08
「……よし。どこも変じゃないよね……?」
そして迎えた花火大会当日。まさかの出水くんからの要望で浴衣を着ることになった私は午後から大忙しだった。メイク、ネイル、ヘアセット、着付けを何とか制限時間内に終え、家を出る前に何度も鏡の前で身だしなみをチェックする。見慣れた自分の姿もどこか新鮮に映るくらいの力作だ。去年女友達と行った際に着た浴衣も気に入っていたけれど、彼女たちの勧めもあり今年は少し大人っぽいものを新調した。どんな浴衣にしようかとネットであれこれ検索している時に「もうちょい色気のあるやつにしろ」と言ってきた太刀川さんの意見も一応取り入れてみた。色気なんて出せているかは分からないけれど、いつもと違う雰囲気の私に少しドキッとしてくれたら嬉しい。
待ち合わせ場所に着くとすでに出水くんが待っていた。今日の彼は何だかいつもより大人っぽく見える。ラフなシャツにカチッとしたパンツや靴を合わせたファッションは、適度にカジュアルでデートのコーディネートとしても完璧だ。いやまぁ何を着てても格好良いんだけど。
「出水くんお待たせ〜」
「おー」
「ごめんね準備に時間かかっちゃって」
遅刻したわけではないが、浴衣の感想を貰いたい私はそんなことを言う。「可愛い?」と聞けばきっと出水くんは頷いてくれるはずだけど、あえて聞かなかった。本当は私から聞かなくても『可愛い』と言って欲しい、そんな我が儘な自分が顔を出したことに少し驚きながら出水くんのリアクションを待つ。
「……やっぱそういうのもいいな。可愛いし似合ってる」
「ほ、ほんとっ? 嬉しい〜」
「それ全部自分でやったの?」
「そうだよ」
「すげぇ……さすが器用だな美山は」
馬子にも衣装だな、とか言われるかと思ったけれど、やっぱり今日の出水くんは中身まで大人だった。よかった……頑張った甲斐があったなぁ。嬉しくてニヤける頬を押さえながら、彼の隣をゆっくり歩く。決してわざとではなく、慣れない下駄を履いているせいでゆっくりしか歩けないのだが、それに合わせてくれる彼はいつもと変わらず優しい。
三門市の花火大会は毎年8月末に行われる。夏の終わりに打ち上がる花火は少し物寂しさを感じさせるが、それもまた乙なものだ。もう少しで学校が始まるのが憂鬱な人も多いだろうけれど、私はそうでもなかった。そろそろクラスの友人にも会いたいし、新学期には楽しいイベントがたくさんある。
「新学期始まるのやだなー」
「でも文化祭とか楽しいこともあるよ」
「あー確かに。美山のクラス何やんの?」
「なんとお化け屋敷」
「マジ? 準備とか大変じゃね?」
「うんまぁね」
お化け屋敷は文化祭で人気の出し物だが、準備にも当日仕掛けを動かすのにも労力が要る。放課後だけでは準備が間に合わないので、この夏休み中も何度か学校に行って各自の作業を進めていた。確かに大変だけれど、来年は受験生なのでやるなら今年しかなかったと思うし、皆で協力すれば楽しい思い出になるだろう。
「でも絶対楽しいよ。出水くんのところは?」
「ウチは普通に飲食。よくあるコンセプトカフェってヤツ」
「へーどんなの?」
「……猫カフェ」
「えっ猫カフェ? 猫って本物の?」
「いやまさか。ほら、店員が猫耳付けて〜とかよくあるじゃん」
「猫耳……出水くんも?」
そう尋ねると彼は言葉を濁したが、否定はしないのでそうなのだろう。何より苦々しい表情がそれを物語っている。
「うわぁ、絶対遊びに行くね!」
「……ぜってーおれがクラスに居る時に来んなよ」
「やだなぁ行くに決まってるじゃん」
これは米屋くんに当日のシフトを教えてもらわなければ。楽しみだなぁと私が笑うと、結局出水くんも諦めたように笑みを零した。
「つーか腹減らね? なんか食おーぜ」
「うん。私じゃがバターとたこ焼きー」
「りょーかい」
今のところデートは順調だ。浴衣も褒めてもらえたし、いつも通り楽しく話せている。それなのに、欲張りな私はあと一歩先まで期待してしまう。だってこれはデートなのだから。出水くんの手を見つめて、今日は繋いでくれないのかな……なんて思っていると、突然私の知らない声が出水くんの名前を呼んだ。
「あれっ出水?」
気付いた彼が足を止める。釣られて私も声の方に視線を向けると、そこには私たちと同年代の男性がいた。出水くんの友達だろうか。これだけ人が多いのだから、知り合いに遭遇してもおかしくはない。
