Quelle belle

「司ちゃーん!」

翌朝、グラウンドへ行くと秋ちゃんがこちらへ手を振って私を呼びかけていた。普通の私ならば、ここですかさずカメラを構えているであろうが、流石に今日はそうもいかなかった。…実は、昨日買い出しに行って佐久間と源田に会った事と、佐久間から言われた事で頭がいっぱいになってあろうことか学校へ荷物を置かずにそのまま家に帰ってしまったのだ。くそう…なんたる不覚……。

「もう、昨日は心配したんだからね!?」
「えへへ、ごめんね秋。知り合いって言うかまあ知り合いなんだけどすごい知り合いと出会ってさあ」
「それ本当に知り合いなの…?」

ああいけない、いつもの調子で秋ちゃんを困らせてしまった。女の子は笑顔が一番可愛いと言うのに、なんたる不覚…!本当にかたじけない。

私は昨日買ってきた物がどっさりと入ったビニール袋を顔の辺りまで持ち上げて、秋ちゃんに「持ってきたよ」と伝えると、秋ちゃんは苦笑いをしながら「次は気をつけてね?」と言った。にんまりと笑顔を作って、人差し指と親指で丸を作ってみる。そんな軽いオッケーサインを出して、荷物を部室へ運ぶべくそそくさと足を動かした。

「あれ、土門じゃん。練習参加しないの?」
「っ!?」

ガラリと部室の扉を開けるとそこには棚を覗き込む土門がいて、私が不思議に思って声を掛けるとビクリと肩を揺らして振り向いた。そ、そんなに驚く事だったかな…?何だかそんな土門に申し訳なくなって、大丈夫?と声を掛けると何事も無かったかのように「大丈夫」と返答された。

「今行く所だったんだ。…ありがとう、笹宮」

いつもの調子の良い笑顔を向けて、ひらひらと手を振ってグラウンドへ戻っていく土門の後ろ姿を見つめて、首を傾げた。

「ありがとう」とは、何に対しての言葉だったのだろうか。



部員達は完全に行き詰まっていた。今までよりも更に強い相手と戦う為には、新必殺技を身につけないといけないと結論づけた彼等はまるで漫画のように我武者羅に特訓し始めたが、新必殺技がホイホイ生み出せたら苦労はしていない。色んな必殺技を考えて行動に移してみるは良いものの、そう易々と成功させてはくれなさそうだ。ここからどう打開案を見つけられるか、マネージャーである私もずっとその事を延々と考えていた。

「司ー!!」
「おー、今日も元気だねぇ」

全力ダッシュでこちらへ来て、急ブレーキを掛けたのは言わずもがな円堂守だ。はてさて、今日は一体何があったのだろうか。

「じいちゃんの秘伝書は理事長!!!」
「そうかそうか、とりあえず落ち着こうか〜?」

目をきらきらと輝かせながら興奮気味に私に何かを伝えようとしているが、言葉が支離滅裂すぎて全く理解が出来ない。風丸か秋ちゃんなら翻訳出来そうだが、残念ながら近くにその二人はいなかった。親しい二人ならきっと「分かったから行くぞ」「相変わらずね、円堂君は」なんて慣れたように接するのだろうが、守のこの支離滅裂さにはどれだけ時間が経とうとも慣れることは無い。逆に慣れてしまう二人が怖いよ。私には理解出来ない。きっと別の星で生まれ育ったのだと思って頑張るしかない。ううんごめん嘘ついた頑張れない。

「と、とりあえず来てくれ!」
「え、何処に……ってちょっと!?話を聞いて〜〜!?」

ついには説明を放棄した守は私の腕をがっしりと掴んで離さないように、行きと同じ速度で走り始めた。やめてくれ説明を放棄しないでくれ守!私の話なんて聞く耳を持たず走って行く円堂に、もう何を言っても通じないという事だけは理解出来た瞬間だった。



「あー……つまり、守のおじいちゃんの必殺技ノートが理事長室にあるって事だったのね」
「さっき説明したじゃないか!」
「お前はあれで理解しろと?鬼畜なのか?」

ゴツンと一発頭に拳骨を落としてやろうかとも考えたが、流石に理事長室の前だ。あまり目に余る行動はしたくない。いくら私だってそれくらいの常識はあるさ。だから理事長室から離れたら拳骨を落とす事にしよう。うん、私、ナイスアイデア!

