Quelle belle

まだ学校に行くには早い時間、私は稲妻総合病院の診察室で足に包帯を巻かれていた。事の発端は昨日の夕方。部活が終わって、家へ帰る道である下りの階段で足を外してこけたのだ。なんとびっくり、私の帰り道とほぼ同じであった風丸がぎょっとした顔で駆け寄ってきたのを鮮明に覚えている。優しい風丸は病院へ連れて行くと言ってくれたが、私は大丈夫だと言ってそのまま家に帰ったのだ。

しかしその次の日、今度は親に見抜かれ怒られて、渋々病院へ行くことになったのだ。私は小さい頃からよく怪我をしては病院へ通う、言ってしまえばおっちょこちょいな人間だった。だけど何でか病院は慣れなくて、未だにどうしても行けないのだ。それよりも両親の鉄拳の方が怖いからこうして病院で治療して貰っているんだけど。

「はーあ、もう病院へは行きたくな……あれ、守?…に、豪炎寺?何してんのこんな所で」
「……あ、司」

偶然か何か、豪炎寺に向かって謝っている守に出くわした。頭に疑問符を浮かべて二人に話しかける。といっても、豪炎寺とはちゃんと面と向かって話すのは今日が初めてなんだけど。(まだ話してもいないけど)

ひとつの病室の前で話していた二人が気になり、この病室になにかあるのかと病室の扉の隣に貼ってあるプレートを見ると、そこには“豪炎寺夕香”と書かれていた。

「豪炎寺、夕香?もしかして」
「……ああ、俺の妹だ」
「妹……?」
「全く、お前には呆れるよ」

そう言って豪炎寺は病室の扉を開けて「入れよ」と催促した。それは守に向けたものだと思い、じゃあ私はこれで…と退散しようとしたら「別にお前もいい」と言われてしまったので会釈をして守と病室の中に足を運んだ。

「…これって」

病室の先にいたのは、豪炎寺の妹と思われる女の子が沢山の医療機器に囲まれて眠っていた。周りの機器と身体に繋がれている管により、痛々しさが感じ取れる。こんな小さな女の子が、こんなになるまで一体何が起こったのだろうか。

唖然と妹さんを見つめる私と守に、豪炎寺が口を開く。

「夕香だ。……話すよ。でなきゃお前、帰らないんだろ」

守は驚きを隠せない様子で、呆然とそこに立ちすくむ。豪炎寺に話すと言われても反応出来ないくらいに、夕香ちゃんの状態は何も知らない人が見ても酷いものだと分かるのだ。

「夕香は、去年のフットボールフロンティアの時からずっとこうなんだ」
「木戸川清修と帝国の試合だったよな?」
「ああ。こいつ、決勝を見るの楽しみにしてたんだ。必ず応援に行くって言ってた。……夕香の笑顔を見たのは、それが最後だ。スタジアムに急ぐ夕香は…」

その先は、言われなくても分かった。いや、分かってしまった。その当時の事を思い出しているであろう豪炎寺の横顔はどことなく辛そうな表情をしていたから。

豪炎寺の話を耳に、私は夕香ちゃんの顔を視界に捕らえる。夕香ちゃんの寝顔はどこか苦しそうで、それを見ていると心がぎゅっと苦しくなる。こんな小さな子が、どうして、と。

「事故の事を聞いたのは試合の直前だった」
「……だからお前は」
「…病院に向かったよ。この病院には親父が勤めているんだ。俺が転校したのもそのついで」

豪炎寺は夕香ちゃんの隣にある椅子に座るとギィ、と古そうなその椅子が音を鳴らした。

「俺がサッカーをやってなきゃ、夕香はこんな事にはなっていなかった。夕香がこれだけ苦しんでいるのに、俺だけのうのうとサッカーをやるわけにはいかない」

ぎゅっと拳を握り、何かを耐えているようなその鋭い声色には、その時の悲しさがたっぷりと乗せられている様だ。そんな豪炎寺の様子を見た守は心配そうに見つめる。

「夕香が目覚めるまで、やらないと誓ったんだ。……でもあの時、何故なんだろうな。自分でもわからないんだ。自然に、身体が動いていた」
「……辛い話、させちゃったな。俺、何にも知らないでしつこく誘っちゃって……ごめんな」

こうやって最後に素直に謝れる所は守の良い所だ。こういう所も、中一の時から何も変わっていない。こんな性格の守だからこそ、あの時豪炎寺の心を動かせたのだろう。きっと、他の人だったら何も変わる事なんて無かったのだろう。

