出会って間もない頃、自分と同調した小さな体躯のドライバーに問うたことがあった。
 問い掛けに対してドライバーは真っ直ぐな瞳で此方を見ながら「怖い」と答える。それからすぐに笑い、場を和ませようと努める様を見て滑稽だと心中で蔑み、同時に馴染み過ぎていると印象付かせた。
 それでも一瞬。本当に僅かな間であったが、彼女の瞳の奥が揺らいでいたのを見逃さなかった。
 あの光景が呪いのように頭から離れることはない。彼女が視界に入る度、引っ掛かりさえ覚えれば面倒を嫌う己が面倒を担おうとするという矛盾した行動を取るようになってしまった。
 ――何故、あの一瞬を余は見てしまったのか。
 答えを求めても導き出せない。そもそも答えが存在するのか。仮に存在しても、ブレイドという人とは異なる限られた時を持つ身で一体何が成せるというのだ。
 彼女のことを、己のことを考えるだけで首もとのクリスタルが締め付けられるような感覚に襲われるのは一度や二度だけでは無かった。


***


 待ち合わせ場所を細かに決めるようなことはしない。今回は王都の中という比較的探索しやすいものだけれど、特定しやすいものに限定してしまうことだけは自ら拒んだ。
 探してやっと話せるということに楽しみを見出だしたいから、と以前理由を尋ねられてそのように答えたけれど"お主らしい"と返されたのを覚えている。呆れたように、でも表情はどこか納得している風だった。
 あの人は長身であることは勿論、他に類を見ない容貌が何よりも特徴だと言える。ターバンに王冠なんていう"いかにも"な風体は、少なくとも私の認識の中では歴史を綴った書にも、絵本にも覚えがなく彼しか存在しないと断言してもいい。
 端から見ると、そんな容姿の者が憩いとする場で焼き菓子をお供にテーブルに文献を積み重ねて読み耽っている様はなんと不思議な光景だろう。
「アナタが甘いもの食べてるなんて珍しいわね」
 声を掛けられて漸くこちらの存在に気付いたらしい。彼は僅かに顔を向けるも、すぐに書物に綴られた文字列へ視線を戻す。
「ただの気分転換よ」
「気分で甘いもの食べるって贅沢じゃない」
 言いながら反対の席に腰を下ろし、持参した書籍をテーブルの上に積み上げる。何が贅沢なのか、と表情で語るクビラを見てるとまだまだ女心を理解していないのかもしれないと察した。
「女の子はね、甘いものが好きな子ほど食べ過ぎないようにって気にしちゃうものなのよ」
「女は何故そのような矛盾なものを抱くのだ?」
「えぇっと…、自分のドライバー見ててわからない?」
「うむ…少なくとも余が見ている限り、アレが食事の際にそのような態度を見掛けたことは一度もないが」
 彼に言われてから想像して間もなくあぁ、確かにと失礼ながら納得してしまった。
 自分のドライバーであるメレフは並の人間より肌が弱い質ゆえに、普段から食事含めた生活習慣まで気を掛けている。むしろそれが日常的なものだから忘れがちだけれど、彼のドライバーはまだ子供でマンイーターなのだ。
 いや、それ以前にニアは多分まだ彼の前でそういうことを気に掛けるという段階に達していない。ある意味、自然体のまま接しているその姿がニアの良いところだとも思う――が、何しろこの自称王様は乙女心のおの字も理解していない可能性があるためやや真逆の効果を招いているような気がする。要するに、双方にとって劇的な刺激が足りないのかもしれない。
 相性はいいはずなのに微妙にすれ違っている気がして、見ている側からするとなんとも妙な心地である。
「最近…アレのことで話を振られることが増えて正直、余は困惑しているのだ」
「え、どんな?」
 彼の性格からして興味の無さそうな話題だと予想し、とっとと本題に入るのかと思いきや別の方向へ話が向かい始めたと直感して思わず興味から身を乗り出してしまった。
 こちらの態度に対してあからさまに嫌そうな反応を見せる。とは言え、まさかクビラのげんなりとした顔を拝める日がくるとは。本人には悪いけれど、メレフやカグツチと話が弾みそうなネタである。勿論、この場では黙っておくけれど。
