「嵐ちゃんが、海外に?」
それは、私にとって青天の霹靂であった。
内容自体は、それほど驚くものではない。彼はもう高校生ではないのだから、そういった選択もあり得る話であった。先輩である瀬名さんやレオさんだって、日本でのアイドルを続けてはいるものの拠点は海外に置いている。だから、モデル経験の豊富な彼が海外へと行くことも当然のように思えた。
そう、頭のどこかでは理解していたことなのに、今の私はその事実にしっかりと打ちのめされていた。
「聞いてなかったんですか?」
驚く私の様子を見て、椚先生から意外そうな声が漏れる。それに、ずきりと胸が痛んだ。
……あぁ、そうか。
「はい」
私は、彼の口から聞けなかったことにショックを受けているのだ。
だって、嵐ちゃんは私にとって一番のおともだちなのに、話してくれなかったということは、嵐ちゃんはそう思っていないのかもれない。このあと、一緒に出掛ける予定が入っているのに彼と会うのが少しこわい。いつもは楽しみでしょうがないのに、と、私は沈んだ心のまま待ち合わせ場所へと向かった。
***
「なまえちゃん」
背後から掛けられた声に振り向くと、嵐ちゃんが笑顔で手を振っていた。そんないつもの彼を見て、私は勝手に気まずくなる。
「ごめんなさいね、遅れちゃって、待たせちゃったかしら?」
「ううん、平気。楽しみにしてたから」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわねェ」
気まずさを誤魔化すように、そんな嘘をついた。
嵐ちゃんと一緒にお出かけできるのは、きっとこれが最後だろう。嵐ちゃんがどうして私に海外へ行くことを内緒にしているのかは分からないけど、それには彼なりの意味があるはずだ。私は今すぐ問いただしたい気持ちを抑えて、なるべく普段通りに見えるよう努めた。
「ねぇ、なまえちゃん、今日は他に行きたいところがあるのだけど」
たくさん歩いて、いろんなものを見て、そろそろお開きの時間になった頃、私よりも門限に厳しい嵐ちゃんがそんなことを言ってきた。その様子が、どこかいつもの嵐ちゃんとはちがうみたいだったから、私はどきりとした。まるで最後みたいだと思って、縁起でもないと慌ててその思考を消した。
「今日じゃないと、だめなの?」
「ええ、今日じゃないと、いやなの」
彼にしては珍しくはっきりとしたその言葉に、私は観念したように目を閉じる。そして、わかったよ、と呟いた。
「ありがとう、きっと、後悔はさせないわ」
そう言って、エスコートするみたいに嵐ちゃんが私の手を取った。そのまま、街頭のある道からどんどん外れていって、そうして、連れてられた場所は薄暗い高台だった。
気付けば辺りは真っ暗で、高台の光だけが月よりも優しく周囲を照らしている。幻想的な場所だと思っていると、上を見て、と嵐ちゃんが言った。その言葉に従って顔を上げて、見えた光景に私は思わず息を飲んだ。
「気に入ってくれた?」
「うん、……日本でも、こんなに綺麗な星が見えるんだね」
顔を上げた先にあったのは、満天の星空だった。辺りには星を邪魔する光害は殆ど存在せず、ここでなら、七夕の天の川も良く見えただろうと、過ぎた季節を想って少し惜しい気分になる。
私が夜空に見惚れていると、嵐ちゃんは何気無いように呟いた。
「日本でこんなに綺麗なら、きっと、海外の星も綺麗よね」
それに一瞬、呼吸を止めた。隣に立つ嵐ちゃんを見つめると、美しい輪郭が、これまた美しく微笑んだ。
「アタシね、海外に行こうと思ってるの」
……知ってる。
私の薄い反応を見て、嵐ちゃんはやっぱり知っていたのかと、困ったように眉を下げる。
「ねぇ、海外の星って、綺麗だと思う?アタシにも似合うかしら」
それは、知らない。
星を見つめる彼の視線がこちらへを向かないことを願った。今にも涙袋から溢れそうなほどの大きな涙の粒が、広がるように視界を覆う。……まただ。何度構えても、何度だって傷付いてしまう。とうとう零れた涙の意味は、寂しさだけではなかった。
それでも、いかないで、と引き止めるには理由がなくて、私は堪えるように唇を噛み締めた。
「ねぇ、なまえちゃん」
声の震えを気にしてろくに相槌も打てない私に、嵐ちゃんは優しく問い掛ける。それは、予想外の言葉だった。
「アタシと一緒に、海外の星を見に行きましょう?」
ぱちりと、目を瞬かせた。
思わず隣を見る。気付いたら目が合っていて、薄暗くてよく伺えないその顔に、なんとなく今だけは、”嵐ちゃん"と呼ぶことができなかった。
「それは、どういう……」
それには答えずに、彼は返事の代わりに優しい笑みだけを寄越した。夜風に当てられ、冷たくなっていた頬が嘘のように熱くなっていく。
──気付かなかったでしょう、ずっと。
とどめのように囁かれたその一言は、私の頭をショート寸前まで追い込んだ。
言葉も発せず、こくり、と息を飲む。そんな私を、嵐ちゃんは愛おしそうに見つめていた。
「本気よ、出会った頃からね」
初めて目の当たりにした彼の一面に、無意識のうちに、私は「嵐くん」と呟いていた。