「このこと、誰にも言わないよ。……じゃ」
「……本当に、サッカーをやめてもいい訳?」

ま、私が何も言わないとは言っていないんだけどね。

豪炎寺を思って何も言わずに病院を後にしようとした守はピタリと足を止め、俯いていた豪炎寺はばっと顔を上げる。

「どういう事だ」
「どうもこうも、夕香ちゃんは豪炎寺の……ああもうどっちも豪炎寺だから名前でいいよね!修也のサッカーを見たくてスタジアムへ行ったんでしょ」
「だから事故が起きたんだ。さっきも言った通り、俺は……」
「夕香ちゃんは“サッカーをしているお兄ちゃん”が好きなんでしょ?それなら答えは簡単じゃない。続けるしかないって」
「っ、」

目を見開いて私を見つめる豪炎寺に、私は渇を入れるがごとく話を続ける。

「自分の怪我でサッカーをやめるって知ったら夕香ちゃん、きっと誰よりも悲しむと思うんだよね」

事故とサッカーの合間に挟まれて苦しげな表情で顔を歪ませる豪炎寺。そんな彼に今度はふっと微笑んで、そして苦笑いを浮かべる。

「まあ、沢山悩んだらいいよ」

押しかけてごめんね、と言って手を振り、守の肩に手を置いて行くよ、と催促する。守は慌てた様子で私の後に続いて病室を出ようとする。

「サッカー部、あの後どうなった?」

私の言葉が響いたかどうかは分からないが、豪炎寺は振り向かずにそう聞いてきた。守は扉の前で立ち止まり、くるりと後ろを振り返った。

「ああ、次の対戦校が決まったんだ。お前のシュートがきっかけで、皆練習頑張ってるぜ。…ありがとな」

そう守が声をかけても、豪炎寺は俯いたまま何も言わない。もうこれ以上言うことはない。後は自分の中で葛藤するだけだから。

私は「行こう」と守に声をかけ、がらりと扉を動かし外へ出た。

あれ、もしかしてこれって遅刻フラグでは?



結局遅刻は免れたが、本当にギリギリだった。教室へ滑り込むと、友人が遅刻ギリギリの事よりも私の足の怪我について追求してきたのをはっきりと覚えている。

まあそれはさておき、現在放課後、つまり部活の時間。いつも通り部室に行くと何故か秋の隣に春菜がいて、わらわらと部員がそれを囲んでいた。

「新聞部の音無春菜!今日からサッカー部マネージャーやります!」

びしっと敬礼のポーズをしながら部員の皆に自己紹介をする春菜。んんん?新聞部は?新聞部はいいのか?そんな心中は全く知らず、他の部員も呆然として見ているのもお構いなしに、春菜は話を続ける。

「皆さんの練習見てるだけじゃ物足りなくて!だったら一緒の部活やった方が早い!そう思ったんです!新聞部の取材力を活かして、皆さんのお役に立ちたいと思います!よろしくお願いします!」
「……て訳」

ぺこりとお辞儀をする春菜に続いて秋が手を春菜の方へ向ける。……え、掛け持ち?そんな訳ないか。……えっ、やめちゃったの?

「あ、ああ、よろしく」
「音無って…」
「やかましの間違いじゃないの?」

ワンテンポ遅れて守が挨拶を返す。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ同じ事を思ってしまったけど半田とマックスは後で処刑だ。美少女に向かってそんな口をきいちゃあいかん。私の美少女精神に反するのだ。美少女精神って?私にもわからない。

「ところで春菜、そんな簡単に部活やめちゃっていいの…?」
「その言葉、司先輩だけには言われたくなかったです…」

ああそうだ、私バレー部だったよね。なんて言って笑うと、春菜からは苦笑いが返ってきた。後輩に呆れられるなんてそろそろ先輩引退の時期かな……さようなら……と悲しみながら記念の写真を一枚撮ると、秋に「こら!」と怒られた。まあ、今日も今日とて平和です。

…あれ、私の怪我のこと誰も気にしてないっぽい?



今日も荒れてるなあ、染岡。そう思いながらスポーツドリンクを持って河川敷へ向かう。シュートを決められずにいる染岡に守がなにやら話しかけ、端の方に移動した。きっとこの問題は守が解決してくれるだろう。そう思って私はスポーツドリンクをベンチに置き、近くにあったバインダーに目を通す。そして、今練習している選手達一人一人に声を掛ける。

「ほらほらマックス、器用なのは良いけどもっとパスの頻度上げて!あんたの容量なら大丈夫!壁山もボールに萎縮すんなー!図体でかいんだからもっと胸張ってプレイしろー!」
「それ軽く悪口っす〜!」

ボールを追いかける彼等にアドバイスを加える。それぞれ身体が超次元なのに全くそれを活かされてないから困ったものである。影野なんかはあの影の薄さで相手を怖がらせるって方法だってあるのに、もったいない。