「…メノウはこういった話題には関心を示さぬものと思っていた」
「だって気になるじゃない。アナタが相手を困惑させるのはともかく、アナタがそういうことで困ってるのってかなり貴重なんだもの」
 談話に夢中で気配を感じていない間に、ルクスリア唯一のスイーツ店「パティスリー・プラクース」の店主らしき人物がこちらに駆け寄ってメニューを渡してきてくれた。
 メニューの中からそれとなくクビラが食しているものがスノウレアチーズケーキだとわかった。同じものを注文しようかとも思ったものの、意外と値が張っているを知ると彼のものより少し値段の安いゆきどけミルフィーユを店主に伝えると気さくに笑って店へと戻っていく。
 メニューとスイーツに視線が奪われている間に彼はこちらが持参した文献に目を通し始めている。どれも古い文字で書かれたものばかりで相応の知識が必要だが、くビラにとっては朝飯前なんだろう。
「……ムスビに言われたのだ」
 ページを捲ってから、彼は言葉を続けた。視線は文字から宙へ、そしてこちらへ到達する。今彼が目を通している文献は、商人から借りたタイトルすら掠れて読めない古いものだ。
「周りが見えなくなるほど、余はアレを好いていると」
「あのムスビが言うなんて、アナタよほどわかりやすいのね。それの何が不満なの?」
「…不満はない、が…」
 ――否定も不満も、一応無いのね。
 想像していたよりも直球で見逃しそうだけど、ストレートすぎて危うく彼のペースに飲まれそうになる。彼の、王としての器とも言うべきだろうか。これを無意識にやることから非常に"らしい"と評してもいいような気がした。
 ややあって重く開いた口は、形を成していくのに随分時間を要したような感覚に襲われる。元々、早口の類ではないけれど今回は体感的に遅いと感じるくらいだ。
「……余の、アレに対する想いは利己的である。故に、好いてるとは異なるものだと思っている」
 ――臆病なのか、この王様は。それとも単に相手や自分の気持ちに鈍感なだけなのだろうか。目敏い部分があるのにも関わらず、どうして要らぬところで謙虚になってしまってるんだろう。
 メノウの中で混乱が生じる。こんな時でもクビラは至って真顔で、どういう心境で語っているのかわかりかねる。彼を何を思って言葉を発したのか理解し、彼とここにはいない彼女の為に答えるには材料が不足していると感じた。
「アナタの言う利己的って何なの。口振りからして、自分が王だからどうこうっていうものとは違うと捉えることができるけど」
「……」
 黙すること自体が稀である彼がこんな状態になるとは誰が想像できるだろう。表情だけでは窺い知れないが、目は誤魔化し利かないことがはっきりとわかる。彼は嘘を吐かないし、恐らく吐けない性分だ。
 言葉に出したくないことは黙りか、素直に言えないと白状するか、話を切り替えるかのいずれかの行動へ移すのかもしれない。何より、クビラから発せられている強い拒絶のようなものを感じ取れてしまうこの状況で私が打破するのは到底不可能だ。
(考えていたよりも、ずっと思い詰めてるみたい)
 彼にしてはあまりにも早急すぎる、そんな考え方は後先を考えると悲しい結果になってしまう。彼女に対する想いは本物で、だからこそ協力を求められた時は嬉しく思ったのだから。
 クビラは知らない。己が思っている以上にドライバーから信頼され、期待されていることを。周囲が見て取れることを本人が気付いていないのだ。
(これは、骨が折れそうね…)
 自分だけでは到底無理だろう。協力者が必要となるなら、メレフとカグツチに相談を持ち掛けてもいいかもしれない。彼女ならばクビラの扱いにも長けているし、カグツチは色恋に疎い彼女をフォローしてくれる。冷静に事を運ぶなら、まずはこの二人からにしよう。
 注文したゆきどけミルフィーユを運んできた店主の姿が現れると、途端に張り詰めていた空気が緩和したのを見計らってメノウは本題へ入っていった。
 彼と、彼のドライバーが寄り添う未来を想像しながら。