「おー吉田」
「なんだ来てたんだ。三島たちの誘い断ってたから来ないのかと思っ……」
ヨシダと呼ばれた男性は人の良さそうな笑みを浮かべながら近付いてきたが、私の存在に気付いた途端にハッとして固まった。目が合ったので軽く会釈すると向こうも返してくれたが、何となく気まずい。そっと二人から視線を外して耳だけで様子を窺うと、ヨシダくんが何やら出水くんに問い詰めている。
「……マジ? 彼女いたんだ?」
「いや彼女じゃねーけど……」
「お前普段『女子に全然興味ありません』みたいな顔してそれかよ! ずりぃよなーホント」
「何がだよ。おまえ彼女いるだろ」
「あっそうだ早く戻んねーとどやされる……」
それから少し言葉を交わしていたようだが、ほんの1、2分だったと思う。邪魔して悪かったな、と出水くんの肩を叩いたヨシダくんは、再度私に会釈して去って行った。律儀な人だなぁ。彼女の元に戻ったのだろう、と二人分の焼きそばが入った袋を見て思った。
「わりぃ、同じクラスのヤツ」
「やっぱりそうなんだ」
「アイツが言ってたこと気にしないで」
「あはは、大丈夫。気にしてないよ」
気にしてない、なんて大嘘だ。やっぱり私たちって、はたから見たらカップルに見えるんだな……。そう思うと顔が少し熱を持つ。これまでボーダーの人たちにカップル扱いされても何も思わなかったのにおかしい。それは私が出水くんのことを、以前よりも異性として強く意識している証拠なのだろうか。はぐれそうだから、なんて言って途中から手を繋いでくれた彼に、どんどん『好き』が募っていく。露店で買ったたこ焼きもじゃがバターも、イマイチ味がしなかった。
露店前の人混みを抜けて、少し静かな場所で花火が始まるのを待つ。開始5分前という皆の期待が高まる中、私は別の意味でそわそわして落ち着かなかった。今までずっとうやむやにしてきたことを、確かめたい気持ちの方が強くなってしまったのだ。このデートの意味も──出水くんの気持ちも。
「……ねぇ出水くん」
「ん?」
「これってデートだよね」
「え……まぁ、一応……?」
「出水くんは他の女の子ともデートするの?」
「はぁっ?」
突然私が身も蓋もないことを言ったせいか、出水くんは素っ頓狂な声を出す。それから少しだけ怒ったように、眉間に皺を寄せてこう言った。
「するワケねーだろ」
それを聞いた瞬間に胸が高鳴る。感極まって言葉に詰まっている間に、ついに花火が始まった。けれど私はそんなのそっちのけで、ひたすらに出水くんを見つめる。──そこでふと、犬飼先輩のアドバイスが脳裏を過ぎった。
──『花火が始まったらさ、まず……』
えっと確か……軽く服の裾を引っ張って、ちょっと上目遣いで見上げて……黙って3秒見つめる? ……いやいやそれじゃ意味がわからないってば。そうじゃなくてもっとドキッとさせるような台詞があったはずだけど……何だっけ? あぁダメだ、出水くんに見つめられると頭が真っ白になって何も思い出せない。とにかく何か言わなくちゃと焦っているうちに、とっくに3秒以上経っていた。こんなんじゃ、ドキドキさせられているのは間違いなく私の方。
だけど恋の駆け引きなんて、私には最初から必要なかったのかもしれない。出水くんの気持ちが如何なるものでもこの際構わない。たとえ彼が振り向いてくれなくても、それでも私は……もうこの気持ちを抑えることなんてできないから。
「出水くん……」
──“好き”。そう小さく呟いた声は、花火が打ち上がる大きな音にかき消された。それなのに彼は少し目を見張って、それから切なげに眉根を寄せる。初めて見る表情に胸をときめかせていると、今度は彼が私の名を呼んだ。
「……美山……」
大好きな眼差しが、真っ直ぐ私を射抜く。大好きな手が、そっと私の肩に触れる。私の大好きな彼の全てが今、私に注がれている。気付けば出水くんの声以外、何も聞こえなくなっていた。あんなに大きかった花火の音も、賑わう人々の歓声も、今は何も聞こえない。
ふわっ、と出水くんの匂いをすぐ近くで感じた。──その直後、唇に柔らかい感触を覚えて心臓が震える。
……うそ、私今、出水くんと……。
「……ごめん。忘れて」
そんな台詞すら、かき消してくれたら良かったのに。
生まれて初めて、夜空に綺麗に咲く花火を厭わしく思った。