「そういえば司ちゃんってサッカーやってたのよね?」
「でも小学生の時の話だけどね。あ、けど一応レギュラーだったよ」
「充分すごいじゃない!だから皆の小さな変化にも気がつけるのかしら」
「ええ、そんなに細かい性格じゃないよ?」

分かって無かったのね…と苦笑を浮かべる秋に、私は頭に疑問符を浮かべる。そんな事言われたのは初めてだったため、あまり実感が湧かない。

こうしているうちに守と染岡が話し終わったのか、コートへ走って戻ってきた。今度はちゃんと守もGKとして入り、一緒に練習に参加している。

「司ちゃん、私と音無さんは洗濯物干しに行ってくるから皆のことお願いできる?」
「オッケー!お安いご用で!」

びしっと、春菜がしたように敬礼のポーズで了承すると、秋はにっこり微笑みながらありがとう、と言って河川敷の階段を上って行った。

刻一刻と練習試合の日に近づく中、染岡はいつもの調子を取り戻し、そのおかげもあってか他のメンバーのモチベーションも上がったようで順調に何事も無く練習に励んでいた。

染岡はボールを蹴りながらゴールを必死に目指して練習に励んでいた。私は持っているだけの知識と実体験を元に改善点を教え、どんどん克服する度に強くなって行った。そしてある日、染岡が蹴ったボールはいつもより遙かに強いエネルギーが溜まって守がゴールを止める隙も与えずにシュートしたのだ。ついに、染岡の必殺技は完成したのだ。

「すっげー…」
「今までのシュートとはまるで違う!」
「今なんか、ドラゴンがガーッと吠えたような…」
「僕もそんな感じしましたよ…」

一緒に練習していた仲間達が口々に感想を言う中、シュートを決めた張本人は唖然とそのゴールを見つめていた。そりゃあ、今まで出来なかった技が完成したんだ、無理も無い。

「染岡!すっげーシュートだったな!」
「うんうん、ガーって!そったらドーン!って!!」
「司の言ってる事はよくわかんねーけど…これだ、これが俺のシュートだ!」
「ああ、やったな!」

守は嬉しそうに染岡と肩を組むと、染岡も達成感に満ちあふれた顔で笑っていた。これで部内の問題が一つ消えて、雷門イレブンの強みが増す事となった。徐々に染岡の周りに部員は集まり、染岡!と口々に彼の名前を口にする。

「よし、このシュートに名前付けようぜ!」
「あっ、それいいね!」
「名前かぁ、帝国の必殺技みたいな、かっこいい名前がいいよねぇ」

そう言うと次は口々に考えた名前を言い合い始める。その光景にほっこりとしていると、地面の砂を踏むジャリ、という音が後ろからしてバッと振り向く。

「あり、修也?」
「え、豪炎寺?」

私がその名前を呟くと、みんなが次々に振り返り、驚いた様子を見せる。修也は雷門の制服を身に纏って、いつもと変わらない様子でこちらへ歩み寄ってきた。

「円堂、俺…やるよ」
「……豪炎寺!」

その言葉に後輩達は目を輝かせて「やったー!」とあからさまに喜び始める。どうやら自分の中で整理がついたようで、前よりはすっきりとした顔立ちだ。

豪炎寺は次に私の方へ視線を向ける。私は何かと思い、首をかしげる。

「笹宮、ありがとな」
「……ああ、前の事ね。気にしないでよ、あれは私がカッとなって言っちゃっただけなんだし」

ひらひらと手を振って笑うと、豪炎寺も「そうか」と言って同じように笑う。…あれ、そういえば一つ気になる事が。

「私、修也に名前教えたっけ?」
「いや、教えてもらってない」
「え、じゃあなんで…」
「小学生の時」

私の声を遮るようにヒントを出してきた修也に、私は更に頭を悩ませる。小学生の時…?私、修也と会ったことあったっけ?うーんと悩む私に見かねたのか、再び口を開いた修也。

「俺が所属していたサッカーチームと、お前が所属していたサッカーチームが練習試合を行ったんだ」
「……あ、あれ!?あの時のさわやか君!?」

爽やかかどうかは知らないが…と呆れた様子を見せる修也。そうだ思い出した。こんな特徴的な髪型を何で忘れていたんだろう。あの時の修也は笑顔がキラキラで、正に夢見る少年!って感じだった。…のに。

「こ、こんなすましたお坊ちゃんになりおって…」
「お前は何様なんだよ…」

はあ、と短く溜息をつく修也を見てぐすりと涙ぐむ。あまりの成長と最近人に呆れられる頻度に悲しみを覚えると、更に涙が出てきそうになる。

ああ、何故こうも世界は残酷なのだろうか。私は空を見上げ、溜息をつくとひとまず修也の端麗な顔をデジカメに納めることにした。(この後頭をはたかれたのは言うまでもない)

…あれ、やっぱり私の怪我に気が付いてないのかね皆?
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