
03
「ちょっと澪、どういうこと?」
登校して自席に着くや否や、待ってましたと言わんばかりに集まってきた友人たちを見て嫌な予感がした。……いや、予感というより確信に近い。普段からなるべく目立たぬように過ごしている私だが、今日に限っては彼女たちの関心を引いてしまう心当たりがあった。
「今犬飼くんと登校して来たでしょ?」
それは私にとっても青天の霹靂だった。まさか朝家を出た直後に犬飼くんと遭遇し、そのまま一緒に登校する羽目になってしまうとは。幼馴染という関係を隠す気が無くなった彼に「どうせ目的地一緒なんだからいいじゃん」と言われ、拒みきれなかった自分が憎い。友人たちの追及を躱そうにも、あの現場を目撃されてしまっては流石に言い逃れはできないだろう。
「二人って知り合いだったの?」
「……うん。実は家が近所なの」
「えーそれって幼馴染ってやつ?」
「何その羨まし過ぎる設定」
「いいなぁイケメン幼馴染〜!」
案の定盛り上がる彼女たちを見て、心の中で溜息を吐く。高校に上がった時には既に犬飼くんと疎遠になっていたので、私たちの関係はここでは殆ど知られていない。同じ中学出身者なら覚えている者もいるだろうが、今更それが話題に上がることもなかった。それくらい接点のない二人だったのだから、このように皆が騒ぐのも無理はない。
「幼馴染って言っても、別にそんな特別なものじゃないよ」
「えーそうなの?」
「うん。犬飼くんには私より仲の良い女の子なんて沢山いるだろうし」
明るく社交的な犬飼くんには男女問わず友人が多い。そんな彼が今のような性格になった要因の一端は、恐らく私にあるのだろう。
中学時代、私がイジメられていることに気付いた彼は、私を守るために距離を置くようになった。誰にでも優しく、愛想良く振る舞うようになったのもこの頃からだ。お陰でイジメは収束に向かったけれど、私の心はポッカリ穴が空いたようになった。
本当はただ、彼が隣にいてくれればそれで良かったのに──あの時そう言えていたら、何か変わっていたのだろうか。今更幼馴染という関係に縋っても以前のように笑い合えないのは、私と彼の心がすっかり離れてしまったからなのだろう。
「まぁ確かに、澪と犬飼くんって全然タイプ違う感じするもんね」
彼女たちの言いたい事は理解できる。私は犬飼くんとは違い物静かな性格で友人も多くない。特に男子とは極力関わらないようにしているため、男嫌いだと思われている節もある。そんな私と彼は側から見れば無縁の人間で、隣に並ぶことすら不自然な組み合わせに違いない。それが今の私たちの関係だ。
それでも彼と過ごした日々の記憶も、彼が『特別』だという事実も揺るがないのだ。少なくとも、私にとっては。
◇
「ごめん澪、お待たせ」
その日の放課後、確かに私は犬飼くんを待っていた。それは彼との遭遇が“予期せぬ出来事”とは呼べなくなったことを意味していたが、不本意である事には変わりない。
「話って何?」
「えぇいきなり?」
「話があるから一緒に帰ろうって朝言ってたじゃない」
「そんなのデートに誘う口実じゃん」
「……帰る」
「つれないなぁ。今日バイト無いんでしょ?」
そう言って隣に並んだ彼に不満顔をする。口が上手い彼に何を言っても無駄な気がしたので、せめてもの抵抗だ。犬飼くんと一緒に居るのは苦ではないけれど、何かと目立ってしまうので困る。今朝の事もあるのでこうして登下校を共にするのは避けたいのだが、どういう訳か彼がそれを許してくれない。
「それにしても、3年のこの時期にバイトなんて始めて良かったの?」
「もう部活引退したし、割と時間あるから平気」
「まぁ澪は昔から頭良いしねー」
「……犬飼くんはもう少し勉強したら? おばさん心配してたよ」
犬飼くんだって受験生になってもボーダーの活動を続けているのだから、母親の心配も尤もだ。加えて彼の成績はこの進学校の中ではそこまで良くない。最近は彼の母親に会うたびに「澪ちゃん澄晴の勉強見てあげて〜」と言われていたのを思い出し勧告したのだが、本人は「ついに澪を使ってきたか……」と苦い顔をしている。
「あ、じゃあさ。勉強会しようよ」
「それはまぁ良いけど、いつ?」
「今から」
「今から? そんな急に言われても、ウチ汚い……」
咄嗟に出た自分の言葉に驚く。まさかここに来て昔の癖が出てしまうとは。失言だったと思い慌てて犬飼くんの顔を見れば、彼も同じように目を丸くしていた。
「ごめんそういうつもりじゃ……」
「じゃあウチおいでよ」
「え」
そういうつもりじゃないと言っているのに、一体何を考えているのやら。もう昔のようにお互いの家を行き来できるような関係でも年齢でもないだろう。戸惑いながらも「い、行かない」と拒否すれば、彼は何故か嬉しそうに笑う。断られたのにその反応は何なのかと問いたいが、それよりも気掛かりな事があった。
「……今更なんだけど、犬飼くん彼女いないの?」
「いたら流石にマズいでしょこの状況」
「うんまぁ、そうだよね……」
D組の女の子と付き合っているという噂もあったはずだが、この反応を見るに事実ではないようだ。やはり噂なんて当てにならないが、かと言って軽視できるものでもない。犬飼くんは今も昔もモテるのだから、私との変な噂が立ったら面倒だ。
「でもやっぱり、こういうのやめた方がいいんじゃないかな」
「分かった分かった。じゃあ近場のカフェかファミレスにしよ」
「いやそれもちょっと……。犬飼くんといると目立つし」
「我が儘だなぁ。何、目立つと困るの?」
「困るって言うか……私たちが一緒にいるの、やっぱり不自然みたいだし」
今朝の友人との会話を思い出して私が言うと、犬飼くんはキョトンと首を傾げた。
「不自然?」
「私と犬飼くんって、全然タイプ違うから」
「それ誰が言ったの?」
「クラスの子」
「ふぅん。……ねぇやっぱり澪のバイト先のファミレスでいい?」
「……人の話、聞いてた?」
彼はいつからこんなに強引な人間になったのだろうか。記憶の中の彼は私の嫌がる事は絶対にしない人だったので、てっきり折れてくれるものだと思っていたのに。バイト先だなんて冗談じゃない、という私の胸の内などお構いなしに、犬飼くんは迷いなくスタスタと歩き出す。
「誰に何を言われても、おれは気にしないよ」
慌てて背中を追うと、すぐに足を止めてくれた彼がこちらを振り返った。──その顔にいつもの笑みは、ない。
「もう逃げないって決めたから」
逃げないって、一体何から……?
ただならぬ様相の彼を前にして、息が詰まって言葉が出ない。そんな私に気付いているはずなのに、彼はそれ以上を語ろうとしない。絡まった視線を解けないまま過ぎゆく時間が、私の心を揺らした。
「……犬飼く」
「その呼び方、やめてって言ったよね」
真っ直ぐに私を見つめる彼の瞳を、初めて“怖い”と思った。
もし私が彼の隣に立つのに相応しい人間だったなら、周囲の顰蹙を買うこともなかったのではないか──そんな風に考える私の弱い心を、見透かされているような気がして。
「逃げるなよ」
そう言って私の腕を掴んだ彼の手に、全てを思い知らされたのだ。何年経とうとも、この温もりを忘れることなど出来ないのだと。
揺るがない過去に囚われていても、時間は止まってくれないのだと。