***


(長時間読んでると眠くなってくるな…)
 すっかり流行り病も完治し、住民も快復する者が増えて活気づいてきた中でニアは図書館に籠っていた。
 クビラ自らルクスリアの図書館で選出した書籍を一冊ずつ目を通してはまた一冊、また一冊と繰り返し。そんな作業を実に3時間ぶっ通して行っていたことが壁に掛けられたアンティーク調の時計が示していた。
 ビャッコにも手伝ってもらってはいるものの、量がある。数に攻められては圧倒的に不利だ――なんて戦術のように語るくらいには少し疲れが出ているかもしれない。
 クビラに一度報告してから休もう。ビャッコも流石に疲れているだろうしこれには賛同してくれるに違いない。そう思って読み掛けの書籍を脇に抱えて背の高い本棚から離れ、住民の邪魔にならぬようにという配慮から一人(一匹とも言う)窓際で黙々と本を読み耽っているビャッコに声を掛けた。
「お疲れさん、ビャッコ。そろそろクビラのところへ行こうと思うけどビャッコはどうする?」
「お嬢様もお疲れ様です。私は……もう少しここにいますのでどうぞ先にクビラ様のところへ行ってはどうでしょう」
 てっきり一緒に来るのかと思っていただけにニアは拍子抜けして目を丸くする。なんだか、はっきりはしないがビャッコらしくない気がする。所謂、プロミネンスに違和感を覚えるのは気のせいだろうか。
 至って表情は生真面目でいつもと変わらない。まだ余裕が見えるということは、隠し通せる自信があるということかもしれない。
 ふと、悪どい企みがニアの中で生まれてしまった。こうなっては自分でも止めることはできない。
 正直何を考えているのかはまったく見当がついていないが一か八か、適当なワードを選んでカマをかけることにした。
「実はクビラと二人で会うのは恥ずかしいからさ、一緒に来て欲しいんだよ」
「え。クビラ様と会うのが恥ずかしい…ですか?」
 少し驚きを含んだ反応を見せた。ついでに、最初に出てきたクビラという言葉がプロミネンスとなっていることもわかったわけだけど、これが一体何に繋がっているのかは探り当てていくしかない。カマをかけて。
「うん。あの、さ……前にクビラにさ…」
 敢えて間を置いてみる。真剣なビャッコの眼差しが刺さるけど、罪悪感は一切ない。ごめん、ビャッコ。
「…正室に迎えてやろうかって言われて、まだ返事してなくて…」
「なんと…!いつの間にそのようなご関係に…!私の見立てではお嬢様とクビラ様はてっきりまだ…」
「……へえ。まだ、なに。その先は何かなぁ、ビャッコ。アタシとクビラが、なんだって?」
 目の前の大きな虎の顔が一気に青ざめる瞬間を目にして確信する。これは所謂、爺のお節介みたいなものだと。顔を引っ掻いて傷だらけにしてやろうかと思ったものの、すぐに「すみませんお嬢様…!」なんて言って頭を下げてぷるぷる震えるものだからそんな気は海の底へ沈んでいった。
 それから先にクビラの元へ向かってもらうのに説得という名の励ましだけで随分かかった。せめて見送ってやったものの、なんとなくビャッコの背中に哀愁が漂っていてカマかけたことを少し後悔した。


 ただ少しだけ、ほんの少し胸が痛くなったのをビャッコには黙っておくことにした。
 ビャッコは楽園を目指す旅の最中、レックスに向けていた好意に気付いていただろう。自分のブレイドだからとかそんな理由ではなく、言わずともわかってしまうほど長く一緒にいるのだから。
 そんなビャッコに気遣わせてしまうのが心苦しいし、余計なお世話だと感じてしまう自分も嫌だ。
 これはわがままなのかもしれないけれど、クビラを意識していることを他の誰かにではなく自分か彼のどちらかをきっかけにしたかった。
 こんな気持ちでクビラと顔を合わせれば、勘の鋭い彼なら何があったのだと尋ねるだろう。そう思うと途端に体が押し潰されそうなくらい重くなって、動くことが辛くなった。
 夕暮れ時だったのにとっぷりと陽が沈んだ頃になって漸く図書館から出ることができた。