しかし理事長室の前に来たはいいものの、守達は小声だし、主要マネージャーの秋がいない事に疑問を抱く。……え、マジでコイツら何しようとしてるの?確かに中学生男子だし、お年頃だし、青春して悪さしたいのは女の私でも分かるが……え、何をしようとしているの?と、私の心の声が聞こえたかのように「それはな!」と守が興奮気味に話し始める。

「理事長室に侵入して秘伝書を探すんだ!」
「オイオイがっつり侵入とか言ってんじゃないぞ!?それに秋いないのになんで私だけマネージャー呼ばれたの!?」
「そうだった……司、マネージャーだったな」
「え、何私選手だと思われてたの?マネージャーなら引き受けるって言ったの覚えてないの?一歩進んだら忘れちゃうの?」

コノヤロウ守!!と叫びたい気分だが、そう、ここは理事長室の前だ。自重しろ司。お前は強い子キレ無い子。サッカー部マネージャーを引き受けた時点で私の平穏ライフはもう失われたも同然だけど、理事長に目を付けられるようなマネだけはしたくない。

すると部員達が一斉に扉の前へ集結し、一斉に理事長室へ入ろうとすると、つっかえて全員地面にどしゃりと倒れ込んでしまった。取り残された私と土門は顔を見合わせてやれやれ、と呆れ顔をして理事長室へ入っていく。いつの間にか守達は大きな金庫の前に立っていて、こればかりはコイツら何やってんだ選手権で一位になれると確信した。守は「よし、任せろ」とか言って金庫のダイヤルをゆっくり回し始めるし、周りの部員は何も言わないしで、この状況こそカオスと言うのだろう。どうにか土門に助けを求める視線を送っても、本人は「いいんじゃね?」という顔でヘラリと笑うだけだ。ああもう、どうなっても知らないぞサッカー部……。

カチャ、と軽い音が鳴ったそうで、一生懸命金庫を開けようとするがその重そうな扉はびくともしない。そんな守に「何が任せろだよ!」「見つかったらどうすんだよ!」と責める風丸と染岡だが、その前に止めて欲しかった。私は知っている。さっきから後ろに生徒会長が待ち構えていることを!

「とっくに見つかってるんだけど?」
「っ!?」

凜とした声でこちらへ話しかける夏未お嬢は、いつもと変わらない堂々とした様子でじっと守達を見ていた。そんな視線にぎくりと身体を固まらせた部員達は「えっと…その…」と言い訳を考え始める。

「れ、練習だよ!」
「そう!敵に見つからないようにする練習なんだ!」
「待て待て流石に無理がムッ!?」

コイツ!守&風丸め!容赦なく口を押えやがって!

そんなやりとりなんかは目もくれず、夏未お嬢ははぁ、と溜息をついて、ボロボロで使い古されたような一冊のノートを取り出した。守はそんなノートに目を輝かせ、「じいちゃんの秘伝書!」と言って犬のように飛びついた。夏未お嬢は呆れ顔で守を見て話を続ける。

「でも意味ないわよ」
「何で!」
「読めないもの」

それはどういう意味なのだろうか?そんな疑問は、単純にノートを見るだけで解決してしまった。そう、率直に言うと、守のおじいちゃんは死ぬほど字が汚かったのである。……うん、こりゃあ普通は読めないわ。

……と、思っていたら、何故か守がスラスラと読み出したのだ。それは部室に帰ってからの事で、守が「ゴッドハンドの極意だって!」と叫んだ時にはずっこけそうになったくらいだ。まさかあの字を読めるなんて……やっぱこういうのって血の繋がりが関係あったりするのかな?まあ円堂曰く、前からおじいちゃんの特訓ノートを読んでいたらしく、それでこのノートも読めたらしい。それに最初は読めなかったとの事だ。え、これって練習すれば読めるようになるの?必殺技を練習するよりも前に字の解読を頑張らないといけないの?

「……秋んとこ行こ」

こりゃ無理だよ。このままここに居たら頭が痛くなりそうだから、そうなる前に秋という天使の元へ移動しよう。守に移動したことがバレないように、ここでこそ忍び足に全力投球してどうにかこの場所から脱出した。ドッと疲れた一日だった。
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