Last Record02
「……」
「まってまって、お姉ちゃんを無視しないで〜!」
不本意ながらも師匠たちのお使いを頼まれた俺は、北の国のとある森の奥まで箒で移動をしていた。雪が深く降り積もった地面にふわりと降り立つと、大樹の側になにやら人影が見えたのだ。そう、お察しの通り、この姉ヅラした姉弟子が全身血塗れで幹に寄り掛かっていた。俺が彼女に気づいた時にはもう遅かった。名前は俺の姿を見るなりにっこりと笑顔を浮かべて、ぶんぶんと大きく手を振ってくるから、正直知らないふりをしようと思ったものだ。
「あのさあ、死ぬの好きなの?」
「そんな悪趣味な! 好きな訳ないでしょう。ただ今回はたまたま死にそうになっただけで、こうして間一髪助かったしフィガロにも会えたからむしろ幸運だよ」
「えぇ……? なに……? 名前おまえ、この状況を幸運だなんて言うとか頭おかしいんじゃないの……?」
俺は仕方なく名前に手を差し伸べると、ありがとう、流石フィガロは優しいね。なんて言って俺の手を素直に取って立ち上がった。そうして名前は慣れたように呪文を唱えて身体中についた血を魔法で消し、ぼろぼろになった外套を再び身に付けて箒を出した。
「で、フィガロはなんでこんな所に?」
「師匠たちにお使いを頼まれたんだよ」
「ああ、良いように使われてるね」
「……おまえ、性格悪いって言われない?」
「そればっかりはフィガロには言われたくなかったなあ」
以前双子にも言われたことがあったが、俺と名前はよく似ている……らしい。自分ではそうは思わないしよりにもよって名前と似ているだなんて思いたくもないが、こうも他人から言われ続けていると段々そう思えてきてしまってとても嫌になる。
「おまえのその不注意はどうにかならない訳? まず俺が双子の弟子になってからおまえが死にかけたの何回目?」
「え〜と……もう三千回は行くんじゃない?」
「なんで数えてるんだよ……」
自分が死にかけた回数をこと細かく数えるくらい暇なのか、この魔女は。まず三千回も死にかけるなんてこと魔法使いでもそうそうないだろう。希少がすぎる。『三千回死にかけた魔女』として全国的に有名になっても可笑しくない数だ。全くもってくだらない。
そもそもこの魔女が死にかけるなんてこと自体が異常なのだ。俺が双子の元へ弟子入りした時、既に俺より力が勝っており、幼いながらも北の魔女として名を馳せていたし双子の弟子としても非常に優秀だった。だからこそそんじょそこらの奴に負けるはずがないし、死にかけるなんて以ての外だ。なのに名前は、いつもいつも一人でふらっと出かけたと思えば全く帰って来ず森の奥で血だらけになって倒れていたり、ちゃんと帰ってきたと思えば全身ボロボロだったりと、外見から強さを微塵も感じることの出来ないくらい怪我の絶えない奴だった。
「まあまあ怒らないでよ、フィガロ。つまるところ三千回も命拾いしたんだろう? むしろラッキーだと思うけどね」
「三千回も死にかけた事がおかしいって言ってるの、分からない?」
名前は何故か憐れみを混ぜたような笑みで俺の背中をぽんぽん、と二回叩いてきた。何様だこの姉弟子は。
言葉で表すならば、『げんなり』だ。この三千回を擦り続けても名前はおかしい事だと認識しないだろうし、気にするだけ無駄だろう。俺が無駄に体力を使うだけだ。
もういいよ、なんて呟いて双子に頼まれたお使いを果たそうと足を進めると、後ろで名前が「あ」と声を漏らした。
「もしかしてお使いって、コレ?」
そう言ってぱちんと指を鳴らした名前の手元には、彼女の手から余るくらいの大きさのマナ石が握られていた。俺が思わず目を見開くと、名前は満足そうににこりと笑う。
「この山を抜けた先の、魔法使いの石?」
「そう。いや私も少し用があってね。薬草とか色々かっさらって……少しだけ譲ってもらったんだよ」
「石にしといてよく言うね。図々しさは北の国一じゃない?」
「も〜、そこまで言うならフィガロも石にしちゃうぞ!」
なーんて、冗談冗談! と明るく笑ってはいるが、俺にはとてもじゃないが冗談には聞こえなかった。俺は、この魔女が冗談抜きで強いことを知っているから。あれから双子の弟子となった、莫大な魔力を持っているオズでさえ未だ彼女に勝てたことはない。まあ、オズは弟子になったばかりでまだまだ未熟だから仕方ないのだが。
名前は惜しむことなく持っていたマナ石を俺に渡したから、本当に目的はマナ石ではないのだろう。しかし名前は生粋の北の魔女であるというのに、こんなに質の高いマナ石を欲しがらないなんて少し不思議だ。北の魔法使いは誰だってマナ石を目の前にすれば何としてでも手に入れようとするのに、彼女は俺と出会って一度もマナ石を欲することも、自らマナ石を取りに行こうともしなかった。それも「気分じゃないからフィガロにあげるよ」なんて言うのだ。こんな調子で生きてきて、よくここまで強い魔女になれたものだ。全くもって不思議でならない。
「それで、他に用事は?」
「無いけど」
「じゃ、帰ろうか」
名前は慣れたように自分の箒を出して柄の部分にそっと腰掛けると、ふわりと浮いて足が地面から離れる。どうせここで「一人で帰る」と言ったって、「弟を家まで送るのがお姉ちゃんの役目だよ」だなんだと理由を付けて一緒に帰ろうとするのだろう。まあ、たまには素直に従ってみるとするか。はあ、と小さくため息をついて俺も同じように箒を出して跨ると、自分から言ってきたくせに名前は少しだけ目を見開いてみせる。なに、と文句を言えば、幸せそうに目を細めて「なんでもないよ」と笑うものだから、これからどう文句を続けてやろうかと考えていた脳みそが思考を停止してしまって、何も返せず誤魔化すように箒を浮かせた。
本当に、こいつのこういうところが嫌いなんだ。どんなに俺が何を言ったって傷つく様子もなくへらへらと笑って済ますのに、こうしてたまに名前の言うことを聞いてやると、まるでこれ以上ないくらいに嬉しいのだと言わんばかりの、普段浮かべないような優しい笑みを浮かべるのだ。そんな名前の笑顔を見ると、柄にもなく気が緩んでしまうから。まるで、名前に気を許しているような感覚に陥ってしまうから。まっすぐ俺に愛を与える名前はどこか眩しくて、遠い存在に思えてならないから。だから、嫌なんだよ。おまえと一緒にいるっていうのは。
いつもひどく降っている真っ白な雪は止んでおり、箒でゆっくりと進むにつれて穏やかな冷たい風が頬を撫でつける。名前の長い髪の毛が風でふわふわと揺れる様をぼんやりと見つめていると、名前はこちらを振り向くこともせずに口を開いた。
「死にかけても、こうしてフィガロが迎えにきてくれるなら、きっと私が死ぬことはないんだろうねえ」
何を思ってそんなことを言ったのかは分からない。否、どうせこの言葉に深い意味はないのだ。ただ、本当にそう思ったから口にしたのだろう。そういう生き物なのだ、名前という魔女は。
「弟に頼りっきりなんて、随分と頼りない姉だね」
嫌味のつもりで言った言葉も、「あはは、確かにねえ」なんて言って笑い飛ばされてしまうのだから、俺の考えが、感情が、いつまで経っても伝わらないのは当然なのかもしれないな。