***


「随分遅くまで籠っていたではないか」
 メノウが去ってから大凡5時間、ビャッコが報告に来てから2時間ほど経過してニアは姿を見せた。
 ルクスリア王都は夜間になると都全体が薄暗く、昼間以上に静けさに包まれ人の姿も減っていく。相手が誰かは視認できる程度の明るさは維持されているが、余程至近距離にならない限り細かな表情の変化まではわからない。
「あれだけあるとそりゃあ時間もかかっちゃうよ」
 言いながらニアはクビラの向かいに腰掛ける。そこは数時間前、メノウが居座っていた場所でもあった。視線は目の前のドライバーに注がれ、声色に特段変化が見当たらないのを察すると先の結果に納得する。
 これが初めてと言うわけではない。それでも、少しばかりは残念だという気持ちに浸ってしまうのは期待を幾ばくかしているからだ。
「…その様子では収穫は無いようだな」
「うん。残念ながら…」
「うむ、仕方があるまい。今日もご苦労であった、ニア」
 その言い方はちょっと腹立つけど、と小言を洩らしながら彼女が頬杖を着いてからは沈黙が続いた。
 物思いにでも耽っているようで視線は宙を漂い、彼女の目からあまり力を感じ取れない。疲れたから何か食べる、とでも言うものだと予想していただけに少々呆気に取られたクビラはビャッコと先刻のやり取りを思い返す。
 男のことにはあまり関心を向けることはないが、彼の声のトーンが普段よりやや低い印象があったことは記憶している。ビャッコの様子に異変があるときは大抵ニアのことで、今回もそれに当て嵌まるのかもしれないとごく自然な成り行きでそう結論が付く。
「…そういえば、メノウからお主に贈り物がある」
「……え、メノウ?」
 最近交流の無かった仲間の名を聞いてニアは素っ頓狂な声を上げる。我ながらなかなか酷いタイミングで話を切り替えたものだと思うが、あの状態が続くと最早見計らうこと自体が困難であるのだから強行突破しかないと踏んだ。
「――ああ、メノウにも探してもらってるんだっけ。それで会ったんだね。来たんならアタシも話したかったなぁ」
 元々メノウと交流があることをニアは知り得ている為、説明は非常に簡素なものであるがそれだけで納得した様子である。再会できなかったことが心底残念なのか、溜め息混じりに「今度は会わせてね」と強引に約束を持ち掛けられてしまった。
 メノウが去る際、「これニアに渡しておいて」の一言とともに包装された小箱を押し付けられたのが贈り物とやらだ。故にクビラも中身は聞かされておらず、悔しいが少しばかり興味を抱いていたりもする。
「それにしても贈り物かぁ……なんだろ、何かあったかな」
 小箱を受け取った本人も身に覚えがないらしい。サイズから推測するに、少なくとも食べるものや彼女の好む木彫りの類ではない。あの生真面目でしっかり者と評される彼女のことだ、悪戯でもないとなると極めてシンプルな答えに行き着く。
 包装を出来るだけ綺麗に保とうとしているのか手つきがやけに辿々しい。不慣れな人間が紐を解くだけでこうも面白いものなのかと思わず見入ってしまったが、少々皺を作ってしまったものの無事に終えることができたようだった。
 蓋を開けてからすぐにあ、という声に思い当たるものがあったらしい。
「これ……"メノウ"のペンダント」
 箱から取り出して見せてきたものは型に鉱石を嵌め込んだペンダントである。この嵌め込まれたものこそが、かつて仲間とともにメノウが発見した"メノウ"という名の鉱石であるのはクビラにもわかった。
 彼女がメノウと名付けた日に、わざわざ報告に来た時の様子が頭に過る。次に新しい鉱石を見つけたらメレフナイトって名前にするの、と楽しそうに話していたことが昨日のように感じられる、なんとも不思議な気分だ。
「なんでアタシにこれを渡してきたんだろ」
「特にそのようなことは聞いていない。渡せ、とだけ言って去っていったのだからな」
「うーん……」
 暫くの間、ニアは唸りながらペンダントを訝しげに眺め、「まぁ今度会ったら聞けばいっか!」と普段の調子に戻ると一旦己の中で解決させることにしたようである。
 クビラの中でニアが求めている答えがすぐに導き出ていたものの、敢えて黙りを決め込んだ。


