泥沼の如く留まる思考と惰性(ジョニーとキャサリン)

 人間に期待したことなんてない。人間の男を誘惑する仕事をしていればそれなりに情が湧くこともあるけれど、深入りしたりしないしすぐに忘れる。
 本当に、バカ。愚かなくせに綺麗事並べたりして真実の愛とか語っちゃう生き物。煩悩にまみれた人生望んでるくせに自分で縛るとか矛盾の塊すぎて気持ちが悪い。
「結婚してから後悔したって遅いんだから」
「なんだそれ。あいつへの妬み?」
 カウンター席で店長に向けて八つ当たりとも呼べるほど愚痴を延々と溢していたら、隣の男は淡々とした口調で日本酒を嗜みながら失礼と称して違わぬ問いを投げ掛けてきた。
 そんなわけないでしょ、って返せばへぇって軽くあしらわれるだけでそれ以上会話の進展が望めない。多分、今のアタシじゃ同じやり取り繰り返すから素直に口を閉じた。
 ヴィンセントと初めて接触した頃、優柔不断で人に対して強く言えないだらしない奴とか思ってたけど、別れを宣告された恋人に自分から結婚を申し込んで今じゃめでたく夫婦。人間の人生、どう転がるかなんてわかんないし関心もなかったけどちょっと気分が悪い。
 なんでこんなに不機嫌なのか、気が重くなる一方なのか自分じゃわからない。だから仕事終わりにこうしてお酒飲みまくってるわけだけど。
「悪魔も淋しく思うんだな」
「はぁ? 誰が?!」
「キャサリン」
 キザッぽく名前呼んでくれちゃって。あなたの親友の妻も同じ名前でしょうが。
 同情するくらいなら関わらなければいいのに。
 仕返しをしたいって思ったところで、マスターがヴィンセントとの賭けに負けちゃったからアタシはこの男に“そういう意味”で手が出せないし。
 ヴィンセントを弄ることができないのって、意外とつまんない。
 悪魔でああいう男、いないもの。
 アタシを選ぶ可能性なんて微塵もなかったかもしれないけど、そういう夢を見ながら愚痴ってお酒飲むことくらいは許してくれるよね。


「話し相手ならいつでもなってやるよ」
「ちょっと何様…っていうか、いつものメンバーは?」
「結婚したのが二人もいると誘いにくいだろ」
「あぁー…ハブられ組なわけ…」
「淫魔に言われても痛くも痒くもない」
「せめて夜魔って言いなさいよ!」


end



帝都の花に陰る密やかな、(ライドウ×伽耶)

 一時の平穏が訪れてから伽耶さんと登下校を共にする機会が増え、同年代との会話が不慣れな自分にとっては貴重かつ新しい発見ばかりで実に充実していると言える。
 彼女は高嶺の花と呼ばれている存在。対して自分は寡黙で探偵の見習いという謎に満ちている。そんな二人が親しくしていれば噂はあっと言う間に広まり、あらぬ関係性を疑われるのも時間の問題。否、既に過ぎた話なのかもしれないが。
「ライドウさんが上の空だなんて。初めて目にしました」
「…すみません、伽耶さん。どれくらい自分はぼーっとしていましたか?」
「そうですね…ほんの少し。数分ですよ」
 ――でもいいんです、稀少なライドウさんを見ることができましたから。
 そう答えながら伽耶さんは優しく微笑む。その言動がどういう意味を成し、感情を抱いているか今の自分には到底理解が追い付かない。
 それがわかったら、一般の学生にまた一歩近付けるのだろうか。出来るなら、そう願いたいと自分は思った。


「ライドウさん。甘いもの、食べませんか?」
「時間の都合はよろしいんですか」
「ええ、大丈夫です。少し帰るのが遅くなると伝えてありますから」
「では、自分が奢りますので遠慮なさらず」
「ありがとうございます」
「それにしても伽耶さん、策士ですね」
「いえ、それほどでも」


end



自分の存在意義が気になるお年頃でございまして(勇と千晶)

「なぁ、聞きたいことがあるんだけど」
「なに? わからないところでもあった?」
「そうじゃないけどさ」
「……は?」
 怒るわよ、なんて睨みながら橘はノートに数式を綴っていた手を止める。一応話は聞いてくれるという意味が含まれてるんだろうけど、アイツとの扱いの差は普段以上に目に見えてる気がした。
 期末試験手前っていうこともあって成績優秀なこいつ――橘千晶から勉強を教えてもらうという有り難いもの、であるわけだがあくまでそれは橘と仲の良いあいつがいる前提であってオレと二人きりとなると大概気圧される。二人きりじゃなくても圧を感じることは多々あるけど。
 肝心のあいつが今この場にいない以上、一回はどうしても尋ねてみたかったことがある。
「で、聞きたいことって? くだらないこと聞いたらすぐ帰らせてもらうから」
「そんなにカッカするなよ。あいつがなかなか来ないからって」
「………」
 視線はノートに向けたまま、あからさまな殺気を放ってきたので「悪かったって」と慌てて付け足せば橘は一先ず落ち着いてくれた。ものすごく長い溜め息を吐きながら。
「オレは勉強もスポーツも得意じゃないけど、“その他大勢”にはなりたくないって気持ちがあってさ」
「……そう」
「橘は自分がエリートなのは当然って考えてるだけあって勉強できて自分の意見もはっきりしてるし、あいつはくそ真面目で甘っちゃろい奴だけどそれだけじゃなくて…人を惹かせる何かを感じるし。オレは三人の中じゃあ、周りに流されて流行にも流されて…でも虚勢張ってるみたいな。客観的に見たら“その他大勢”感がすげぇなって思ったわけ」
 橘は茶々を入れるわけでも冷たくあしらうこともせず、ただオレの方を見て真剣に耳を傾けている。橘自身、話を聞いていて思うところでもあるのか時折宙を見つめているのを見逃さなかった。
 空気が少し重い。勉強会独特のそれとは違う雰囲気が漂い始めている。我ながら申し訳ないと思いつつ、橘の答えを求めるようにオレは彼女の言葉を待った。
「新田くんは、」
 ほんの数分、のはずなのにそれが随分と長く感じた。
「新田くんを知らない人から見れば“その他大勢”よ。それは当然なんじゃないかしら」
「………え、」
 橘に慰めを求めていたわけではないけど、あの空気から最初に発する言葉とは思えないくらいにどぎついもので思わず間抜けな声が出てしまった。
 そんなことは知る由もないとばかりに橘はでもね、と続け、
「私や彼はあなたを知っているから“その他大勢”になることはないもの。大人になって会う機会が少なくなってしまっても、あなたがこうして打ち明けたことを私は忘れたりしない。だから、絶対的に“その他大勢”にはならないと保証してあげる」
 堂々と、普段の調子で橘は答える。少し口許を緩めて笑う彼女の表情は大人びたそれよりも年相応のものだと思う。
「良いこと言ってるのになんで最後は上から目線」
「私から勉強を教わる必要がなくなるまではずっとこのままかもしれないわね」


「橘、ちょっと変わったんじゃない」
「…そう? それなら嬉しいけれど…流されてるって自覚持てるほど大人になった新田くんは結構変わったってことね」
「相変わらず一言が余計すぎ…」


end

 


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