ニキの働く喫茶店『シナモン』はESビルの1階にある。そのため、必然的に利用者はESの関係者が多く、客は見知った顔が大半を占めていた。
常連客に軽く挨拶をしながら仕事をしているうちに、気付けば時刻は昼を過ぎていて、店内に残る客も随分と少なくなっていた。それを見て、そろそろ休憩に入ろうとしたニキの視界の端で、珍しい客が席に着くのが見えた。ニキはそれに脱ぎかけていたエプロンを着直すと、そのまま注文を取りにいくふりしてその人物へと話しかけた。
「ちょりぃ〜っす、なまえさん!」
ニキの挨拶に、少し驚きながらも「こんにちは」と返したのは、P機関に属するプロデューサーだった。お互い同じビルで働いているため、顔を合わせる機会は多かったが、そういえば最近はあまり姿を見ていないことを思い出す。
P機関の業務内容についてはさっぱりだが、激務であることは確かなようで、ニキが人伝に聞くなまえの話はどれも忙しそうな内容ばかりであった。
「随分と遅い昼ごはんっすね〜?そういや最近忙しそうにしてましたけど、もしかしてそれのせいっすか?」
「うん、だからお昼もあんまり時間とれなくて……」
「ならご飯も手頃なものがいいっすかね、オムライスとかどうです?得意なんで、すぐ用意できますよ!」
「ありがとう、じゃあそれでお願い」
普段、あまり疲れを顔に出さない彼女が、今日はどこかやつれた顔をしていて、その代わりというわけではないが、ニキはいつもよりも明るく振る舞った。
「了解っす!」と元気よく返事をして厨房へと引っ込む。時計を見ると、ちょうど休憩の時間だったので、オムライスは自分の分も作った。一応店長にも断りを入れてから休憩に入ると、二人分のオムライスを彼女のいるテーブルへと運んだ。
「おまちどうさまっす〜」
「ありがとう……あれ、二人分?」
「あ、それは僕のっすね!実は僕もお昼まだなんで、一緒に食べていいっすか?」
「あぁ、なるほど。もちろんいいよ」
許可をもらって、ニキはなまえの正面の席についた。そして彼女のよりも一回り大きいオムライスをスプーンで掬って口いっぱいに頬張る。その調子でどんどん食べ進めるニキとは対照的に、彼女の一口は小さく、オムライスも全然減っていない様子だった。
「なまえさん、もしかして疲れてます?」
「……やっぱり分かる?」
てっきり誤魔化されると思っていたので、素直なその返しにニキは思わず面を食らった。これは、それほどなまえが疲れているということなのだろうか。
「なまえさんがそんなに疲れるなんて、P機関はよっぽど忙しいんすね〜」
これでも本気で心配しているのだが、声に出すとどうしても薄っぺらくなる。伝えきれないもどかしさを呑み込むように、ニキはまたオムライスを頬張った。
「忙しいのは確かなんだけど、それ以上にやりがいのある仕事だから」
カツン、とスプーンの先がお皿に当たる音がした。ふと顔を上げると、手を止めたなまえがスプーンを突き刺したまま、小さなそのオムライスを見つめていた。
「でも、たまに逃げたくなっちゃうんだよね」
珍しく弱気なその言葉に、ニキは迷わず声を掛ける。
「じゃあ、一緒に逃げちゃいます?」
その提案に、今度はなまえが面を食らう番だった。逃げるというと大それたことのように聞こえるが、ニキはそれをまるでピクニックにでも誘うように言ってのけたのだ。
「ニキも来るの?」
「もちろんっすよ!僕はアイドルにそこまで思い入れないし、むしろ今すぐなまえさんと逃げたいくらい!」
「ブレないなぁ……」
そうもはっきり言われると、プロデューサーの立場としては少し複雑だが、ニキなりに自分を励まそうとしているのだと解釈したなまえは、その話に乗ることにした。
「ニキがいるなら逃避行じゃなくて、グルメ旅になりそうだね」
「あ〜、それもいいっすね!」
逃避行なんて無茶な提案をしておきながら、なにも考えていないニキの能天気な声に、なまえは堪らず笑った。ニキと話していると、なんだか真面目に考えるのが馬鹿らしくなる。そんな人に感染するような愚直さが彼にはあった。
「台湾とか、ご飯おいしいらしいよ」
「聞きますよね〜、僕的にはイタリアも行きたいんすけど」
「どっちも言葉わからないけど、大丈夫かなぁ」
「なはは!逃避行なんすから、そんなの気にしなくていいじゃないっすか!」
そうやって話が盛り上がってきた頃、なまえのスマホのアラームが鳴った。その音に、なまえは「会議の時間だ」と椅子を引いて立ち上がる。お互い、オムライスはとっくに食べ切っていた。
「ありがとう、いい気晴らしになったよ」
「……いえいえ、僕の方こそ、久しぶりに話せて嬉しかったっす!」
それじゃあ、と少しやつれた顔のまま微笑んだなまえは、そのまま喫茶店を後にした。空いた食器と共に取り残されたニキは、小さくなるその後ろ姿を見送ったあと、自分も席を立った。もう仕事に戻る時間だったが、食器を片すのがなんだか名残惜しい気がした。
「フラれちゃったんすかね〜、やっぱ」
人の少なくなった店内で、その呟きを拾う者は居なかった。ニキは食器を片付けながら、先程の会話をぼんやりと思い出す。
あれで結構、本気だったりしたのだが、やはりどうやったって自分の言葉は薄っぺらく聞こえるようだと、ニキはひっそりと肩を竦めたのだ。
