此れは夢。希んでいない路。果無いもの。亡き者が幸せな一時を過ごしている愛(かな)しい陽炎。
 怒りを刻んでいるからこそ過去に囚われていることも自覚している。故に、此の夢も最早何度目になるのか今では数えることも止めた。
 此処は妻と出会った社。そして妻が絶命した場所でもある。曇り一つ無い、澄んだ空の下で彼女と子らは楽しそうに蹴鞠をしていた。
「幸せな夢なのに、あなたはいつも悲しい顔をしてる」
 夢を渡り歩く妖が語り掛ける。其の妖――少女は夢さえ見る者であればどんな夢にでも干渉する力を持つ。此の夢にも幾度か足を運び、その都度俺に何かしら接触を図ってくるのだ。
 辺りを見回しても姿は確認出来ない。何処か木の陰か社にでも隠れているのかも知れないが、到底探す気は起きなかった。
 こんな苦しい夢からは早く解放されて目覚めてしまいたい。
「幸せに見えるのか、これが。既に現世には存在しない者たちに囲まれて俺はどう幸せを感じればいいのだろうか」
 突き放したような問い掛けには暫し間を持ってから、少女は其れに応じる。
「あの人達がとても楽しそうに過ごしているところ」
 更に少女は続けた。姿は相も変わらず現さない。
「此処はあなたの夢だから、あなたの心が反映してるの。でもあの人達は苦しい顔をしていないから…あなたはあの人達の死に囚われていないから」
 ――だから、幸せな夢。
 少女は言い終えるとひょこりと鳥居の陰からその身を乗り出す。ひらひらと頭に生えている翅が揺らし、うっすらと笑みを浮かべて此方に歩み寄ってくる。手には馴染みの楽器が見当たらないのに彼女が動く度にしゃんしゃん、と音が鳴った。
 知らぬ間に妻と子らの姿は消え失せ、雲すら無かった空は雷雨でも降りそうな曇天の兆しを見せている。心が反映されると謂うのならばこうした環境も影響するということだろうか、などと頭に過った。
「小娘が知った風なことを言ってくれる」
「あなたのこと、知らないから知った風にしか言えないの」
 目の前の少女まで晴明のように真摯に向き合って来ていれば、俺もからかっていたかもしれない。が、
「悲しいやら怒りやらより、開き直っていて呆れた」
 悪態を吐く俺に対し、「持ち前の明るさでみんなを元気にするのが好きだから」と少女は答える。以前、人気者になるだとかほざいていた記憶が微かに残っているがそれも影響しているかもしれない。
 沈んでいた気持ちは何処へ消えたのか。そんな心境とは裏腹に唐突に雨がしとしとと降り始め、瞬く間にどしゃ降りへ変化していった。
 結局は夢路。濡れたところで体の温もりが冷めることは無く、少女もまた体や翅が雨で濡っているものの平然とした様子で此方を見据えていた。
 揺蕩う視界。少女に視線を合わせようと地に膝を着き、面の下から真っ直ぐ見つめてくるその瞳を捉えるとそっと頬に手を添える。嫌がる様子は無く、何方かと言えば行動に対して怪訝そうに窺っているようだった。
「今回はお前に譲ろう。綺麗な瞳で見られていると、妙な心地になってくるからね」
「ありがとう。あなたも綺麗な瞳をしているのに」
 ――またね、狐さん。
 何処か言いたげに、然しそう告げると少女は蝶へと姿を変えて翅を羽ばたかせて姿を消していく。
 少女が見えなくなると同時に、轟音が響き空が一瞬だけ輝く。其れは妻が亡くなる時、目にした空と類似しているものだった。
 彼女とはまた出逢うだろう。現世でも、此処でも必ず。
 俺はまだ、夢路から抜け出せていないのだから。



end

 


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