冷気が頬を掠めると同時に、身震いした。

 雪景色と評するに相応しい街の風景は、風物詩といえば聞こえはいいかもしれないが、実際に体験すると寒い以外の言葉が出てこないし、寧ろ見飽きたなどと夢のない感想を抱いてしまう。教科書に載っている短歌では、あんなにも幻想的に感じたのに……と、早々に現実との差を理解して落胆のため息が口から白息となって零れ落ちた。

「なーに溜息なんて吐いてるんすか」
「わっ」

 ピタリと、生温い感触が首筋に伝う。驚きの声を漏らしたあと振り返ると、防寒対策ばっちりといった隙のない服装の漣くんと目が合った。手に持つ缶コーヒーから察するに、首筋に当たった物はそれで間違いないだろう。
 お茶目なことをするものだと、つい顔が綻んだ。

「溜息吐くと幸せが逃げるって知ってます?」
「なら漣くんは毎秒逃げてるね」
「そんなに溜息吐いてないっすよ」

 何食わぬ顔で否定しているけど日和くんと話してる時、短いものから長いものまでずっと溜息ばかりを吐いていることを自覚していないのだろう。
 可笑しくて笑ってしまうと、やや拗ねた口調で「缶コーヒー要らないんですか?」なんて意地悪な言葉を掛けられる。それとこれとは話は別でしょうが。結局くれた缶コーヒーは微妙に温まっていて、暖をとるには少し不向きであった。

「そういえば、漣くん、帰り遅いね」
「それを言うならなまえさんだって、いつもより30分ほど遅いですよね?」
「用事があったからね」

 へぇ、と聞いておいてあまり興味のなさそうな返事が返ってくる。彼の方は、大方日和くんの無茶振りにでも付き合わされていたんだろう。少し寒そうに、手に息を吹きかける漣くんに、お疲れ様ですと心の中で労っておく。
 その後、帰り道が同じだという彼と途中まで一緒に帰ることになった。雪に足を取られないよう、慎重に歩みを進めながらも、漣くんと今日あったことについて話し合う。
 余り人も通らない道で、普段なら転んだって誰にも見られやしないのだが、今は隣に漣くんが居る。ここで転ぶときっと大声で笑われること間違いなしだ。酷いことに、彼は私のそういうところに人一倍敏感だから。

「ロボット見たいな足取りっすよ」
「黙って」

 転んでなくても笑ってくるのだから堪ったもんじゃない。私の歩幅に合わせてゆっくり歩く漣くん、気遣いは嬉しいけど、その笑い声で全てが台無しだ。紳士ぶるなら掛ける言葉もそれらしいものにすればいいのに、と心中で愚痴を零す。

「そういえば、今日は日和くんにどんな無茶振りされたの?」

 気を逸らそうと、彼に話題を振ってみた。愚痴とともにすぐ返ってくると踏んでいた返事は、中々返ってはこなかった。気になって彼へと視線を移せば、漣くんはハッとしたように慌てて口を開く。

「いや、今日は特に……」
「あ、そうなの?帰り遅かったし、てっきり日和くんの無茶振りに付き合わされてるのかと思ってた」

 そう言うと、彼は、ほんの少しだけ頬を痙攣らせる。

「帰りが遅れたのは、なんつーか……オレ個人の用事なんで」
「へぇ、珍しいね、漣くん個人の用事なんて」
「いや、別に俺はおひぃさんの付属品じゃねぇんで」

 その認識でも、最早差し支えないのでは……なんて言葉は、彼の機嫌損ねてしまうから言えないのだけど。
 そんな話をしながら歩いていると、いつの間にか別れ道に来ていて、そこでやっと漣くんとお別れとなる。

「じゃあ、また明日ね、漣くん」

 そう言って手を振る。彼もそれに振り返してくれて、お互い別々の道に消えることになるのだが、今日はいつもと違った。

「送りましょうか」

 その言葉に、歩みが止まる。
 それは、彼の口から初めて聞いた言葉で、普段が普段なだけあり、そこに深い意味を見出すのは困難であった。単純な思考回路の元、私は彼に問いかける。

「……こっちの道、何かあったっけ」

 どうしても、普段憎まれ口ばかり叩く彼が私のためだけにこの寒い中、態々遠回りをするとは考えられなかった。
 彼はその言葉に一度大きく目を見開いた後、酷く落胆したように特大の溜息を吐いた。

 それにもやはり意味を見いだせない私は、やっぱり溜息吐いてると、回収された伏線に賺さず揚げ足を取るのであった。
自惚れずして恋などできぬ