常連客に軽く挨拶をしながら仕事をしているうちに、気付けば時刻は昼を過ぎていて、店内に残る客も随分と少なくなっていた。それを見て、そろそろ休憩に入ろうとしたニキの視界の端で、珍しい客が席に着くのが見えた。ニキはそれに脱ぎかけていたエプロンを着直すと、そのまま注文を取りにいくふりしてその人物へと話しかけた。
「ちょりぃ〜っす、なまえさん!」
ニキの挨拶に、少し驚きながらも「こんにちは」と返したのは、P機関に属するプロデューサーだった。お互い同じビルで働いているため、顔を合わせる機会は多かったが、そういえば最近はあまり姿を見ていないことを思い出す。
P機関の業務内容についてはさっぱりだが、激務であることは確かなようで、ニキが人伝に聞くなまえの話はどれも忙しそうな内容ばかりであった。
「随分と遅い昼ごはんっすね〜?そういや最近忙しそうにしてましたけど、もしかしてそれのせいっすか?」
「うん、だからお昼もあんまり時間とれなくて……」
「ならご飯も手頃なものがいいっすかね、オムライスとかどうです?得意なんで、すぐ用意できますよ!」
「ありがとう、じゃあそれでお願い」
普段、あまり疲れを顔に出さない彼女が、今日はどこかやつれた顔をしていて、その代わりというわけではないが、ニキはいつもよりも明るく振る舞った。
「了解っす!」と元気よく返事をして厨房へと引っ込む。時計を見ると、ちょうど休憩の時間だったので、オムライスは自分の分も作った。一応店長にも断りを入れてから休憩に入ると、二人分のオムライスを彼女のいるテーブルへと運んだ。
「おまちどうさまっす〜」
「ありがとう……あれ、二人分?」
「あ、それは僕のっすね!実は僕もお昼まだなんで、一緒に食べていいっすか?」
「あぁ、なるほど。もちろんいいよ」
許可をもらって、ニキはなまえの正面の席についた。そして彼女のよりも一回り大きいオムライスをスプーンで掬って口いっぱいに頬張る。その調子でどんどん食べ進めるニキとは対照的に、彼女の一口は小さく、オムライスも全然減っていない様子だった。
「なまえさん、もしかして疲れてます?」
「……やっぱり分かる?」
てっきり誤魔化されると思っていたので、素直なその返しにニキは思わず面を食らった。これは、それほどなまえが疲れているということなのだろうか。
「なまえさんがそんなに疲れるなんて、P機関はよっぽど忙しいんすね〜」
これでも本気で心配しているのだが、声に出すとどうしても薄っぺらくなる。伝えきれないもどかしさを呑み込むように、ニキはまたオムライスを頬張った。
「忙しいのは確かなんだけど、それ以上にやりがいのある仕事だから」
カツン、とスプーンの先がお皿に当たる音がした。ふと顔を上げると、手を止めたなまえがスプーンを突き刺したまま、小さなそのオムライスを見つめていた。
「でも、たまに逃げたくなっちゃうんだよね」
珍しく弱気なその言葉に、ニキは迷わず声を掛ける。
「じゃあ、一緒に逃げちゃいます?」
その提案に、今度はなまえが面を食らう番だった。逃げるというと大それたことのように聞こえるが、ニキはそれをまるでピクニックにでも誘うように言ってのけたのだ。
「ニキも来るの?」
「もちろんっすよ!僕はアイドルにそこまで思い入れないし、むしろ今すぐなまえさんと逃げたいくらい!」
「ブレないなぁ……」
そうもはっきり言われると、プロデューサーの立場としては少し複雑だが、ニキなりに自分を励まそうとしているのだと解釈したなまえは、その話に乗ることにした。
「ニキがいるなら逃避行じゃなくて、グルメ旅になりそうだね」
「あ〜、それもいいっすね!」
逃避行なんて無茶な提案をしておきながら、なにも考えていないニキの能天気な声に、なまえは堪らず笑った。ニキと話していると、なんだか真面目に考えるのが馬鹿らしくなる。そんな人に感染するような愚直さが彼にはあった。
「台湾とか、ご飯おいしいらしいよ」
「聞きますよね〜、僕的にはイタリアも行きたいんすけど」
「どっちも言葉わからないけど、大丈夫かなぁ」
「なはは!逃避行なんすから、そんなの気にしなくていいじゃないっすか!」
そうやって話が盛り上がってきた頃、なまえのスマホのアラームが鳴った。その音に、なまえは「会議の時間だ」と椅子を引いて立ち上がる。お互い、オムライスはとっくに食べ切っていた。
「ありがとう、いい気晴らしになったよ」
「……いえいえ、僕の方こそ、久しぶりに話せて嬉しかったっす!」
それじゃあ、と少しやつれた顔のまま微笑んだなまえは、そのまま喫茶店を後にした。空いた食器と共に取り残されたニキは、小さくなるその後ろ姿を見送ったあと、自分も席を立った。もう仕事に戻る時間だったが、食器を片すのがなんだか名残惜しい気がした。
「フラれちゃったんすかね〜、やっぱ」
人の少なくなった店内で、その呟きを拾う者は居なかった。ニキは食器を片付けながら、先程の会話をぼんやりと思い出す。
あれで結構、本気だったりしたのだが、やはりどうやったって自分の言葉は薄っぺらく聞こえるようだと、ニキはひっそりと肩を竦めたのだ。
君に見せたい世界があるのにな