それは、私にとって青天の霹靂であった。
内容自体は、それほど驚くものではない。彼はもう高校生ではないのだから、そういった選択もあり得る話であった。先輩である瀬名さんやレオさんだって、日本でのアイドルを続けてはいるものの拠点は海外に置いている。だから、モデル経験の豊富な彼が海外へと行くことも当然のように思えた。
そう、頭のどこかでは理解していたことなのに、今の私はその事実にしっかりと打ちのめされていた。
「聞いてなかったんですか?」
驚く私の様子を見て、椚先生から意外そうな声が漏れる。それに、ずきりと胸が痛んだ。
……あぁ、そうか。
「はい」
私は、彼の口から聞けなかったことにショックを受けているのだ。
だって、嵐ちゃんは私にとって一番のおともだちなのに、話してくれなかったということは、嵐ちゃんはそう思っていないのかもれない。このあと、一緒に出掛ける予定が入っているのに彼と会うのが少しこわい。いつもは楽しみでしょうがないのに、と、私は沈んだ心のまま待ち合わせ場所へと向かった。
「なまえちゃん」
背後から掛けられた声に振り向くと、嵐ちゃんが笑顔で手を振っていた。そんないつもの彼を見て、私は勝手に気まずくなる。
「ごめんなさいね、遅れちゃって、待たせちゃったかしら?」
「ううん、平気。楽しみにしてたから」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわねェ」
気まずさを誤魔化すように、そんな嘘をついた。
嵐ちゃんと一緒にお出かけできるのは、きっとこれが最後だろう。嵐ちゃんがどうして私に海外へ行くことを内緒にしているのかは分からないけど、それには彼なりの意味があるはずだ。私は今すぐ問いただしたい気持ちを抑えて、なるべく普段通りに見えるよう努めた。
「ねぇ、なまえちゃん、今日は他に行きたいところがあるのだけど」
たくさん歩いて、いろんなものを見て、そろそろお開きの時間になった頃、私よりも門限に厳しい嵐ちゃんがそんなことを言ってきた。その様子が、どこかいつもの嵐ちゃんとはちがうみたいだったから、私はどきりとした。まるで最後みたいだと思って、縁起でもないと慌ててその思考を消した。
「今日じゃないと、だめなの?」
「ええ、今日じゃないと、いやなの」
彼にしては珍しくはっきりとしたその言葉に、私は観念したように目を閉じる。そして、わかったよ、と呟いた。
「ありがとう、きっと、後悔はさせないわ」
そう言って、エスコートするみたいに嵐ちゃんが私の手を取った。そのまま、街頭のある道からどんどん外れていって、そうして、連れてられた場所は薄暗い高台だった。
気付けば辺りは真っ暗で、高台の光だけが月よりも優しく周囲を照らしている。幻想的な場所だと思っていると、上を見て、と嵐ちゃんが言った。その言葉に従って顔を上げて、見えた光景に私は思わず息を飲んだ。
「気に入ってくれた?」
「うん、……日本でも、こんなに綺麗な星が見えるんだね」
顔を上げた先にあったのは、満天の星空だった。辺りには星を邪魔する光害は殆ど存在せず、ここでなら、七夕の天の川も良く見えただろうと、過ぎた季節を想って少し惜しい気分になる。
私が夜空に見惚れていると、嵐ちゃんは何気無いように呟いた。
「日本でこんなに綺麗なら、きっと、海外の星も綺麗よね」
それに一瞬、呼吸を止めた。隣に立つ嵐ちゃんを見つめると、美しい輪郭が、これまた美しく微笑んだ。
「アタシね、海外に行こうと思ってるの」
……知ってる。
私の薄い反応を見て、嵐ちゃんはやっぱり知っていたのかと、困ったように眉を下げる。
「ねぇ、海外の星って、綺麗だと思う?アタシにも似合うかしら」
それは、知らない。
星を見つめる彼の視線がこちらへを向かないことを願った。今にも涙袋から溢れそうなほどの大きな涙の粒が、広がるように視界を覆う。……まただ。何度構えても、何度だって傷付いてしまう。とうとう零れた涙の意味は、寂しさだけではなかった。
それでも、いかないで、と引き止めるには理由がなくて、私は堪えるように唇を噛み締めた。
「ねぇ、なまえちゃん」
声の震えを気にしてろくに相槌も打てない私に、嵐ちゃんは優しく問い掛ける。それは、予想外の言葉だった。
「アタシと一緒に、海外の星を見に行きましょう?」
ぱちりと、目を瞬かせた。
思わず隣を見る。気付いたら目が合っていて、薄暗くてよく伺えないその顔に、なんとなく今だけは、”嵐ちゃん"と呼ぶことができなかった。
「それは、どういう……」
それには答えずに、彼は返事の代わりに優しい笑みだけを寄越した。夜風に当てられ、冷たくなっていた頬が嘘のように熱くなっていく。
──気付かなかったでしょう、ずっと。
とどめのように囁かれたその一言は、私の頭をショート寸前まで追い込んだ。
言葉も発せず、こくり、と息を飲む。そんな私を、嵐ちゃんは愛おしそうに見つめていた。
「本気よ、出会った頃からね」
初めて目の当たりにした彼の一面に、無意識のうちに、私は「嵐くん」と呟いていた。
切なるエトワル