***


「ねえ、クビラ。頼みがあるんだけどさ」
「うむ。では…余が、仕方なく、不器用なドライバーの為にやってやるからこちらへ来い」
「まだ何にも言ってないんですけど?!」
「あんな芸を見せておいてわからぬ方が愚かというものよ」
 芸というのはもしかしなくてもさっき苦戦していた包装の件に違いない。何故わざわざ腹が立つ言い回しをするのか、と思うのもこれで何度目かわからなくなる。やめよう。今は大人しくしておいた方がいい。
 クビラに手招きされるまま席から立ち上がり、彼と距離を縮める。せめてもの威嚇、とまではいかないもののずいっとペンダントを差し出せば人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて受け取った。
 せっかく贈ってくれたのだから身に着けたいのは自然である。だが、どうしても不器用な自分には自分でペンダントを着けられる気がしなかった。何しろ、包装を解く行動が芸と評価されるのだから。
 薬を調合することに関しては器用さを発揮できるのに、残念ながらこの手のことでは逆効果だ。それは認めざるを得ない。
 それにしても、近い。距離が、というよりは顔が。この前の時よりもとても近い気がするのは目線の高さが今は同じくらいだからか。
「…………」
「…どうした」
「な……なんでもない」
 どうやらじっと見つめていたらしい。慌てて視線を逸らすと、首に彼の腕が回るのを感じ取れた。
 それになんだろう、香りがするんだ。以前はよくわからなかったのに、今日は香りがはっきりとわかる。これは男の人の香りなんだろうか。それとも、クビラ自身の香りなんだろうか。こういうのを意識していると人は言うのかな。
 自分と体格差を覚えるには充分な距離。これほど大きな手で、留め具を視界に入れることなく器用にこなしてしまうのかと思うとそれはそれで少しショックでもあった。
 首の後ろでカチッという金具の音が鳴ると急に首回りの圧迫感が消え失せる。少しだけ残念だと思ってしまったのはなんでかわからない。視線をやや下げて首もとを見てみれば胸元にペンダントが下げられており、薄暗い中でも"メノウ"は美しく輝きを放っていた。
「ありがとう、クビラ」
「………」
「……なに、どうしたの…?」
 唐突に、いやに彼の視線が突き刺さる感覚を覚えた。
 さっきの空気はどこへ行ったのか。せめて愛想笑いを浮かべて和ませようにも、口から出てくるのは引きつった笑いですぐに唇をきつく結ぶ他無かった。
 いつだって彼の目はとても強い力を持っている。アザミの千里邪眼だとかそういう類とは異なるけど、実際に自分が怯んでしまっているからその力の証明くらいにはなり得てしまうわけで。
「…怖いか、ニア」
「……」
 自分でもわかるくらい血の気が引いていくのを感じる。喉に何かが引っ掛かったみたいに言葉がまるで出てこない。
「余に見透かされるのが怖いか。それとも」
 駄目だ、それ以上は聞いていたくない。耳を塞いでしまいたい、目を背けて走り出して逃げたいのに彼の視線から逃れることができない。
「明日死ぬ可能性が否定できぬことが怖いのではないか」
「っ……」
 変わったんだ、少なくとも自分の中では変わったと信じているのに。いざ彼に突き付けられると、今まで向き合わなかったツケが返ってくるように恐怖が一気に襲い掛かってきて返事をするどころではない。
「無理をするでないと散々言っているのに…何故自ら傷を増やしてしまうのだろうな。お主という女は」
 悪態を吐きつつも相手の引き寄せる力は弱く、幼子をあやすみたいに優しく抱擁をされた。
 抗う気は起きない。暴かれている以上、深く考えることもしたくなかった。むしろされるがままで、大人しく体を寄せれば背中を撫でる彼の手に安堵してしまう。
 結局、彼に見透かされるのもいつ死ぬかわからないことも怖くて仕方がないんだ。
 自分が消滅して、彼との、仲間との思い出も消えてしまうことに怯えながら日々を過ごしているアタシは本当に自由に生きていると言えるのかな。
 また自分を縛っていると自覚はしていても、この恐怖は必ず押し寄せてくる。
「クビラが苦手なものを克服したように、アタシにもこの恐怖を克服できる日はくるのかな」
「余がニアの傍らにいるのだぞ。当然ではないか」
 いつもの少し腹の立つ言い方で彼なりの励ましの言葉を聞いて、またちょっと重いものが軽くなった気がした。


 ――余は、克服よりもお主が消滅しないことを望んでいるのだがな。
 彼の発せられた言葉は彼女へ届けるほどの意志も無く、ただ宙へ静かに消えていった。



end

 


ALICE+