
「じゃあなんで手繋ぐの?」
「おれとは繋ぎたくないわけ?」

 質問を質問で返されて呆気に取られる。もちろん嫌なわけじゃないけれど、なんだか照れ臭くて「いや別に……」なんて素っ気ない返事をしてしまった。だって出水くんがムキになったような言い方をするから……。そんなのヤキモチ焼いてるようにしか見えないよ。なんて都合の良い考えを頭の中から追い出そうと努めても、繋がれた手に意識が向くと簡単に心が乱される。……やっぱり男の人の手だな。私手汗かいてなかったかな……。色んな意味でドキドキして落ち着かないけれど、これだけは言っておいた方が良さそうだ。

「三輪くんと手繋いでないよ」
「……そうなん?」
「誰がそんなこと言ってたの?」
「佐鳥。さっき廊下で会った時『美山先輩浮気してましたよー』って」
「う、浮気なんてしてないし。佐鳥くんの見間違いだよ」
「……なんだよ。早く言えよな」

 誤解が解けても手が離れることはない。やっと機嫌を直した出水くんを見て、私の期待はますます大きくなっていく。やっぱりヤキモチ焼いてくれたのかな……。ハッキリ確かめたい気持ちもあるけれど「私のことどう思ってる?」なんて聞く勇気はまだない。代わりにここ数日間私が悩んでいた、一向に答えの出ない問いを出水くんに投げかけてみることにした。

「ねぇ出水くん。花火大会って普段着で行く?」
「あーうん。浴衣なんて持ってねーし」
「そうだよねぇ。じゃあやっぱり私もそうするね」

 来週の花火大会の服装について先日犬飼先輩に相談したものの、結局出水くん本人に確認して合わせるのが無難だろうという結論に至った。可愛く着飾った姿を見てもらいたい気持ちもあったけれど、慣れない浴衣で変な失敗をしたくはなかったので普段着と聞いて少しだけホッとした。
 しかし私も普段着で行くと伝えると、出水くんは何故か困ったような顔をする。

「美山浴衣持ってんの?」
「え? うん。去年は着たよ」
「去年って……誰と行った?」
「みかみかと遥ちゃんとひゃみちゃん。みんな浴衣可愛かったな〜」

 今年も同じメンバーで行くつもりだったけれど、出水くんに「二人で行こう」と言われたことを皆に伝えると「デートだ!」と大層喜んでくれた。年頃の女子は皆恋バナが大好物なので、最近は彼女たちに会うといつもこの話で持ちきりだった。「浴衣着るよね?」「せっかくだから新調したら?」とキャッキャしてくれた皆には何だか申し訳ないな……と思った直後、出水くんから耳を疑う台詞が飛び出した。

「着てきてよ。浴衣」
「えっ」
「おれも見たい」

 予想外の展開に思わずたじろぐ。見たいなんて好きな人に言われたら、当然それに応えないわけにいかない。しかし浴衣を着て行くことを宣言してしまっては、ただ当日のハードルが上がっただけなのでは……?

「わ、わかった……」

 ……どうしよう、思ったより大変なことになってしまった。出水くんに恋する限り、私の悩みが尽きることはない。